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社会問題は終わらない。野木亜紀子が描く社会問題【『ラストマイル』感想】

わたしは過去に100回『逃げ恥』を見ており(考察記事はこちら)、もちろん『アンナチュラル』や『MIU404』も好きで何度も見ている。

つまり、野木亜紀子さん脚本作品の総視聴時間数は、他に例を見ないとも言える。(ほぼ逃げ恥だけど…)

そんなわたしが、この8月に公開された映画『ラストマイル』を見ての感想を書き残したいと思う。(同じく野木亜紀子作品のファンである大学生の友人らと話したことも踏まえて、書いていく。)


ラストマイルでは、アンナチュラルやMIU404のファンが喜ぶようなネタがちりばめられていたり、労働の仕組みにおいて、雇う側・雇われる側、仕事の上流・下流、ホワイトカラーとブルーカラーの対比など、が悲しくも鮮明に描かれていたりしたが、

そのようなポイントについては、きっと他でも述べている人はたくさんいると思うので、

このnoteでは、『ラストマイル』が社会課題というものについてどういう描き方をしているか、ということを中心にわたしの感想を書き残したい。


本編が終わってから号泣する、新しい映画体験


(いきなり本編後の話?となるかもしれないが…)

本編が終わり、エンドロールとともに米津玄師の主題歌が流れる。それと同時に涙が止まらなくなった。今までない映画体験をした。

平日の昼間だったにもかかわらず、比較的人が入っていた映画館。上映後、館内が明るくなってから周りを見渡しても、わたしのようにハンカチで顔を拭っている人はいなかったので、

エンドロールで泣いていたのはわたしだけか…わたしの情緒が不安定だっただけか…と思ったけれど、

ラストマイルについて語った大学生の友人も、同じようにエンドロールとともに泣き出し、エンドロールが見れなかったと言っていた。この経験をした人はきっと少なからずいるはずだ。

なぜこのようなことが起きたのか。ここにラストマイルの醍醐味、社会課題の描き方と関係する部分がある。


山﨑を殺したのはわたしか?

この作品を観る中で、必要以上に消費に掻き立てられていた自分自身を省みて恐ろしさを覚えた人は少なくないだろう。わたしもその1人だ。

What do you want ?
何がほしい?


この言葉は、通販サイトの広告として劇中に度々繰り返される。

しかしラストシーンの「What do you want ?」は、渋谷のスクランブル交差点に行き交う人とともに描かれ、そこにいる人々ひとりひとりに向けて、つまり

この2時間のストーリーを観た後のわたしたちに向けて、繰り返されていた。

何がほしい?何がほしい?
……お前はそんなに物がほしいのか?

人が死ぬようなこの行き過ぎた物流システムを2時間体感しても、まだ物がほしいのか?と問われているような。そんなラストシーンは圧巻だった。

「社会問題」とはよくいうけれど、社会とは「わたし」の集合体で、わたしたちひとりひとりに関すること、わたしたちの問題なのだから。



かくいうわたしは人より物欲が強い方だと思う。テレビやSNSを見ていて気になる服や便利グッズがあれば、すぐに通販サイトで調べるし、キャンペーン期間には通販サイトを開いて安く買える商品を探したりする。

日々自分の家に何かを届けてくれる人たちがいて、時には配達員さんと遭遇することもあるのに、そんな人の苦労なんて想像しない(想像すると疲れてしまうほど、わたしたちは簡単になにかを注文し、配送してもらうから。そしてそれがあまりに仕組み化されているから…)。

頼んだら次の日にすぐ届くシステムも、必ず誰かの労働で成り立っているはずなのに、閉じられたスマホやインターネットの中だけで完結しているような感覚で、そこに人なんて介在していなかったかのように思えてしまう。

ラストマイルのラストシーンはきっとそんなわたしたち、いや、わたしに問いかけているようで、わたしが(中村倫也さん演じる)山崎佑を殺したひとりだと言われているように感じたのだと思う。その責任の重さに耐えきれず、わたし涙してしまったのだと思う。


つまり、社会問題を「誰かが解決すればいい」とか「物語の中で解決されて終わり」という描き方ではなくて、

あくまで「あなたたち・わたしたちの問題である」という風に描かれていた。そして、その問題は物語が終わったあとも続いている。

配達員たちの時給が20円上がったことも、大した額じゃないというセリフがあったのもよかった。確かに前より状況はよくなったけれど、まだ十分ではない変化であることを伝えていた。

物語の最後、岡田将生さんが演じる孔は、あの会社で・あの物流システムのなかで、どう立ち向かっていくのか。少なくともあまり希望がある描き方ではなかったとわたしには見え、そのことからも社会問題は終わらないことがわかる。

社会問題を描くことに挑戦する多くのテレビドラマや映画も、その物語の中で問題が解決されてしまい、一時的にスッキリした気持ちになってしまうようなものも多い。

しかしラストマイルは、最後にスッキリはさせてくれない。映画館を出たあとのわたしたちの現実に接続させてくれる。

社会問題はわたしたちのもの、物語は終わっても社会問題は終わらない。山崎殺したのはわたしかもしれないのだ。


社会課題を自分事にできない、強くないわたしたち


アンナチュラルでは、石原さとみさん演じる「美澄ミコト」が、立ちはだかる問題に対して諦めず立ち向かう強いキャラクターとして描かれていたのに対して、

今回の満島ひかりさん演じる舟渡エレナと、岡田将生さん演じる梨本孔は、すごく諦めている、大きな会社や仕組みに飲み込まれ流されている人物として描かれていたと思う。

特に孔は本当に普通の人で、巨大通販会社の配送センターのただの社員として最後まで描かれていた。

エレナは結果的にストライキを起こすという強さを見せたが、山﨑が自殺をしたことを知りながらも、「Customer centric(全てはお客様のために)」というマジックワードを繰り返し、

大きな会社の一員として、会社のルールに沿って、まさにベルトコンベアの上の荷物のように「流されて」動いていた。課題に初めから本気で向き合おうとはしていなかった。

けれど、自分が爆弾を持ち、死に直面したことを大きな転換点として、それ以降は物流の仕組みのおかしさに立ち向かった。

エレナのように、自分の置かれた環境や会社のおかしさに気づきながらも、行動できずにいる人の方が多いはずだ。

大きなシステムに飲み込まれる危険に気づけない、気づいても行動できない・環境を変えられない、そんな市民を批判するのではなく、あくまでみんなそうだけど、でも今変わらないともっとひどいことになるかもしれない、なにかわたしたちできることがあるかもしれないという希望を与えてくれる。

始めからかっこいいだけの英雄じゃない主人公だったことは、よりこの物流をはじめとした社会問題のなかにいるわたしたちがそれを自分事として見やすくなっていたのではないかと思う。


エンタメ性と社会課題の共存

この『ラストマイル』という映画が、いわゆる社会課題と言われるものについて描かれているのだと途中から気づきつつも、基本的には爆弾が爆破しないか常にハラハラドキドキして観ている。

まさにノンストップ・サスペンスエンタテインメントを、わたしたち観客は楽しむ。告知の段階でも、『アンナチュラル』『MIU404』の流れを知らなければ単なるサスペンスエンタテインメント映画であると認識して観に行く人もいると思う。


しかし、前述のように、この物語は突きつけて来る。わたしたちがこの問題のなかにいること、山﨑を殺したのはわたしかもしれないこと、わたしたちはエレナのように問題の糸口を見つけ行動を起こせる存在であるかもしれないこと、でもなにもできていないことに。

この物語と映画館にいるわたし。つまり物語と現実の狭間としてエンドロールが存在している。

そう考えると、物語のテンポがよく、爆発に怯え緊張感が高い作品だからこそ、エンドロール中に開放され、そこを通じて現実に引き戻されながら、

物語への感動や共感、辛さや悲しみ、そしてこのシステムの中にいる責任や贖罪が押し寄せてきて涙が溢れてしまうのは、当たり前のような気もしてくる。

このエンドロールの感情までが設計されていなのなら凄まじい物語だし、そうでなくともこんなにもエンタメ作品としてのおもしろさがありながら、社会問題を観た人の生活の中に落とし込もうとしてくるどえらい映画だったことは間違いない……。

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