勇気ある「同じだね!」が人と人とをつなげるのだ
毎年、夏に帰省する。
今年も、新たなる祭日山の日に、無謀にも(混んでるに決まってますやんね〜)車で兵庫より鹿児島へと向かった。夫婦2人ドライバー体制である。
相次ぐ事故渋滞に、予定は遅れに遅れた。早朝7時過ぎに出発したにもかかわらず、九州上陸は16時ごろとなった。いつもより2時間ほど遅れている。
帰省シーズンにふさわしく、習志野や名古屋などのナンバーが周囲を走っている。そこへ連れ合いが、「お?姫路ナンバーやん」とつぶやく。
なるほどなるほど、われらと同じ姫路ナンバーの車が前を走っている。大変荒々しいと有名な、やんちゃナンバーである。馴染み深い番号も、九州で遭遇すると、希少感が増し、ぐっと親しみが湧くのであった。
しばらくつかず離れずだったところ、どうやらお別れのときが近づいたようだ。長崎方面なのであろうか、相手の車は路線を変えた。すると「手を振っているよ」とまたしても、連れ合いのつぶやき。
わざわざ近づいてくれて、お兄さんがにこやかに、こちらに手を振ってくれていたそうなのだ。その後、いよいよお別れという際にこちらも振り返すと、お兄さんも再び手を振ってくれた。
チキンハートのわたしには、到底できないことである。
「手を振って『なんなん?あの人、引くわあ』などと思われたらどうしよう?」などと、「だからといって、それがどうした」というような大したことのないことに逡巡してしまうに決まっているのだ。
なんと、すばらしく勇気のある、さわやかボーイ(もう少しお兄さんぽかったけど)なのであろう。こころよりの尊敬の念と、しみじみとした感動が、胸に広がったのであった。
人と人をつなげるものは、同じだという思いとそれを表明する勇気なのである。
渋滞に疲れた我らがこころをあたためてもらい、勇気を持って、九州縦断へと立ち向かった。その後、さらに2時間ほどの渋滞に見舞われたのは、また別の話である。