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荀子 巻第四儒效篇第八 1 その1

今回から巻第四となり、儒效(儒者の功績)篇に入ります。遅々としていますがコツコツと読み進んでいます。

大儒のいさおし(功)。武王の崩じて成王の幼なかりしとき、周公の成王をしりぞ(退)けて武王を(継)ぎて以て天下[の人心]をつな(繋)ぎしは、天下の周にそむかんことをおそ(畏)れたればなり。

(「荀子」岩波文庫 金谷治訳注)

登場人物の整理をしておかないと分かりにくいです。
中国古代周王朝の君主武王、武王の息子成王、武王の弟周公という三人の関係を、さらに文王は武王の父=成王の祖父であることを理解し、拙訳です。
『大儒の功績。武王が崩御された後成王は幼く、そのために天下の人々が周に背くことを恐れ、周公は成王を退けて武王を継ぎ、人心を繋ぎとめた。』
甥っ子が次ぐべき王位をオジサンが奪い取ったということですね。

天子の籍(位)をみ天下の[政]断を聴き偃然えんぜん(安然)としてこれを固有せるが如きも、天下を貪れりとは称せず。

(同)

政談→そのときの政治・政局についての議論や演説。
偃然→やすらかなさま。
固有→本来持っていること。
貪る→欲深く望む。飽くことなくほしがる。いくら続けても、まだあきない。
拙訳です。
『(周公が)天下の位を襲い、当然のように天下の政局の議論を聴きやすらかにしたが、欲深く天下を望んだと言われない。』
甥を差し置き、政治を仕切ったが誰もそれを悪く言わない、と言っています。この後兄を討つ例など良くないとされる事例を挙げ、それらについても非難されていないと説明します。

成王を教誨開道して道をさとらしめ能く迹を文武におそ(襲)わしめ、[遂に]周公 周を帰(返)して籍を成王にかえせしも、天下は周につかうることをめず。然り而して周公も北面してこれに朝したり。

(同)

教誨→教えさとすこと。
迹→あと。あしあと。あとかた。物事の行われたあと。
北面→②《昔の中国で、君主は南に、臣下は北に面して座ったところから》臣下または弟子の座。また、臣下として主君につかえること。
朝→③宮中に参内して天子にお目にかかる。
拙訳です。
『成王を教え諭し道徳・道理を理解させた後、成王に祖父文王・父武王のあとを襲わしめた。周公が成王にその位を返した後も、天下の人々は周に仕えることを止めなかった。周公も臣下として成王に仕えたのだ。』
オジサンの周公は居座らず、甥っ子の成王を教導した後その位を返しているというのはすごいですね。

ウイキペディアで周を調べてきたのですが、歴代王の項目で武王の次は成王になっており周公は入っていませんでした。周公は成王の代行として政を預かっただけであり王にはなっていなかったということですね。


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