生きるための「差別」②

じゃあ、
これは差別だからいけないことですか。

差別反対が叫ばれてるこの世の中で
これは悪になりますか?


そう疑問に思う方も多いと思います。


僕なら

断言はできません。 と答えます。



差別にも種類や原因があって。


コロナウィルスにかかりたくない人たちだって
それぞれ皆さん理由がある。



「死ぬだなんて怖い」
「家族を守らなければならない」
「病院に閉じ込められたくない」
それは様々。



1つ、共通してるのは
みんな、身を守ろうとしている。


そりゃそうですよね、
今の「あなた」としての人生は
今の一回しかない中で、
なるだけ楽しく過ごしたいものです。


健康に過ごすためには
危険な状態に陥るリスクを避けて通るのは当たり前ですよね。


そうなると、
自然と中国の方と距離をとってしまいがちになります。
なぜ?


誰がウィルスを持っているかわからないから。
そう。


わからないからこそ
最悪の自体を考えて皆さん避けるわけです。



これは結局人権を侵害したいのではなく、
リスクを回避しようとしてるがゆえの差別。

生きるための差別です。


この差別の存在がとても自然なこととわかった中で、
それが、得体がしれないから起きてる差別
ということを自分で理解する。

それだけでも
今までしてきたコロナウィルスにまつわる
自分の抱く差別がわからないからなのか、
人種でただただ差別していたのか。
それが見えるし、
この件だけではない差別に関しても
考察が変わってくるのではないでしょうか。


この防衛本能は
ダイバーシティ化の鍵を握ると考えてます。