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荀子 巻第四儒效篇第八 1 その2

大儒のいさしお(功)の続きです。前回は、周公が幼い甥っ子の成王から統治権を奪い、周から民心が離れないように務めたのち、成王に位を返したところまで読みました。

天子なる者はわかくしては当るべからず、摂[位]を以ては為るべからず。能あれば天下もこれに帰し能あらざれば天下はこれを去る。ゆえに周公の成王をしりぞけて武王をぎて以て天下[の人心]をつなぎしは、天下の周を離れんことをおそ(畏)れたるなり。成王の冠し成人してより周公の周を帰(返)し籍をかえせるは、主をほろぼさざるの義を明らかにしたるなり。

(「荀子」岩波文庫 金谷治訳注)

摂→②かねる。代わって行う。
拙訳です。
『天子というものは若くしてなるものではなく、代わって行うものでもない。能力があれば天下を従わせられるが無ければ人心は離れてしまう。だから、人心が周から離れないように周公が成王を退けて武王を継いだのだ。成王が成人したのち周公がその位を返えしたことは、主君を滅ぼさない義を明らかにしたものだ。』
金谷先生の訳では、義を大義(人がふみ行うべき最高の道義)とされています。大儀とした方が重さが出てふさわしいですね。

この後、周公が武王の後を襲ったのは禅譲されたからではなく、成王が改めて天子になったのは略奪したからではない。大勢が変化し順番の区切りをそのようにしたのであると言い、周公の行動を越ではなく暴ではなく不順ではないとしています。

天下の和に因りて文武の業をげ枝と主との義を明かにして抑々そもそも亦た変化せるも、天下は厭然(安然)として猶お一のごとし。聖人に非ざればこれを能く為すこと莫し。夫れ是れを大儒のいさしおと謂うなり。

(同)

偃然→やすらかなさま。(前回に続きまた調べてしまいました)
大儒→すぐれた儒学者。また、大学者。
拙訳です。
『そもそも周公は変化を起こしたのだが、天下の和を保つために文王・武王の業績を継ぎ実行しのであり、本家と分家の義を明らかにして、変化があっても天下はやすらかなままであった。聖人でなければできない事であり、これこそがすぐれた儒学者の功績というべきものである。』

ものの見方(歴史的事実を含めて)には色々な角度があり、周公という人に対する見方も人により差があると思います。荀子の見方では周公の行動を聖人の行動であると評価しています。
周公はどのように書かれていたか、宮城谷昌光の「太公望」を読み返したくなってきています。

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