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荀子 巻第七王覇篇第十一 1 その5

前回は、信を立てれば覇者になれるということの具体的な説明でした。
続きです。

国をげて以て功利を呼[称]せしめ、其の義を張り其の信をすことを務めずして唯利をのみ求め、内は則ち其の民をいつわることをはばからずして小利を求め、外は則ち其の与[国]を詐わることを憚らずして大利を求め、其の有する所以を脩正することを好まずして啖啖然として常に人の有を欲す。くの如くなれば則ち臣下百姓も詐心を以て其の上を待たざるなし。上は其の下をいつわり下は其の上をいつわらば則ち是れ上下のわかるるなり。

(「荀子」岩波文庫 金谷治訳注)

呼→②名づける。となえる。
啖→くう。くらう。むさぼりくう
待つ→④それを頼りにしてまかせる。望みを託する。期待する。
拙訳です。
『国を挙げて功利を唱えさせ、義を広め信を成すことに務めずただ利益のみを求め、国内では民衆をだますことを気にせずに小利を求め、国外においては同盟国をだますことを気にせず大利を求め、これら所有する理由を改めることを嫌がり貪欲に常に人が持つものを欲しがる。このようであれば臣下や民衆もいつわる心に染まり為政者に期待することはない。為政者が臣下・民衆をだませば臣下・民衆は為政者をだまし、上下は離反する。』

是くの如くなれば則ち敵国もこれを軽んじ与国もこれを疑い権謀は日々に行われて国は危削を免れず、これをきわむれば而ち亡ぶ。斉の閔[王]と薛公せっこうとは是れなり。故に彊斉をおさめて礼義を脩むるに非ず正教を本づくるに非ず天下を一にするに非ず、緜緜として常にひきづな(靷)を結び外にするを以て務めと為す、故につよきことは南のかた以て楚を破るに足り西のかた以て秦を詘(退)くるに足り北のかた以て燕を敗るに足り中は以て宋を挙ぐるに足りしも、燕と趙とちてこれを攻むるに及んでは槁(枯葉)を振うがごとし。

(同)

権謀→臨機応変のはかりごと。
緜緜→途絶えることなく続くさま。綿綿。
引→🈔③むながい。靷。靷→ひきづな。
詘→⑦したがう。したがえる。
拙訳です。
『このようであれば敵国も我が国を軽く見て同盟国は我が国を疑い謀が日々行われ国は危うく削減していくことから逃れられず、これが極まれば亡びる。斉国の閔王と薛公せっこうがこれにあたる。強国の斉を治めるのに礼義を修めるものでなく、政治宗教に基づくものでもなく、天下を一つにまとめることなく、ただ馬車のひきづなを結んで外を駆け続けることを仕事としただけだ。だからその強さは南の果ての楚を破るほど、西の果ての秦を従えるほど、北のかた燕を破るほど、中央では宋を捕らえるほどであったのに、燕と趙が共同して斉を攻めると枯葉のように振り落ちてしまった。』

而して身は死し国は亡びて天下の大戮と為り、後世に悪を言えば必ずここかんがう。是れ它(他)の故なし。唯其の礼義に由らずして権謀に由ればなり。[是れ権謀の立てば而ち亡ぶと謂いしことなり。]三者は明主の謹しみ択ぶ所以にして仁人の務めてあきらかにする所以なり。善く択ぶ者は人を制し、善く択ばざる者は人これを制せん。

(同)

戮→②はずかしめる。はじ。
稽→①くらべてかんがえる。
所以→①いわれ。わけ。理由。また、方法。
拙訳です。
『こうして自身は死に国は亡びて天下の大恥となり、後世では悪といえばこのことがまず考えられている。このことに他の理由はなし。ただその礼義に基づかずに権謀に基づいたからである。権謀を樹立してしまえば亡びてしまうといったのはこの事である。三者は(その選択による影響が大きいので)名君が慎重に選ぶ理由であり、仁ある人が出来るだけ努力して明らかにする理由である。正しく選ぶ者は人を制し、正しく選ばなかった者は人に制せられるであろう。』

おさらいをすると、国を治めるものは義を樹立すれば王者となり、信を樹立すれば覇者となり、権謀を樹立してしまえば亡びてしまうという内容でした。
王者の例として、殷王朝の湯王と周王朝の武王が挙げられていました。
覇者の例として、春秋の五覇が挙げられていました。
亡国の例として、今回斉国の閔王と薛公せっこうが挙げられました。
閔王は湣王であろうと思っています。
前回も書きましたが、この辺り宮城谷昌光の小説が詳しいです。『楽毅』に湣王が出てきますが、できればその前に『孟嘗君』を読んでいただき、『孟嘗君』→『楽毅』→『星雲はるかに』→『奇貨居くべし』と読み進んでいただくのがお勧めです。
ちなみに、『奇貨居くべし』が、私がほぼ毎日『荀子』を一所懸命読む端緒になっています。

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