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他者を信頼しないように生きてきた。必要なスキルだったけど、邪魔になってきた。

精神科初診のとき、色々と話をした。
その中で友人関係の話になり、友達はいるかと聞かれたときに、困ってしまった。

友達ってどこから?

とりあえず、学校で会えば話す人はいると答える。

「その人のことは信頼してる?」

そう聞かれて、数秒止まってしまった。
信頼してないわけじゃない。会えれば嬉しいし、色んなことを話すし、ごくたまーに一緒に出かけることもある。

一緒にいて苦しくないから、楽しいことがあるから居るのだけれど、どこか一歩引いているというか、距離を取っている感じがある。

これは誰に対してもそうなので、相手ではなく私の問題なのだと思う。

いつでも離れられるように、そのときに痛みが少ないように、あまり深い関係にはならない。

それを信頼してると言って良いのか迷ってしまっての間だった。

信頼と信用をごっちゃにして使ってしまうこともあるけれど、辞書的には違っている。

信頼は「相手は裏切らないだろう」という賭けで、信用は「これまでこうだったし大丈夫だろう」という経験に基づく予測。
私はそう理解している。

信頼は賭けだから、外れたところで何とも思わない。だけど信用の方の予測も、あっという間に裏切られることが多い。
ちょっと仲良くなると相手の本性が見えてきて、ときにそれは狂気を含んでいる。

そんなことが多かったから、もう賭けはしないし、予測が当たるとも思わないようにしている。

誰にも期待しないと言うと、冷めていると言われることもあるけれど、自分を守るには大切な姿勢。

関わりたくないような人ほど、外面はとても良いことが多いのは知ってるから。
優しい人には注意。
優しくない人も注意。

そうやっていると、友達のことも「信頼している」と言い切れなくなっていた。

これで良いと思っていたのに、たまにふと、すごく怖くなることがある。
このままずっとひとりぼっちなのかもしれないと思うことがある。

きっと人には信用している他者が必要で、その人への信用は、世界を信頼することにもつながっているのだと思う。

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