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私はネットが怖い。

 私はネットが怖い。現実と地続きになっているネットが怖い。

 今のネット世界は不可逆的に現実とつながっている。しかも意図したときに切断できるパソコンのようなものではなく、常時接続でネットワークにつながれている。そしてそのネットワークは人間関係に直結している。

 私たちのありとあらゆる会話は基本的に保存され利用される。正直これを企業が使う分には大した問題ではない。広告や行動変化に使われるぐらいであれば、私たちに直接嫌なことは起こらないからだ。しかし、これが個人の間で行われるときはどうだろう。

 LINEの会話をスクショする。twitterの発言を魚拓をとる。それを拡散する。信頼関係を根本から破壊する行為でありながらそれを行う他者の姿は見えない。ただあるのは犯人は「身内」の中にあるという事実だけ。信頼に足る存在が最も信頼に足らない存在であるという証明だけがそこにある。

 よくある話でいえば「オフレコ」でなされたはずの会話を「オンレコ」され炎上させられてしまう政治家や、友人同士で話してた明らかなユーモアを保存され社会的バッシングを受けたりとこの手の話は枚挙にいとまがない。

 つまり、この常時接続ネット社会には公私を分けるという概念が意味をなさないのだ。ありとあらゆる場面で公私ともに清廉潔白であることを求められる。それは個人間で邪悪なユーモア遊びをしたり、一人で文章をしたためたりすることではなく、社会的に善い性格で生産性があり差別も偏見も許さない正義感をもつ正しい人間でいることを常に求められるのだ。

 この社会の「常識」に私が恐れおののいているのは私自身が「正しく」ないからだ。私自身は自分が善なる存在でいようと勉強し、ふるまってはいるが、その内在的性格は悪そのものだ。当然となされているルールを疑い、皆がバッシングをする存在に同情し、憎まれるべき犯罪者をどこかで可哀そうな存在だと感じてしまう私は全く倫理的ではないように思えてならない。

 そんな中でどこに逃げ場があるのだろうか、いやあったのだろうか。唯一のリアルな空間ですらよもや無限のネットワークの一つに組み込まれかけていてどこか恐ろしげだ。いつ「正義」の鉄槌が降ってくるかわからない。しかもどこから飛んでくるかすら見当がつかない。そんな状況が私は恐ろしい。

 私はネットが怖い。正義の嵐が吹き荒れるネットが怖い。善なる存在以外を浄化しようとするネットが怖い。


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