見出し画像

「気づいて欲しい」を諦める。孤独になったけど、生きのびるには必要だった。


少し前、相手に対して「気づいて欲しい」「分かって欲しい」とずっと思っている自分に気がついた。

それは診察室で特に現れてくる。

それはきっと、初めて「信頼できるかも」と思えた相手だったから。
人によっては問題行動とされる私の行為を怒ることなく受け止め、いつ行っても変わらないテンションでいてくれて、相手にブレがない(不機嫌さや狂気が少しも見えてこない)。
怖いくらい安定していて、何を言っても、何をやっても私を否定しない人がいるのかもしれないと思った。

おそらく私の幼い心が残っていて、分かって欲しいと心の中で叫んでいた。

でも本当は、言葉で伝えないといけない。
言葉を使わないと伝わらない。

残酷かもしれないけど、本当に助けて欲しいときに、欲しい形で手を差し伸べてくれる人なんて出てこない。

気づいてもらう、察してもらう、それが許されるのは子供まで。
ティーンエイジャーもとっくに卒業した私は、諦めなければならない。

昔求めていた「危機一髪で誰かが助けてくれる」なんていう展開は、フィクションの中のプリンセスにしかやってこない。

ネガティヴになっているわけではなく、誰も助けてくれないのが現実だとようやく気がついた。

言葉にしても、叶わないこともある。
それでも、言葉にしたほうが確率は上がる。


だから、最近の診察ではメモを渡すことにしている。話せないなら、書いて伝える。伝えないと、何も変わらないと気づいたから。


本当は分かって欲しかった。
苦しくて辛くて死にたいことに、気づいて欲しかった。
消えてしまいたくて自傷して、未遂して、それでも誰にも気づかれなくて(自分で隠してた癖に)、やっと諦めがついた。

生きていくのはとても孤独だ、と気がついた。
これまでもひとりぼっちだったけれど、どこかでそうじゃなくなると信じていた。
でも、これからもずっとひとりぼっちだと分かってしまった。

誰にも理解されないのが当たり前で、精神的な苦しさなんてさらに伝わらない。

このままひとりで生きていけるのかな。
途中で折れてしまうかもしれない。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?