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荀子 巻第九臣道篇第十三 1 その2

前回は、臣の種類として態臣・簒臣・功臣・聖臣の四種類を挙げて、それぞれの説明でした。
続きです。

故に聖臣を用うる者は王たり、功臣を用うる者はつよく、簒臣を用うる者は危うく、態臣を用うる者は亡ぶ。[而して]態臣のはたらくときは則ち必ず死し、簒臣のはたらくときは則ち必ず危うく、功臣の用くときは則ち必ず栄え、聖臣の用くときは則ち必ず尊し。

(「荀子」岩波文庫 金谷治訳注)

拙訳です。
『だから、聖臣を用いる君主は王となり、功臣を用いる者は強く、簒臣を用いる者は危険であり、態臣を用いる者は亡びてしまう。態臣が働く時は必ず君主は死に、簒臣が働く時は必ず身は危険にさらされ、功臣が働く時は必ず栄え、聖臣が働く時は必ず尊敬されるようになる。』

故に斉の蘇秦・楚の州侯・秦の張儀は態臣と謂うべきなり。韓の張去疾・趙
の奉陽・斉の孟嘗は簒臣と謂うべきなり。斉の管仲・晉の咎犯きゅうはん・楚の孫叔敖は功臣と謂うべきなり。いんの伊尹・周の太公は聖臣と謂うべきなり。是れ人臣のともがらなり。吉凶賢不肖の極(則)なり。必ず謹しみてこれをしるし慎しみて自ら択び取ることを為せば稽(考)うるに足らん。

(同)

極→④きめる。とりきめ。
志→③書きしるす。書いたもの。
拙訳です。
『斉国の蘇秦・楚国の州侯・秦の張儀らは態臣というべき者たちである。韓国の張去疾・趙国の奉陽・斉国の孟嘗らは簒臣というべき者たちである。斉国の管仲・晋国の咎犯きゅうはん・楚国の孫叔敖らは功臣というべき者たちである。いん王朝の伊尹・周王朝の太公らは聖臣というべき者たちである。これらが臣下の種類である。吉と凶、賢者と愚者の取り決めである。君主はこのことを注意を払って書き記し、慎重に自分で選択すれば考えるまでもないことだ。』

何回か書いていますが、僕は宮城谷昌光氏の小説が好きで『孟嘗君』もお気に入りの作品です。当然『孟嘗君』のファンでもあるのですが、荀子の評価は辛く「簒臣」となっています。ファンとして残念です。確かに『斉国の君主』の為に尽くした人ではないですね。斉国にとどまらず、魏国や秦国でも宰相を務めています。斉国の君主から見れば簒臣かもしれませんが、広く中国全体から見れば、違う評価になると思います。この一事でも、人の見方・評価というのは難しいなぁと思います。
参考までに、晋国の咎犯きゅうはんについては、宮城谷昌光氏の『重耳』に詳しく、いん王朝の伊尹・周王朝の太公・斉国の管仲については、それぞれ『小説 伊尹伝 天空の舟』『太公望』『管仲』という作品があります。勿論すべて面白く、お勧めです。

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