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友が去るとき

 この二人が揃う後ろ姿を見ることは、もう長らくないだろうな、と思う。ずいぶん前に色々あって、一緒に滑ることがなくなったから。いつも3人一緒に滑っていた頃があって、懐かしく思う。

 私のある”親友”も、数年前去っていった。・・・と書くと色々語弊がありそうだけれど、連絡を取らなくなった。
 札幌に来た頃、その友人が長期で遊びに来た。その頃は、子供が3ヶ月。知り合いなんて誰もいないので(今もいないけど)それは嬉しかったが、毎日が必死すぎ、産後で体力も一番なくなっていたときだったので、友人の存在は嬉しくもあり、もてなすのも大変でもあった。彼女は毎日どこかへ遊びに行ったり気晴らしに観光でもしてくるのかなと思っていたけれど、そうではなくて、ずっと家にいて、かと言って家事を手伝ってくれるわけでもなく(流石に洗濯物を干すことくらいはやってくれた)、いつ帰るのかも全然わからない。今思えば遊びに行くのも遠慮していたのだろうし、私も気を遣わず過ごせばよかったのかもしれないが、そうはいかず、やっぱりお客さんであり、私なりに気を使いつつもてなすうちに無理を続けて、徐々に、赤ちゃんの世話と友人の世話で疲労がピークに達し、いっぱいいっぱいになってしまった。

  そして10日目のこと、ついに限界になった。

 その後、結果的には私は彼女に「ひどいこと」を言った形になり、彼女は何も答えず次の日帰って行った。ひどいことと言っても、もう限界であり、いつ帰るのかもどうしたいのかも話してくれない人と一緒にいるのがしんどい、というような内容だったのだけど、私はひどく後悔もした。それから2年が経つけれど、あれからおそらく二度ほど連絡を取ったか取らないか。

 それまでは毎日連絡を取りチャットもしていた友人だったので、私にとってはショックだったが、今思い出してもポジティブとネガティブの両方の感情と想いがある。今でも考えれば考えるほど、わからなくなる。あれほど仲が良かったので、少し本音を話したことで壊れるとは思ってもいなかったが、実は仲が良いと思っていたのは自分だけだったのか。彼女が何を考えていたのか今でも全然わからない。ということは、結局それほどでもない関係性だったのか。

 時々思い出すけれど、あまり深く考えるのはやめにしている。自分を責めることも、彼女を責めることも。あの時私は精一杯だったのだから、それでいいではないかと。言い難い本音を言って、スッキリしたし、それは仕方がなかった。新しい生活の中で、色々なバイブレーションが変化していき、離れるものとは離れてしまうものだと、どうしても道が分かれてしまうものもある、と。もし、また出会うべき魂ならば、その時はその時再会するだろう、くらいで。もう会わない、なんて意地も張る必要もない。

 ただ、彼女は去ったのだ。


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 話は最初の友人たちに戻るが、この二人の「わかれ」以来、長らくこの一人とは連絡していなかったが、子供をきっかけにまた、彼女の故郷が札幌ということもあり、連絡する機会が増えつつある。

 人との出会いと分かれは、人生の岐路とともにあるのだなと思う。

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