7年前、持つことに抵抗のあった魔法の杖
今年還暦を迎えた私は白杖がなければ外を出歩けない。7年ほど前に水疱性角膜症という病気を診断された。この病気は角膜の細胞が新陳代謝せず、どんどん少なくなっていく病気で、角膜が白濁して、やがて失明をする。
角膜自体を治療する術はなく、角膜移植をすれば見えるようになる可能性はあるらしい。しかし、私の目の状態は手術に適した状態ではなく、リスクが高い。なので、術後に見えなくなる覚悟をしなければならないと告知された。
実は高校生の頃に別の病気で片目の視力を失っており、失敗をすれば、微かに見えている今の状況も保てない。不便ではあるが、手術はせず現状を受けいれる決断をした。
これからどうなるのだろうか?正にお先まっ暗な気持ちであった。
失明という言葉から多くの人は暗闇の世界だと思われるかもしれないが、光は感じるので本当は真っ白な世界、常にホワイトアウト状態なのだ。だから、私の人生はお先まっ白というほうが正しかった。
考えたくもない姿が現実になる
当時のわたしは長年勤めたスーパー銭湯を運営する会社から独立をして、温浴事業に特化したコンサルタントとして駆け出したばかりであった。
順調とは言わないまでも、いくつかのスーパー銭湯や銭湯と契約を結び、月の半分は出張で地方の施設に出向いていた。どんどん見えづらくなる状況で不安でいっぱいだった。
足元が見えないため、溝や側溝に落ちてしまうことや、段差に気づかす転げてしまう。人との距離感が掴めずにぶつかる。
安全のために、白杖を持つことを勧められたが、それは心理的なハードルが高かった。私は目が見えませんと世間に宣言して歩くということだ。悔しさや情けなさ、卑下されたくない思いなどが混在していた。
ある日、混み合う駅で人の流れに乗れずに身動きができなくなった。急ぐ人たちの中で佇む自分が障害となって、多くの人にぶつかり、おされ、舌打ちをされる。認めたくはないが俺は障害者なのだ… 遅まきながら現実を受け止めた(涙)
白杖はは魔法の杖だった
白杖をもつとあらゆるトラブルが解決した。段差につまづく回数も、人にぶつかる回数も減った。道を尋ねると親切に教えてもらえる。
仕事柄温泉や銭湯に入ることも多いのだが、店主に断って杖を持って浴室に入れてもらう。もちろん湯船にはつけないよう配慮はするが、浴槽の手前では這うような形で手探りでないと湯船に入れない。他の入浴者からするとヤバイ奴だと思われる。
浴槽に入ってもどこに人がいるかわからない、やおら入浴中の人の膝に座ってしまい、驚かせてしまう。これは完全にヤバイ奴である。
しかし、白杖を持っていればある程度の理解は得られる。
仕事の量や質、内容は変化しているが、知らない土地でも目的地の駅までは白杖があればなんとか行ける。パソコンの画面は白黒反転して黒いバックに白い字を浮かび上がらせ拡大すればなんとか読み書きも今のところ大丈夫だ。今もその状態でこの記事を書いている。便利な世の中で助かった。
全国の温泉地を飛び回ることはもはや難しいが、魔法の杖の存在は頼もしい。
生きていればそれなりに幸せである
さて、白杖がもたらしてくれた最大の魔法は、日常で妻と手を繋ぐことが多くなったことだ。やはり白杖があっても以前のようにサクサク歩くことはできない。妻と出歩く時は必然彼女と手を繋ぐことになる。
恥ずかしいので手を繋ぐ習慣はなかった。自宅で執筆する仕事にウェイトを置くようになったため、自由な時間が増えたこともあるが、妻と出歩く機会は増えた。
それはまだ、少しでも見えているうちに、いろんなところを一緒に歩こうという彼女の思いやりでもある。
右手の白杖は照れ隠しだ。私は目が見えない、だからエスコートをしてもらっているのだ。左手で彼女の手を握り、いろいろな街を歩く。異国の地だって積極的に出かける。
随分前に、老夫婦が手を繋いで歩くほのぼのとしたC Mがあった。確かチャーミーグリーンという食器洗浄剤のC Mだったはずだ。
見えづらい目は確かに不便ではあるが、決して不幸ではない。白杖をつきながら妻と手を繋いで歩く未来は想像もしていなかったが、魔法の杖がもたらしてくれた未来に結構幸福感を感じている。
なんとかなるさ、7年前の自分にそうアドバイスををしたい。そして、もう少しこの幸せを感じていたいものだと願っている。