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母、壊れる

どうも幻視が見えるらしい。そんな話が出たのはゴールデンウィークに帰省したときのことだ。父のことを祖父と間違えた程度の、年寄りによくあるちょっとしたボケぐらいに思っていた。
母ももう79歳。早生まれだから80歳といってもいい。そんな間違いぐらいたまにはあるよね、という感じだった。「もう、バカだね〜」と。
そんな軽い話ではないとわかったのはお盆のときだった。

父は典型的な昭和の亭主関白。怒りの感情で人を支配しようとする人間であった。それを慎ましく支え宥める母。
そんな夫婦も、それなりの年齢になれば穏やかな老後を過ごすのだろうと思っていた。お金の心配もいらないし、元気でいることだけが一番の仕事になるのだろうと。
そう簡単にいかないのが人生なのだろうか。

すべては数年前、JAのファーマーズマーケットが近所にできたことに始まる。
父と母は、代々受け継いできた田畑で育てた野菜をそこに出荷することが日課に。それだけならいい話なのだが、欲深い父は半端ない量の野菜を育て、その野菜の袋詰めに夜なべする母、という構図ができあがった。

睡眠不足や疲労、怒鳴られるストレスなどが認知症のリスクを高める、そのことは分かっていたけれど、言っても言うことを聞く親でもなかったし、もう行き着くところまで行くしかなかった。
帰省したあるとき、一緒に袋詰めの作業をしていると、母が急に、自分が何をやっているのかわからなくなってしまった瞬間があった。ほんの1分ぐらいの出来事で、すぐに正気に戻ったのだが、そのころから母の脳では異変が起きていたのだろう。

話をお盆のときに戻す。
隣近所ということで日頃からよくしてくれている隣のおばさんに挨拶に行くと、話たいと思っていたと言うではないか。
父は感情のコントロールができず、すぐに怒鳴る性分なのだが、昨日は聞こえてくるほどの尋常じゃない怒鳴り声で、すでに母の異変に気づいていたおばさんはとても心配だったと話してくれた。
心臓のあたりがざわざわし始め、居ても立っても居られなくなってきた私は、父の妹である叔母のところへ行くことにした。

叔母は私の顔を見るなり、何を話に来たのかを察してくれた。
叔母の話によると、母にはどうも祖父や知らない男の人が出現するらしい。祖父がもう死んでしまっている認識はあるものの、見える。叔母の旦那さんにその話をすることもあったようで「そうだよね、もう亡くなっているんだよね〜」と。頭では分かっているけど、見えることをどう理解していいのか、きっと混乱でしかなかっただろう。
それだけならともかく、今度は女の人が出現したらしい。これがよくなかった。「80だというのに女をつった」と泣きながら叔母に相談してきたという。
隣のおばさんとの話を照合するとおそらく、「女をつった」と問いただす母に対し、父は丁寧に説明するでもなく怒鳴り散らかした挙句、隣の家に響くほどの大喧嘩になったらしい。
幻視が見えるうえに父に猛烈に怒鳴られた母はパニックになり、車で飛び出してしまうことになる。自分がどこを走ってどこに行き、どうやって帰ってきたのかも覚えていないというのを聞き、無事であったことは不幸中の幸いだと思った。

会うごとに親が老いていっていることは分かっていたけれど、日々は離れて生活していることもあって、老いを受け入れていなかったのだと思う。親はいつまでも元気というか。なのに、こんな風に壊れてしまった母を目の当たりにすると、もう何とも言えない悲しさで、込み上げる涙を抑えようもなかった。

今は初期の認知症と診断され、おそらく幻視がそれによるものと母も分かっただろう。私の結婚のことで仲たがいをした過去もあったが、やはり母は母。いつまでも生きていてほしい。


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