「どうする」じゃなくて、どうすれば良いのかを教えてほしかったんだよ、家康さん!
大河ドラマ「どうする家康」が低視聴率のまま終了した。軽妙すぎる演出にたえられず僕も春まで持たなかったなぁ・・・
「逃げてもいいんだよ」と簡単にいうが、世の中の大半の人はどう逃げれば良いのか、『逃げ方』がわからない、だから悩み苦しんでいる。
徳川家康は逃げることで天下を取った武将であり、勇猛果敢に戦うだけでなく、「逃げ方」を知ることの大切さをわかっていた人だ。
弱さ、葛藤、狡さ、宿命、をどう受けとめて、どうしたのかをもっと丁寧に描いてほしかった。
若者にも受け入れられる大河ドラマを目指したそうだが、小手先の解釈と演出は若い世代を見誤っていないだろうか。心に残る楽しませ方でなければ、本当のエンタメとはいえない。そんな風に思った。
心に残るといえば、僕は最近古賀史健さんのブログを読むのを毎日の日課にしている。
古賀史健さんは、著名なライターであるが、毎日noteにブログを投稿されていて、その文章はとても勉強なるし、心に残る。毎日自由に読めるなんてありがたい。
ある日の投稿にこんな内容があった。
古賀さんは、小学生時代に比較的街中の小学校から、田舎の小学校へ転校をした。転校前の学校では、古賀少年は人気者で、多くの友達がいて、学級委員もして、信頼できる先生がいて、とても充実した日々を送っていたそうだ。
しかし、転校先の小学校では、都会ものとして、いじめがはじまる。それは徐々にエスカレートしてゆく。不条理ないじめに対して、古賀少年は逃げずに対峙する。弱音を吐かず、屈したり、媚びたりせず、それならそれで良いと強気の姿勢で耐えていた。
ある秋の日、その日は運動会の代休の月曜日、古賀少年は、一人で転校前の小学校に遊びに行く。
突然やってきた彼は、元級友たちの歓迎を受け、元担任の先生は、即席の机と椅子を用意し、一緒に授業を受けさせてくれ、給食も一緒に食べた。
古賀少年の周りに集まる元級友たちは、新しい学校の話を興味を持って、一生懸命聴いてくれた。古賀少年は、転校先の学校がいかに楽しいか、新しい友達がいかにおもしろい奴らなのかを力説していた。
そんな彼に対して、先生は「向こうの小学校ではだいじょうぶ」と心配そうな顔をして訊いてきたのだ。
大丈夫と言いたいのに、明るく振る舞いたいのに、喉に石ころが詰まったみたいに何も言えず、ぽろぽろぽろぽろ涙がこぼれる。
その刹那、あそこに、帰らなければならないんだ、もう帰る場所はないんだと悟ったそうだ。
その後、古賀少年は引っ越した先で剣道の道場に通いはじめる、帰る場所はないが、学校以外で逃げる場所を求めたのだ。
大人は、こどもに逃げたくなったら、逃げろと簡単にいうが、こどもにとってそれは簡単な話ではない。でも一度でも遠くに逃げた経験があれば日常の生活の中でも「逃げ場」を見つけることが以前よりは簡単になる。
おとなになった古賀少年はそのように回顧している。
ひとさまのブログ内容をかいつまんで勝手に記載しましたが、お時間があれば、いやなくても是非読んでみてください。心に沁みます。
古賀さん、大河の脚本書いてくれないかなあ!
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