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荀子 巻第四儒效篇第八 2 その1

秦の昭王、孫卿子に問いて曰わく、儒は人の国に益なきかと。孫卿子曰わく、儒者は先王に法とり礼儀をとうとび臣子を謹しましめてきわめて其の上を貴ばしむる者なり。

(「荀子」岩波文庫 金谷治訳注)

臣子→家来。臣下。
拙訳です。
『秦の昭王が荀子に尋ねた。
「儒者は人・国に利益をなさないのか。」
「儒者は、聖王を手本として礼儀を尊び臣下を慎ましくさせ上長を尊敬させる者です。」
と荀子は答えた。』
昭王の問いは、「利益をなさないのか。」と否定から入っていて、儒者を疑っている感じです。他の臣下から「儒者なんて役に立たない。」と吹き込まれたのかもしれません。昭王の疑念を晴らすべく、この後荀子は儒者の長所を挙げていきます。

  • 君主が儒者を用いれば、政をうまく運営する。

  • 君主が儒者を用いなければ、一般市民の中で誠を尽くし従う。

  • 儒者は、困窮し凍え飢えても邪道に走らず欲深いことはしない。

  • 儒者は、少しの土地も持たずとも国家の維持する大義を明らかにし、声をあげても誰も応じてくれない状況でも、全ての事をを為しとげて人々を治めるための法と秩序に精通している。

以上の例を挙げた後に次の文で一度まとめています。

勢の人の上に在れば則ち王公たるの[人]材なり、人の下に在れば則ち社稷の臣・国君の宝なり。窮閻(巷)漏屋に隠ると雖も、人のこれを貴ばざる莫きは、道の誠に[ここに]存すればなり。

(同)

社稷の臣→国家の危急存亡のとき、その危難を一身に引き受けて、事に当たる臣。国家の重臣。
国君→国の君主。国王。国主。
窮閻漏屋きゅうえんろうおく→大通りの裏にある荒れ果てた家のこと。窮閻→貧しい町の中。漏屋→が漏れる家、荒れ果てた家。
道→⑤物の道理。ことわり。また、人として踏まなければならないとされる行動の筋道。道徳。
拙訳です。
『(儒者が)人の上の位に着けば王公となれる人材であり、人の下にあれば国家の重臣・国主の宝となります。大通りの裏にある荒れ果てた家に隠棲していても、人が尊ばないことがないのは、ふみ行うべき道徳を備えているからです。』

ここまでの荀子の説明には実例がありません。『本当にそうかな?』という疑いを消すべく、ここから先孔子を実例とした回答が提示されます。
ということで、秦の昭王に対する荀子の答えはまだまだ続くのですが、続きは次回とします。

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