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荀子 巻第五儒王制篇第九 1

今日から巻第五となり、王制(王者の法制)篇を読んでいきます。

政をすことを請い問う。曰わく、賢能は次を待たずして挙げ、罷[弱]不能は頃[刻]を待たずして廃し、元悪は教えを待たずして誅し、中庸は政を待たずして化す。分の未だ定まらざるともき則ち昭とぼく[穆]と有[るが如く判然た]り。

(「荀子」岩波文庫 金谷治訳注)

賢能→賢くて才能があること。また、その人。
罷→弱々しくて仕事に耐えられない者をいう、「荀子」では賢と罷を対照することが多いとの注あり。
挙げる→③上の段階や等級へ進ませる。
元悪→悪人たちのかしら。転じて、大悪人。元凶。
中庸→ふつう凡庸の中人のことである。との注あり。
政→③おきて。政治を行う上の法律・規則。
化する→②他の影響で心がけや行いなどが変わる。感化される。また、他に働きかける。感化する。
昭穆→古代の宗廟における序列で、左の昭と右の穆ほ混合しなかったとの注あり。
分→⑥見わける。わかる。
拙訳です。
『政治を行う事について問う。答えて、賢く才能がある人は次を待つことなくすぐに上の等級に進ませ、仕事ができない者は時をおかず辞めさせ、大悪人は教導することなく成敗し、普通の人は法律・規則を用いる前に感化させる。見分けがまだつかない時でも、混合しない昭と穆があるようにはっきりと判るものだ。』

王公士大夫の子孫と雖も礼儀にはげむこと能わざれば則ちこれを
庶人に帰し、庶人の子孫と雖も文学を積み身行を正して能く礼義に厲めば則ちこれを卿相士大夫に帰す。故に姦言・姦説・姦事・姦能・遁逃・反側(転々不安)の民は職としてこれを教えしゅ]にしてこれを待ち、これを勉めしむるに慶賞を以てし、これをこらしむるに刑罰を以てし、職に安んずれば則ち畜(養)い、職に安んぜざれば則ち棄つ。五疾(者)は上収めてこれを養い、材してこれをつか(役)い、官施(任用)してこれに衣食し、兼ね覆いて遺すこと無し。才行の時に反する者はころして赦すこと無し。夫れ是れを天徳と謂う。是れ王者の政なり。

(同)

須臾→短い時間。しばらくの間。ほんの少しの間。
棄てる→今までの関係を絶って、そのままかまわないでおく。見捨てる。
五疾→瘖龏(おしつんぼ)・跛(びっこ)・躄(いざり)・断者(手足のたちきり)・侏儒(こびと)をいう、との注あり。
材→役に立つ素質・能力。
才行→才知と品行。才能と行為。
拙訳です。
『王公士大夫の子孫であろうとも礼義に励むことができなければ一般人に落とし、一般人であろうとも学問を積み行動を慎んで礼義に励めば卿相士大夫
に引き上げる。だから、邪悪な言・邪悪な説・邪悪な事・邪悪な能・逃げだし・規則を守らない民には職を教えてしばらくの間待ち、努力を継続させるるのに恩賞を用意し、懲らしめるのには刑罰を用意し、職を安心して任せられるようになれば国民として養い、職を全うできなければ見捨てる。身体障碍者は政府が対応して養い、それぞれの能力に合わせて官の仕事をさせて衣食を賄えるようにするなど、全ての人を覆うようにもれなく対応する。才知と品行が時代に反する者は殺して許さない。これらを天徳というのだ。これが王者の政である。』

今日の文すごいです。能力があれば身分が低くても登用・活用し、身分が高くても能力が無ければ躊躇なく降格する。現代ではなく、身分制度ががっちり固まっている紀元前200年~300年に生きた荀子が、このようなことを言い切るというのはすごいと思います。
もっとすごいのは、紀元前200年~300年の荀子が身体障碍者の福祉政策を含めた政治を語っているところです。身体障碍者の方々をただ養うのではなく、その人に合う仕事を官で提供し、仕事とともにやりがいをも提供していると思わせる点は本当に素晴らしく、紀元前にこの発想、驚嘆しています。
「荀子」面白いな~。


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