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"瞑想" 後編 "ヴィパッサナー"

わたしは、
コースを受けた11年前に
決めたことが一つだけあって

それは、
"企業の中で働くのは辞めよう"
というものでした。

前々回の"瞑想 前編"からの続きです
https://note.com/spaceout/n/n3d8bc63836be

なぜ、そう決めたのか
後付けはいくらでもできるけど、

そう決意した根拠を
なぜか思い出せない…

なぜなら、それはたぶん
"インスピレーション"だったからで

無意識にそれを選び
理屈は後から考える

その無意識や順序の妙に
自分でも気づいていない

実は、こういうことは
誰にでもあることです。

もちろん、
わたしの決断が誰にでも
正しく、ハマる、わけではないし

コース中にそのような
誘導は一切ありません

わたしにとって瞑想は、
健康維持のものであり
精神の安定のものであり

インスピレーションを
受け取る為でもあります。

以前、はてなブログで
宗教に触れたことがあったけど

今回も、そこに近づくほど
(謎の)プレッシャーを感じ
文章がまとめられなくなりました。

日本は"コンビニより神社が多い"
という話を聞いたことがありますか?

それにもかかわらず、
世界のどの国よりも
宗教を嫌う不思議な国で

スピリチュアリティを
極端に軽視する国でもあります。

わたしも昔は
"宗教"と聞くや否や拒否反応を起こし、
占いもスピチュアルも大嫌いでした。

それは、ある種の思考停止だと思います。

そもそも"宗教"は本来
"心の教え"という意味だそうです。

私たちは、目に見えないものや
よくわからないものを恐れながら

同時に誰かに作られたイメージに
振り回されて生きています

実際には気づいてる以上に
目に見えない、触れたこともない

不確かなものを受け入れて
そのことに時間を割いています。

例えば今、世界中がウィルスに
翻弄されているけど

わたしはウィルスが
見えたことがありません。

でも、感じることはある…

喉がイガイガするとか
目が痒くなるとか

ここまできたら
常識や二次情報だけでなく
自分自身の感覚を養いましょう

前回のブログで"免疫"について
書いたけれど、

結局、一番の"免疫力"とは
バイオリズムで生きることで

心や体の快や不快、
違和感や心地よさに気づき

それに応えてあげること
なのかもしれません。

そして、それは
サバイバル能力にも通じるはずです。


ちなみに、ヴィパッサナー瞑想は
"ブッダの瞑想"と言われる位だから
仏教にルーツがあるのでしょうが

HPには、
https://jp.dhamma.org/ja/code/

(現在、コロナウィルスの影響により
コースは中止されています。)

"盲目的信仰による
宗教儀式ではありません。"とあり

"ブッダは、宗教を教えたことはありません。解脱への道である、ダンマ (Dhamma) を教えたのです。ダンマは宗教や宗派とはかかわりのない普遍的なものです。" とあります。

記憶はおぼろげだけど
1日の終わりに聞く講話の音声で、

"あなたが、他のどんな修行をしていても
いいけれど、このコースの間だけは
それを一度、脇に置いてほしい…"
そんなメッセージがありました。

✳︎ダンマとは、パーリ語(仏教用語)
での「法」を指します。

怠け者のわたしでも
なんとなく続けられたのは、
この時の体験があったからです。

世の中が激動すぎて
もはや、なぜ今これを書くのか
自分でもよくわからないけど

書かなければ…と思うので
書いています。

前置きが長くなりましたが、
ヴィパッサナー瞑想について、
少し解説します。

時は遡ること、
2500年前にゴータマ・ブッダにより
再発見されたと言われる
インドで最も古い瞑想法の一つです。

現在、世界約150箇所で行われている、
ヴィパッサナー瞑想コースは、

サティア・ナラヤン・ゴエンカ氏
通称、"ゴエンカ氏"により、
多く広められました。

ミャンマー出身
インド家系に生まれたゴエンカ氏は、
若くして実業家として、成功しましたが、
重い "偏頭痛" に悩まされており

同国にて、サヤジ・ウ・バ・キン氏から
瞑想の指導を受けたところ
各国の名医を頼っても治らなかった
頭痛が完治したことから

その後、14年間ウ・バ・キン氏のもとで、
修行した後、インドに移住し
ヴィパッサナー瞑想の普及に尽力。

2012年、
インド大統領から、パドマ賞を授与し
2013年9月に89歳で逝去

✳︎サヤジ・ウ・バ・キン
→ミャンマーにて会計士
その後、政府高官も務めた
ヴィパッサナー瞑想の指導者

✳︎パドマ賞
インド政府により与えられる、
民間人を対象とした賞の中で、
最も栄誉のある賞だとか

"ヴィパッサナー"とは

"物事をあるがままに見る"
"観察する" という意味で

"気づき"の瞑想です。

マインドフルネス瞑想の源流とも
言われているそうです。

ヴィパッサナー瞑想の
最大の特徴とも言えるのは

10日間コースのあいだは
"誰とも口を聞いてはならない"というもので
(事前に携帯も預けます)

一応、指導者の方が
一人、前に座っていますが

一日に、一言二言、"順調ですか?"
などのような会話がある程度でした。

(わたしの時は、 白人のおばあさまでした)

その間に守らなければならない
五戒があります。

1. 生き物を殺さない。
2. 盗みを働かない。
3. 一切の性行為を行わない。
4. 嘘をつかない。
5. 酒・麻薬の類を摂らない

1.の、生き物を殺さない=

により、コースのあいだの食事は
Vegan(菜食)でした。
(奉仕の方がつくってくれます。)

ヴィパッサナーは寄付と奉仕で
運営されています。

わたしは、無職で海外のフェスに
行っていたこともあって、

寄付と聞いた時は
"タダなの?ラッキー!"
というめちゃくちゃ軽いノリで…

寄付のことは、
考えていませんでした。
(ほんとスミマセン)

実際のコース期間は、
毎日、瞑想をして、休憩し

食事と寝床を提供してもらい
最終日には、友達もできて

わたしにとっては
想像をはるかに上回る体験となり
感謝があふれ、寄付をしましたが、

神奈川⇄京都の往復は、夜行バス🚌
宿は、安いゲストハウスに泊まり
観光もないに等しい弾丸の旅で

最低限の持ち合わせで
帰路に無一文ともいかず、

10日間の食費を考えても
寄付をしたと言うには
おこがましい額でした。

なぜ、千葉が近く
お金も持ってないのに
京都を選んだかと言えば
京都に行きたかったから…でした。

12日間の予定を
開けることは容易ではありません

様々な障害が立ちはだかる
かもしれませんが
(今はコロナで中止…)

一生に一度と視点を変えれば、
わずか12日間。

それが、わたしにとっては
一生ものの体験になりました。

ヴィパッサナーに限らず、
多くの瞑想は、有益です。

瞑想ブームが
起こり始めてる(?)とはいえ、

なんとなく、
ネガティブなイメージを
持っている人もいるかもしれない…

そもそも、
このブログを書くことは自分の為

その先に、瞑想に
"興味を持ってもらいたい"
"安心してもらいたい"
"インスピレーションを受け取ってほしい"

みんなの日常に
瞑想が加われば本望です🧘‍♀️✨

当時のわたしは、
必要最低限の情報以外を
あえて入れないようにしていたので

頭の中には"ブッダ"の
"ブ"の字もありませんでした

たぶん今、同じ条件であれば、
当時のように即決できないはず…

これは、完全に余談で
わたしも後から知ったのですが

サムネイルの画像を
レッチリにしたのはこの為で、

アメリカのロックバンド
"Red Hot Chili Peppers"の

ジョンフルシアンテ(guitar🎸)は
ヴィパッサナー瞑想を受け

それまで苦しみ続けた
鬱や、薬物依存を克服し
ギターの腕も飛躍的に伸びたそうで

その後に、他のメンバーたちも
ヴィパッサナー瞑想を受けたそうです。

瞑想によって

"集中力が高まる"とか
"五感が鋭くなる"とか

それは本当です。

"悟りの瞑想"も
"ブッダの瞑想"も

そう言って過言はありません。

でも、コースの後に
以前の生活を続ければ元通りです。

"呼吸を通し、
体や感情や意識の繋がりに気づくこと"

"自分を知り、自分に気づくこと"

その先に、
"悟り"や"解脱"があり
"涅槃"や"nirvāṇa"と呼ばれるものは
もっと先にあるのだと思います。

ブッダと言うと、狭義では、
ゴータマ・シッタルータや
釈迦のことを指していますが、

本来 "ブッダ" とは
"目覚めた人" や
"悟りを開いた人" だそうです。

つまり、"ブッダはたくさんいる…"
ということで

かくいう、わたし自身も"悟った✨"
と思いました…

あの時、
確かに"悟った"はずなのに

今も簡単に"悟り"とは、
ほど遠い自分に出会います。

仏教の"涅槃経"という観点で
"涅槃"に達しているのなら
わたしは、この世にいませんし

そもそも、
解脱の本来の目的は、
"煩悩を捨て、自我を消滅する…"

ことではなく、、

"欲望にかき乱されることのない
心の平穏を得て、魂の進化をはかること"
だそうです。

たぶん今であれば
"恐怖の感情に振り回されないよう
魂の進化をはかること…"でしょうか。

わたしも昔に比べれば、
魂の進化はしているはずですが

時々、怒りの感情に
支配されることがあります。

物欲もあれば、承認欲求もあるし、
豊かで安心した生活を送りたいなど
さまざまな欲望があります。

でも、それに振り回されては
いません(と思う)

感情や、体の感覚を無視したり
願望を "不自然に"抑圧するのは
かえって"危険"です

抑圧を長く続けた人ほど
フェイクの感情や願望が
何層にも重なっていたりします。

まずは自分に"気づくこと"です。
気づいてあげられるのは、
自分にしかできません。

わたしの知り合いに
"自分が無欲な人間になってしまったら
どうしよう…"
みたいな事を言う人がいて

それはつまり…
ヴィパッサナー瞑想を受けて

"解脱や涅槃に到達しちゃって…"
という前置きがあるように思いますが、

そんなことを心配をする人は
まちがいなく大丈夫。

そんな心配をする人は
自分のことを知るのが
怖いのかもしれません。

コースを受け数人と話し
それぞれの体験には、
それぞれ違いがありました。

余計な先入観を与えたくないので、
わたしの瞑想中に起こったことは
ここでは書きませんが

その後、自分の人生に訪れた難題を
瞑想のおかげで乗り切れたと
感じることが何度もありました。

たぶん、ヴィパッサナー瞑想でなくても
いいのかもしれませんが、
あいにく、わたしはそれしか知りません。

かといって、
今わたしのしている瞑想が
ヴィパッサナー瞑想かは、怪しいです。笑

"やらなきゃいけない"
ものではありませんが
継続できれば、なお良し👌

こう言ってしまうと
少しネガティブに
聞こえるかもしれませんが

日常生活では、あの環境は
再現できません。

少なくとも、わたしは、
コース中に達した感覚に
到達したことは一度もありません

それでもやる価値は
大いにあります✨

そんなわけで、約11年
毎日欠かさず、瞑想を行っている…



わけではなく… 笑

時間があっても忘れていたり
それよりも横になりたい時

子供たちに
阻止されることもあります。

お風呂に入りたい、とか
音楽を聴きたい…時もあります。

一時期、瞑想から離れていた
こともありましたが

最近はなぜか
瞑想をすることが増えました。

離れてもまた、戻ってくるのです。

集団で瞑想を行なった経験は
あまりないので、

個人的には一人でする方が
集中できますが
(ヴィパッサナーのコースは例外)

方法そのものは、
難しいことはないので、
コツさえつかめれば、

各人で行えばいいと思います

瞑想に正解はなくとも
コツがあるように思います。

そうなれば、いよいよ
リスクはありませんね✨

残念ながら現在は、
ヴィパッサナー瞑想のコースは
コロナウィルスの影響により中止しています。

https://jp.dhamma.org/ja/

前々回、"瞑想"ブログを書いて
ワークをやろうと思っていた時
コロナを認識していませんでした。

ワークを始めるには、難しいご時世なので

オンラインで何かしても
いいのかもしれません…

でもきっとわたしが
オンラインで何かを始めるのは
時間がかかるし、やるかもわかりません。

YouTubeには
瞑想ワークの動画がたくさんあり、
最近はアプリもあるようです

興味のある方は、
自分に合ったものを探してみてください。

そもそも、安心を手にしたり
明晰さを保てれば、
瞑想でなくてもいいのですが、

こんな時だからこそ
誰でも行える、瞑想が
多くの人に役立てると思います。

最後まで、読んでくださり
ありがとうございました。

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