見出し画像

ノルマンディーの濁り水【戯曲】

【これは、劇団「かんから館」が、2016年10月に上演した演劇の台本です】

加藤清正とジョン・レノンとDデイが登場して、それらのモチーフたちが、ひっくり返したおもちゃ箱のように散らばってる。そんな不思議な話です。

     〈登場人物〉

      ミサキ
      マナ
      加藤清正と名乗る男



   ドアチャイム。ピンポーン。

   部屋。
   ミサキとマナがいる。加藤がいる。

加藤   加藤清正じゃ。
ミサキ・マナ  え?
加藤   加藤清正じゃ。
ミサキ・マナ   はあ?
加藤   だから、加藤清正と申しておる。
ミサキ・マナ   ‥‥‥。(顔を見合わせる)
加藤   さては、うぬら、加藤清正を存ぜぬと申すか?
ミサキ  だから‥‥
マナ   何?
加藤   このたわけが! 加藤清正を知らぬとは、非常識にも程があるわ!
ミサキ  加藤‥‥
マナ   さん?
加藤   左様。加藤清正じゃ。
ミサキ  それで、その、加藤さん。
加藤   何じゃ?
マナ   何の御用でしょうか?
加藤   ん? 何の御用とな?
マナ   はあ。まあ。
加藤   アッハッハッハッ。この期に及んで左様な申し開きが通ずるとでも思っておるのか?
マナ   は、はあ?
ミサキ  あの。何のことでしょう?
加藤   しらばっくれても無駄じゃ。愚かな事よ。
ミサキ  いや、だから、何のことかさっぱりわかりませんから。
加藤   誠に左様に申すか?
ミサキ  サヨウも何も、ほんとに何なんですか?
マナ   ほんと、いきなり加藤清正とか言われても、わけわかんないですよ。
加藤   なるほどな‥‥。そちらの言葉に道理なくもない。では‥‥問われて語るもおこがましいが、知らざあ言って聞かせやしょう。(ポーズ)
ミサキ・マナ   ‥‥‥。(顔を見合わせる)
加藤   受信料、払ってないでしょ?
ミサキ・マナ   え? 受信料?
加藤   そう、受信料。
ミサキ  受信料って‥‥
マナ   もしかして?
加藤   そう。そのもしかよ。あんたら、加藤清正知らないってことは「真田丸」見てないよね。
ミサキ・マナ   真田丸!
加藤   そう。大河ドラマの「真田丸」。
ミサキ  ああ。あなた、NHKの人なんですか?
加藤   違うよ。
ミサキ  え? でも、だって。
加藤   受信料は国民の義務だよ。日本国民の三大義務。
マナ   何それ?
加藤   あんたら、学校行ってたの? 小学校で習うじゃん。
マナ   え?
ミサキ  三大義務って‥‥。
マナ   そんなのあったっけ?
ミサキ  さあ?
加藤   もう、話にならんな。だからイマドキの若いもんは‥‥。
ミサキ  だから、三大義務って?
加藤   だから、あれだよ。受信料の義務と受信料の義務と受信料の義務。
ミサキ  何よ、それ?
マナ   それに、あれよ。そもそも「真田丸」見てなかったら、受信料払わなくていいんじゃないの? NHK見てないんだから。
ミサキ  そうそう。うちにはテレビもないんだからね。
加藤   馬鹿だなあ。‥‥お前らスマホ持ってるだろ?
マナ   え?
加藤   持ってるよな。スマホぐらい。
マナ   まあ、そりゃ。
加藤   じゃ、受信料払わなくちゃいけないの。
マナ   え、どうして?
加藤   もしかして新聞も読んでないの?
マナ   え?
加藤   ワンセグ使ってたら受信料がいるんだよ。そう決まったの。
ミサキ  え、どうして?
加藤   どうしてもこうしてもないの。偉い人が決めたの。それが新聞に書いてあるの。
ミサキ  そんなあ‥‥。
マナ   てか、何かどさくさにしっかり部屋の中に入り込んでるけど、あなたいったい何なの?
加藤   加藤清正じゃ。
マナ   だから、そんな人はいません!
加藤   いるって。加藤清正は太閤殿下の一の子分で、朝鮮出兵で虎退治をした強者で、熊本藩の初代藩主で、熊本城を作ったのも‥‥
マナ   だから、そんなの関係ないから!
加藤   え? ‥‥関係ないって?
マナ   もう、死んでます。お亡くなりになってます。
加藤   いつ?
マナ   とっくの昔に。
加藤   あ、そうなの?
マナ   はい。‥‥ミサキ、警察に電話して。
加藤   け、警察?
マナ   はい。‥‥ミサキ、警察。
ミサキ  でも、こういう時は、あんまり刺激とか与えない方がいいんじゃない? 警察とか言ったら、ほら、犯人が逆上とかしたらヤバイから。
加藤   犯人?
マナ   でも、もう言ってるし‥‥。
ミサキ  あ、そっか。
マナ   うん。
ミサキ  それもそうだね。(と、スマホを手にする)
加藤   誰が犯人じゃああああああああ!
マナ   もう、大きな声出さないでよ! 何時だと思ってんの? 近所迷惑でしょ!
加藤   あ、すんません。
マナ   静かにお願いします。
加藤   はい。‥‥で、誰が犯人なんですか?
マナ   あなたです。
加藤   え? オレ?
マナ   はい。
加藤   でも、犯人って、ちょっと穏やかじゃないなあ。
マナ   あのね。あなたがやってるのは、立派な犯罪行為なんですよ。
加藤   え? 犯罪?
マナ   そう。住居侵入罪って言うんです。
加藤   住居侵入罪?
マナ   はい。人の家に上がり込むのは住居侵入罪です。
加藤   なるへそ。‥‥それじゃ、あなたも犯人だよね。
マナ   え?
加藤   ほら、あなたも人の家に上がり込んでいる。
マナ   はあ?
加藤   (ミサキに)あなたも住居侵入罪ですよ。
ミサキ  え? ‥‥この人、何言ってるの?
マナ   さ、さあ?
加藤   お母さんが、お買い物に行って、帰ってきたら住居侵入罪。子供がランドセルしょって学校から帰ってきたら住居侵入罪。お父さんが酔っ払ってタクシーで帰ってきたら住居侵入罪。なんだ、みんな仲間じゃないですか。アッハッハッハ。
マナ   いや、だからね、自分の家に帰ってくるのは住居侵入じゃないから。
加藤   じゃあ、ここが私の家だったとしたら?
マナ   え?
加藤   ここが、私の帰るべき場所だったとしたら?
ミサキ  え?
加藤   お前たちからしたら、私はもう赤の他人かもしれん。十五年もお前たちをほったらかしにしたのだから、それは無理もない。オレに今更帰ってきたなどと言う資格がないことも重々わかってはいるのだよ。でもな、でもな、それでも、オレの帰るべき場所は、ここしかなかったのだ。だから、もし、許されるなら、ただ一言、一言だけでいい。「お帰りなさい」と言ってくれれば、それだけで気が済むんだ。(泣き出す)
マナ   え?
ミサキ  え?
マナ   あのぅ‥‥それは、もしかして‥‥
ミサキ  もしかして、あなたは‥‥
加藤   いや、もう、それ以上言わないでくれ。もはや、オレは、お前たちにとって、ただの通りすがりなのだから。家に入れば警察に通報される男なのだから。でもな。これだけは覚えておいてほしい。何度も何度もためらって、震える手でドアチャイムを鳴らした時、何のためらいもなくドアを開けてくれたお前たちの優しさが、どんなにうれしかったことか‥‥。(泣く)
ミサキ  あの。マナ、ちょっと。
マナ   ああ。
ミサキ  すいませんけど、そこでちょっとゆっくりしてて下さいね。
加藤   ああ。おかまいなく。(と、泣き続ける)

   ミサキとマナ、部屋の隅に移動。

ミサキ  ‥‥どう思う?
マナ   どうって?
ミサキ  だから、あのおじさん。
マナ   ひょっとして?
ミサキ  いや、それはないんじゃない?
マナ   でも、十五年って言ってたよね。
ミサキ  それは、そうなんだけど。
マナ   じゃあ?
ミサキ  頭がね、アレなんじゃないかな?
マナ   アレって?
ミサキ  だから(クルクルパーの手振り)
マナ   ああ。確かに。
ミサキ  でしょ?
マナ   でも、じゃあ、十五年は?
ミサキ  偶然じゃない?
マナ   かなあ?
ミサキ  あんな顔だった?
マナ   うーん。よく覚えてない。何せ子供の頃だからねぇ。
ミサキ  写真もないしさあ。
マナ   だよねー。
ミサキ  どうもイメージが違い過ぎるんだよねぇ。
マナ   まあ、そう言えば、そうかな?
ミサキ  だから、やっぱりアレだよ。(クルクルパー)
マナ   かなあ。
ミサキ  だって、加藤清正だよ?
マナ   ああ、そうだよねぇ。
ミサキ  ほんと、変なの入れちゃったよねぇ。
マナ   だよねー。
ミサキ  どうして確認しないで開けちゃったの?
マナ   開けてないよ。カギが開いてたの。
ミサキ  え、そうなの? ますます怪しいじゃん。
マナ   やっぱ、そうだよねー。
ミサキ  で、どうする?
マナ   どうって?
ミサキ  警察。私はしない方がいいと思うんだ。メンタル系のは、警察沙汰にするとややこしくなるから。
マナ   かな?
ミサキ  そうだよ。それに、暴れでもしたら、ほんとヤバイから。
マナ   それは、そうだね。
ミサキ  だから、うまく言い含めて、お帰りいただくのがいいと思うのよ。
マナ   そうかもねぇ。
ミサキ  じゃ、その線で。
マナ   らじゃあ。

   ミサキ、マナ、戻って来る。
   加藤、寝ている。

マナ   あ、寝てる。
ミサキ  こいつー。
マナ   もうこのままにしとく? 寝てたら一応安全だし。
ミサキ  そうもいかないわよ。いつ起き出すかわかんないし。そしたら、私たち、寝られないじゃん。
マナ   それは、そうだ。
ミサキ  起こすよ。おはようございまーす。
マナ   おはようございまーす。

   加藤、起きない。

ミサキ  くそう。せーの、
ミサキ・マナ   おはようございまーす!
加藤   う、うん? うーん。もう、ダメ。ダメよ。そこじゃないから。
ミサキ・マナ   ‥‥‥。(顔を見合わす)
ミサキ  何これ?
マナ   さあ?
ミサキ  おい、おっさん! さっさと起きんかい!
加藤   うーん。だから、それはダメだってぇ。
マナ   ‥‥私がやってみる。
ミサキ  うん。
マナ   警察だ。住居侵入罪で逮捕する。

   加藤、起き上がって、正座。

加藤   お代官様。後生でございます。それだけはご勘弁を。うちには小さな乳飲み子が腹をすかせて‥‥あれ?
ミサキ・マナ   あははははは。
加藤   くそ。こいつは一本取られたなあ。
全員   あはははははは。
マナ   ‥‥ということで、加藤さん。
加藤   はい。
マナ   そろそろ、いかがですかねぇ?
加藤   はい?
マナ   もう、十分堪能なさったのではないかと思うのですが‥‥。
加藤   え? 何を?
マナ   いや、だから‥‥わかるでしょ?
加藤   わかんない。
マナ   あの‥‥だからですね。
加藤   はあ。
ミサキ  あのぅ‥‥あなたにもおうちがあるでしょう?
加藤   え?
ミサキ  もう、夜も遅いから、おうちの人が心配してるんじゃないですか?
加藤   え?
ミサキ  楽しい時間はあっという間に過ぎ去ってしまうものです。名残惜しさは山々ですが、明日という日がないじゃなし。続きはまたの機会ということで‥‥。
加藤   ああ、ああ、そういうことね。
ミサキ  え。
加藤   もう、持って回った言い方するから、わかんなくなるじゃない。
ミサキ  ああ、どうもすみませんでした。じゃあ?
加藤   ご心配かけてすみませんね。幸い、私には帰る家も待ってる家族もありません。ですから、どうぞお気兼ねなく。
ミサキ・マナ   ‥‥‥。(顔を見合わせる)
マナ   ‥‥いや、そういうことじゃなくってですね。
ミサキ  だから、もうこんな時間ですから、明日もあることですし、そろそろ良い子はねんねして‥‥。
加藤   ああ、それもそうですね。どうぞ遠慮なくおやすみになって下さい。
ミサキ  いや、だから、あなたも寝なきゃならないでしょ?
加藤   大丈夫です。布団なんかいりませんから。野宿には慣れてますので。
ミサキ  野宿?
加藤   いやあ、お恥ずかしい限りです。わたくし、恥の多い生涯を送ってきました。
マナ   ‥‥いや、だから、そういうことじゃなくってですね。
ミサキ  もう、どう言ったらいいのかな? ああ言えばこう言うし。
マナ   ひょっとして、この人、ワザとじゃないの?
ミサキ  ワザと?
マナ   ワザとわかんないふりしてとぼけてんのよ。わかった。ここは、単刀直入、一球入魂で。
ミサキ  え? 大丈夫?
マナ   まかせて。
ミサキ  ‥‥‥。
マナ   あのですね。加藤さん。
加藤   あ、はい。
マナ   そろそろ帰っていただけませんでしょうか?
加藤   は?
マナ   帰って下さい!
加藤   ‥‥‥。
マナ   ‥‥‥。
加藤   ‥‥ということは、あれですか?
マナ   え?
加藤   主様は、もう私をお見限りになられるのですね。(泣きだす)
マナ   は?
加藤   それは‥‥それはいくらなんでもご無体な。あまりと言えばあまりの仕打ち。
離せこの売女め。お前とは今宵限りだ。
貫一さん。切れろ別れろは芸者の時に言う言葉。今のあたしにゃ、いっそ死ねと言って下さいまし。
ああ、お宮、ダイヤモンドに目がくらみ、よくも僕を裏切ってくれたな。今月今夜のこの月を、来年の今月今夜のこの月を、十年後の今月今夜のこの月を、僕の涙で曇らせてみせるぞ。
マナ   ‥‥‥。あの。
加藤   僕の涙で曇らせてみせるぞおー。(ポーズ)
マナ   お取り込み中、すみませんが、
加藤   曇らせてみせるぞおー。(ポーズ)
マナ   何やってんですか?
加藤   見て、わかんない?
マナ   いや、わかんなくもなくもないですけど‥‥。
加藤   じゃ、いいじゃん。
マナ   いや、そういうことじゃなくって‥‥。
加藤   十年後の今月今夜のこの月を‥‥
ミサキ・マナ   ごまかすな!
加藤   ‥‥そんな‥‥そんな言い方しなくてもいいでしょ?
ミサキ・マナ   ‥‥‥。
加藤   親もいない、恋人もいない、仕事もない、そんなないないづくしの中、冷たい世間の風に打たれてながら、肩寄せ合って生きてるけなげな二人の、その冷え切った心をかすかに温めるぬくもりになりたくて、暗闇を照らす小さなともしびになりたくて、老骨にむち打ち、ここまでやっては来たのだけれど‥‥。
ミサキ・マナ   ‥‥‥。
加藤   でも、それは仕方のないことなんだよね。思い起こせば、十五年前のあの寒い朝、全てはあそこから始まったんだ。あの日の空はどこまでも青く、朝日に照らされた霜柱が、ほんとにダイヤモンドのようにキラキラと輝いていたことを今でもはっきり覚えているよ。
マナ   だから!
ミサキ  そう言うあなたは誰?
加藤   名前? ‥‥フッ。そんなもの、持ってた頃もあったっけな。遠い遠い昔の話さ。気まぐれな秋の風とさざ波にさらわれて夜霧の向こうに消えちまったよ。
オレがいったい誰だって? それを聞いて何になる? そんなつまらねぇことにこだわるのはもう卒業しなよ。子猫ちゃん。
オレがたとえ加藤清正でなかったとしても、エイブラハム・リンカーンでなかったとしても、ジェームス・ディーンでなかったとしても、いったいそれに何の意味があるんだい? ただ、オレがいて、お前がいる。ザッツオール。それ以上に何が必要だって言うんだい?
ミサキ・マナ   ‥‥‥。
ミサキ  やっぱり、この人アレだわ。かなり重症。
マナ   みたいね。
ミサキ  もう、しょうがないわねぇ。今度は私がやってみる。
マナ   大丈夫?
ミサキ  大丈夫‥‥かなあ? あんまり自信はないけど‥‥。
マナ   がんば!
ミサキ  うん。
‥‥あの、加藤さん。
加藤   ‥‥‥。
ミサキ  加藤さん。
加藤   ‥‥‥。
ミサキ  加藤さんってば!
加藤   ‥‥名前は捨てたと言ったはずだ。
ミサキ  ええ。めんどくさいなあ。じゃあ‥‥じゃあ、あなた、あんた、お前、貴様!
加藤   何か用かい?
ミサキ  取り引きをしようよ。取り引き。
加藤   取り引き?
ミサキ  そう、取り引き。
加藤   何の取り引き?
ミサキ  あなたはさ、どうしたら帰ってくれるの? 条件を言ってよ。
加藤   帰らないよ。ここがオレの居場所だ。
ミサキ  うーん。‥‥まあ、まあ仮にそういうことにしておきましょう。それで、仮にそうだとしても、とりあえず、私たちは、あなたに帰ってほしいわけですよ。どうしたら帰ってもらえるんですか?
加藤   だから、帰らないって。今、帰ってるんだから。
ミサキ  うーん。‥‥私の言い方がまずかったみたいですね。ごめんなさい。訂正します。‥‥帰ってもらうんじゃなくて、出て行ってほしいんです。
加藤   出て行く? どこへ?
ミサキ  さあ、それは、私たちには分かりかねるんですが‥‥。とりあえず、あなたはどこかからやって来たわけでしょ? ここに来る前は。とりあえず、そこにお戻りになればいいかと‥‥。
加藤   ‥‥どこから来て、どこへ行くのか?
ミサキ  え?
加藤   ♪この道はいつか来た道。ああそうだよ。
ミサキ  え?
加藤   To be or not to be,That is the question!
ミサキ  は?
加藤   Let it be, let it be.Let it be, let it be.
there will be an answer, let it be.
ミサキ  ‥‥‥。
加藤   ‥‥よかろう。話はわかった。
ミサキ  え?
加藤   出て行ってやらなくもなくもなくもない。
ミサキ  ええ?
マナ   どっち? 出て行くの? 行かないの?
ミサキ  えーっと、なくもなくもなくも‥‥よくわかんない。
加藤   ただし、それには条件がある。
ミサキ・マナ   あー、はい。はい。
ミサキ  あの、それは、何でしょう?
加藤   やらせて。
ミサキ・マナ   は?
ミサキ  ‥‥あのぅ、よく聞こえなかったんで、もう一度言っていただけませんか?
加藤   やらせてほしいの。
ミサキ・マナ   ‥‥‥。
ミサキ  あのぅ‥‥それは‥‥どういう意味でしょうか?
加藤   やだあ、そんなこと言わせないで。恥ずかしいでしょ。イ・ジ・ワ・ル。

   マナ、歩いて行く。ツカツカツカ。
   ビンタ! バシッ!

マナ   おっさん! ええかげんにしとけよ! 人が下手に出たらつけ上がりくさって!
加藤   顔はやめて! 顔は女優の命だから。
マナ   はあ? まだわけのわからんことをぬかしくさって!

   マナ、手を振り上げる。
   ミサキ、マナの肩をトントン。

マナ   え?
ミサキ  ちょっと。
マナ   何?
ミサキ  いいから。

   ミサキとマナ、部屋の隅に移動。

マナ   何なの?
ミサキ  だからさ‥‥やらせてみない?
マナ   はあ?
ミサキ  やらせたら出て行くって言ってるんだから。
マナ   あ、あんた、何言い出すの? 気は確か?
ミサキ  別に減るもんじゃないしさあ‥‥。
マナ   そういう問題じゃないでしょ?
ミサキ  ダメかな?
マナ   だから、ダメも何も‥‥。
ミサキ  だって、あのおっさん、めんどくさいじゃん。
マナ   ‥‥‥。
ミサキ  もう、相手するの疲れちゃったのよねぇ。
マナ   あの、それ‥‥本気で言ってるわけ?
ミサキ  うん。
マナ   そんなこと言われると、あなたもあいつの仲間なのかと思わざる得なくなるわよ。
ミサキ  あいつの仲間って?
マナ   (クルクルパーの手振り)
ミサキ  ひどーい。それはあんまりだわ。
マナ   それは、私のセリフだよ。
ミサキ  それ、どういう意味よ?
マナ   お願いだから、あなただけはおかしくならないで。私、マイノリティーにはなりたくないのよ。
ミサキ  マイノリティー?
マナ   だって、そうじゃん。今、この部屋には三人しかいなくってさ、そのうち二人がキチガイで、私だけがまともだとしたら、キチガイがマジョリティーで、私がマイノリティーになるじゃない。
ミサキ  ああ、なるほどね。
マナ   そしたら、この部屋の中の常識では、キチガイが正常で、私が異常ってことになるでしょ?
ミサキ  え? どうして?
マナ   それが民主主義っていうものなの。
ミサキ  ああ、そうなんだ。よくわかんないけど。
マナ   私、異常にはなりたくないの。
ミサキ  ふーん。
マナ   私はね、自慢じゃないけど、子供の頃から良い子で生きてきたのよ。親の言いつけに逆らったことはないし、先生の指示には必ず従ってきたの。選挙だって自民党以外には入れたことがないわ。常に人生の表街道を歩く、陽の当たる所を堂々と歩く、それが私なのよ。それがポリシーであり、アイデンティティーであり、レーゾンデートルなわけよ。
ミサキ  ふーん。
マナ   だからさ、たとえ、こういうアブノーマルな状況においてさえ、少数派にはなりたくないわけ。
ミサキ  じゃ、どうすんのよ?
マナ   だから、あなたが私の側に付いてくれるのが一番いいんだけど、もし、それが無理だというのなら‥‥。
ミサキ  無理なら?
マナ   まあ、早い話、私がそっちに入るしかないのよねぇ。
ミサキ  そっちに入るって?
マナ   (クルクルパーの手振り)
ミサキ  あはははは。そりゃいいわ。それおもしろーい。
マナ   もう! 笑い事じゃないんだから! 真面目に聞いてよ!
ミサキ  ごめーん。
マナ   もう!
ミサキ  ‥‥で、どうするのよ。
マナ   どうしたもんじゃろなあ?
ミサキ  やらせる?
マナ   それは、ないない。
ミサキ  じゃ、どうすんの?
マナ   うーんとねぇ‥‥そうねぇ‥‥そもそも、なかったことにしたいのよねぇ。
ミサキ  え? なかったこと?
マナ   だから、初めから彼がいなかったことにすればいいのよ。それで丸く収まるでしょ?
ミサキ  まあ、それはそうだけど、そんなことできるの?
マナ   消えてもらおうか?
ミサキ  え?
マナ   うん。やっぱりそれしかないよね。
ミサキ  え? ええ?
マナ   ミサキ、台所から包丁持って来てくれない?
ミサキ  え? 包丁? 包丁をどうすんの?
マナ   包丁と言えば‥‥決まってるでしょ?
ミサキ  あ、ああ‥‥そうよねぇ。
マナ   うん。
ミサキ  あなた、案外過激派なのね。
マナ   私はね、やる時はやる人なの。
ミサキ  ‥‥何かドキドキするね。
マナ   うん。
ミサキ  何かワクワクする。
マナ   うん。‥‥じゃ、行こうか?
ミサキ  う、うん。

   ミサキ、マナ、戻って来る。
   加藤、寝ている。

ミサキ  あ、また寝てる。
マナ   いいんじゃない? その方が好都合かも。
ミサキ  あ、そっか。
マナ   でしょ? ‥‥じゃあ、お願いね。
ミサキ  あ、ああ、はい。

   ミサキ、去る。
   マナ、加藤を見つめている。

加藤   う、ううーん、だから、それはやめて。それはダメなの。

   間。

マナ   今更、ダメって言われてもねぇ‥‥。

   間。

加藤   ママ。ママ。恐くて寝られないの。助けてママ。

   間。

マナ   はいはい。ママがすぐにぐっすり寝られるようにしてあげまちゅからねぇ。

   マナ、笑う。

   音楽。
   暗転。


   部屋。
   中央に布団に寝かされている加藤の死体。顔に白布。
   そばに、マナとミサキが座っている。
   沈痛な雰囲気。長い沈黙。

マナ   どうぞ。顔を見てやって下さい。
ミサキ  はあ。
マナ   さあ、どうぞ。
ミサキ  はあ。
マナ   さあ‥‥遠慮なさらないで。
ミサキ  はあ‥‥でも。
マナ   でも?
ミサキ  この人死んでるんでしょ?
マナ   はあ‥‥まあ。
ミサキ  要するに‥‥ぶっちゃけ死体ですよね。
マナ   まあ‥‥そうですね。
ミサキ  私‥‥死体、苦手なんですよ。
マナ   はあ?
ミサキ  死体、気持ち悪いんです。
マナ   はあ。‥‥まあ、普通、そんなに死体がお好きな人はあまりいらっしゃらないと思いますが‥‥。
ミサキ  ですよねー。
マナ   でも‥‥やはり、あなたには見てやっていただきたいんです。
ミサ   ‥‥ですよねぇ。
マナ   はい。

   長い沈黙。

マナ   ‥‥あの。
ミサキ  はい。
マナ   やっぱり、どうしてもイヤですか?
ミサキ  はあ‥‥まあ‥‥できることなら。
マナ   ‥‥そうですか。‥‥まあ、そこまでおっしゃるなら、無理にとは言いません。
ミサキ  はあ。
マナ   でも、わざわざここまでやって来られたということは、この人に対するそれなりの思いがおありなのでしょう?
ミサキ  はあ‥‥まあ、そうなのかもしれませんね。
マナ   それは、どんな思いですか?
ミサキ  え?
マナ   それは、いわゆる一つの愛ですか?
ミサキ  え?
マナ   もしよければお話しいただければ、と。それが、故人への供養にもなるのではないか、と。
ミサキ  ‥‥はあ。
マナ   ‥‥私のこの人への感情は、結構複雑なんです。正直言って、ここに座っている今現在も、どういう風に整理したらいいのか迷っています。
ミサキ  ‥‥はあ。
マナ   「愛憎半ばする」という言葉がありますが、私には果たしてその愛の部分が存在するのか、と。ひょっとしたら、憎しみだけなのかもしれません。いや、「憎しみ」というありふれた言葉では表現しきれない、そんな心の澱(おり)のような感情が‥‥。
ミサキ  オリ?
マナ   そう、澱です。水の流れがよどみ、時間が経つと、やがて沈殿物が底の方にたまってきますよね。それが澱です。
‥‥私たちの関係は、まさによどみでした。いつのまにかお互いの心と心がすれ違うようになり、やがて流れを止め、そしてそよとも動くことがなくなって、長い月日が過ぎました。
ミサキ  ‥‥はあ。
マナ   愛の反対は何か、ご存知ですか?
ミサキ  え? ‥‥憎しみ‥‥ですか?
マナ   違います。憎しみは、相手にかかわろうとするだけ、まだマシなのです。愛の反対は、無関心です。
ミサキ  ああ‥‥何か、聞いたことがありますね。
マナ   私たちの関係は、そんな無関心に限りなく似ていました。あの人がいて、私がいて、ただそれだけでした。ただそれしかない時間と空間でした。それは、まるでさざ波さえたたない凪(なぎ)の海。そして、心の澱は、忘れられた遠い記憶。
ミサキ  ‥‥‥。
マナ   あの、パソコンのデータはなかなか消えないって知ってました?
ミサキ  え? ‥‥何ですか、それ?
マナ   画面上でデリートするとパソコンのデータは消えますよね。もっとちゃんと消したかったらフォーマット。でもね、あれってほんとは消えてないんですよ。表面的にデータを見えないように処理しているだけで、実は元のデータは残っている。だから、復元ソフトとか使うと、完全に復元できるんです。もっと複雑に破壊されたデータなんかは、復元してくれる専門の業者なんかもあります。
ミサキ  ‥‥‥。
マナ   人間の記憶もそんなもんじゃないかって思うんですよね。忘れたはずの記憶も、脳のどこかに実は残っている。でも、よっぽど大事なデータじゃなかったら、わざわざ復元なんかしようと思いませんよね?
ミサキ  ‥‥はあ。
マナ   だいたいね、復元業者って料金が高すぎるんですよ。いくらだと思います?
ミサキ  え? さあ?
マナ   三十万とか五十万とか普通にするんですよ。ヘタすると百万なんてのもある。それだけ払ってまで復元しようというデータってありますか?
ミサキ  それは、高いですねぇ。
マナ   だからね、復元はできるはずなんだけど、ほとんど復元はされない。そんな忘れられた記憶の痕跡みたいなのが、頭の中にウジャウジャたまってるんですよ、きっと。
ミサキ  ‥‥‥。
マナ   で、思い出せないんだけど、覚えているような‥‥。覚えているようで、覚えてないような‥‥。そんなあやふやな感情の影みたいなのがこんがらがってドヨーンと残ってて‥‥。でも、もう、今更どうでもいいやって思うんだけど‥‥。
ミサキ  あのぅ。
マナ   はい?
ミサキ  何か、そういう難しい話が好きなんですか?
マナ   え?
ミサキ  私、考えるのって苦手なんですよ。めんどくさいんですよ。ぶっちゃけ言って。
マナ   ああ、そうなんですか。
ミサキ  だから‥‥その、何でしたっけ? 愛でしたっけ? 記憶でしたっけ? そんなの、関心がないって言うか、どうでもよくって‥‥。
マナ   はあ‥‥。
ミサキ  ここに来たのも、ぶっちゃけお金の話なんです。
マナ   お金‥‥。
ミサキ  ほら、人が死んだら、遺産相続ってのがあるじゃないですか。あれってどうなのかなあって。私も貰えないのかなあって。
マナ   遺産相続‥‥遺産ですか。
ミサキ  はい。遺産相続。
マナ   どうでしょうねぇ? この人に遺産なんて呼べるような立派なものがあったとは思えないんですが。
ミサキ  一円も?
マナ   ええ。借金ならあったかもしれませんが‥‥。どうします? 借金も相続できるんですよ。法律的には。
ミサキ  借金を相続するって、どうやるんですか?
マナ   簡単です。この人に代わってあなたが借金を返せばいいんです。
ミサキ  ええ? そんなの損じゃないですか?
マナ   ええ、損です。
ミサキ  そんなのイヤです。
マナ   まあ、普通そうですよね。
ミサキ  どうしたらいいんですか?
マナ   まあ、その前に、遺産相続と言うのなら、この人とあなたとの関係が問題になってくると思いますが。
ミサキ  関係、ですか?
マナ   はい。法的な関係性。
ミサキ  わかりません。
マナ   え? そんなことはないでしょう?
ミサキ  だから、さっきも言ったでしょ? 難しいのは嫌いなんですよ。
マナ   そう言っても‥‥。
ミサキ  ムフフの関係とか、グニャグニャの関係とか、バキバキの関係とか、ボヨヨヨーンの関係とか、そういうのじゃダメなんですか?
マナ   たぶん、ダメでしょう。
ミサキ  えー、めんどくさーい。
マナ   まあ、世の中ってのは、大抵の場合、そういうどうでもいいようなめんどくささに満たされて成立しているのですよ。お気の毒ですが。
ミサキ  えー、だってー。
マナ   じゃあ、こういうのはどうです? 仮に関係性を立てて考えてみるってのは?
ミサキ  仮に関係性を立てる? 何ですか、それ?
マナ   まあ、そもそも関係性ってのは、ほんとのところ、どれほど意味があるのかわからないような危うい虚構性の中に内包されているのです。だったら、それをでっちあげてしまっても、さほど大差はないわけです。
ミサキ  うーん。全然わかんないけど、それでお願いします。
マナ   わかりました。‥‥じゃあ、仮に、私がこの人の妻で成り立ての未亡人で、あなたがこの人の愛人という関係性を立ててみましょう。
ミサキ  え? それってどういうことですか?
マナ   そういう仮の関係性の虚構の中に身を置くのです。
ミサキ  それって、ひょっとしてお芝居をやるんですか? 私、お芝居は得意なんです。学芸会ではいつも主役だったんです。
マナ   厳密にはお芝居とは違うんですけど、まあ、似たようなもんだと言えなくもないかな?
ミサキ  やりましょう。やりましょう。
マナ   あなたがベッキーね。
ミサキ  え?
マナ   この泥棒猫が。のうのうとよくここに来られたものね。大した心臓だわ。
ミサキ  ひょっとして、もう始まってるんですか?
マナ   ベッキー。ここにあなたの居場所などなくってよ。いったい何が望みなの?
ミサキ  あのぅ、ベッキーって?
マナ   仮の名前です。実在の個人や団体には関係がありません。
ミサキ  ああ、なるほど。‥‥そうよ。わたしがベッキーよ。待たせたわね、カトリーヌ伯爵夫人。
マナ   え。その名前はちょっと‥‥。
ミサキ  仮の名前です。実在の個人や団体には関係がありません。
マナ   どうせ、あなたはお金が目当てなんでしょう? 遺産狙いなんでしょ? 愛のかけらさえ知らない金の亡者。このゲスの極みが!
ミサキ  そういう言い方はあんまりじゃありません?
マナ   実在の個人や団体には関係がありません。
ミサキ  そうよ。この世はお金が全てなのよ。愛でお腹がふくれる? 愛で家が買える? 愛で幸せになれる?
マナ   いや、幸せにはなれるんじゃない?
ミサキ  ええーい、黙らっしゃい、カトリーヌ伯爵夫人! この正義のビームを受けてみよ! ビビビー!
マナ   ちょっと、ちょっと。正義のビームって‥‥。ベッキーは正義じゃないでしょ? それにビームなんか出てきたら、もう話がむちゃくちゃじゃないの?
ミサキ  そうやって、ベッキーばかりを悪者扱いにして。何よ、みんなで偉そうなことばっかり言って。正義の味方ごっこするのがそんなに楽しいの? それに、そんなに正義正義なんて言えるほど、ご立派な生き方をしてるわけ? お天道さんに恥ずかしくない人生を送ってるわけ? だいたい、他人を誹謗中傷して楽しんでるだけじゃない? 溺れる犬は棒でたたく。みんなでいじめりゃ恐くない、でしょ? そんなの、どこが正義なのよ!
マナ   だから、実在の個人や団体には関係が‥‥
ミサキ  いやいやいやいや、そんなのどうだっていいのよ。話してたら、だんだん腹が立ってきた。そもそもね、結婚制度ってのがおかしいのよ。一夫一婦制なんて、そもそも日本にはなかったのよ。明治時代に西洋のモノマネをしただけなの。だいたいね、婚姻届? あんな紙切れ一枚でしかつなぎ止められないような結婚なんて意味がないのよ。愛とか恋とかきれい事言っててもね、しょせんはあの紙切れ一枚の関係に過ぎないのよ。ほんと、ペラペラのペーラペラよ。その愛とか恋とかがホンモノだって言うのならさ、結婚制度なんかぶっつぶして、その愛とか恋とかで一生添い遂げたらいいじゃん。できないんでしょ? ははは。できるわけないよね。だったら、あんたらだってしょせん遺産目当ての金の亡者じゃん。ねえ、違う? 違うわけ? 文句があるなら言ってみな!
マナ   ストップ!
ミサキ  え?
マナ   ちょっと設定を変えましょう。
ミサキ  えー。せっかく乗ってきたのに。
マナ   そうねぇ、どうしようかなあ? ‥‥よし、これで行きましょう。私が、この人の娘で、あなたも娘なんだけど、ワケアリで生き別れで暮らしていて、十数年ぶりに再会したら父親が死んでいた。どう? ちょっとドラマチックでしょ?
ミサキ  えー、何かややこしいなあ。ちょっと待って。うまく頭に入んない。
マナ   いいからいいから。その辺は、流れでやりましょう。
ミサキ  えー。
マナ   洋子さん。こういう再会になってしまって、何て言ったらいいのかわからないのだけれど‥‥。
ミサキ  え? ああ、私が洋子なのね。
マナ   ええ。
ミサキ  ‥‥おねえちゃん。洋子さんなんて、どうしてそんな他人行儀なの?
マナ   だって‥‥あなたは、私の顔もよく覚えてないでしょう?
ミサキ  確かにそうかもしれない。そうかもしれないけど、それでも、私達、姉一人妹一人の姉妹じゃない? だから、洋子って呼んでよ、おねえちゃん。
マナ   ‥‥よ、洋子。
ミサキ  おねえちゃん!

   マナとミサキ、抱き合う。

マナ   ごめんなさい。ごめんなさいね。あなたには本当に苦労をかけてしまって。
ミサキ  おねえちゃん、それは言わない約束だよ。
マナ   洋子!

   マナとミサキ、強く抱き合う。

マナ   お父さんには、いろいろと言いたいことがあるでしょう?でもね、お父さんも、あなたにはいっぱい言いたいことがあったと思うのよ。口には出さなかったけど、あなたのことを忘れた日はなかったと思うわ。
ミサキ  ‥‥‥。
マナ   だから‥‥せめてお父さんにお別れを言ってあげて。
ミサキ  ‥‥‥。
マナ   さあ。

   マナ、加藤の白布を取ろうとする。

ミサキ  ‥‥いや、だから、私は死体が苦手だから‥‥。
マナ   そういうことじゃないでしょ! ここが良い所なんだから。
ミサキ  えー、だって。
マナ   わがままは言わない!
ミサキ  ‥‥‥。

   マナ、白布を取る。

マナ   ‥‥さあ、お父さんよ。
ミサキ  ‥‥‥。
マナ   さあ、お別れの言葉を。
ミサキ  ‥‥‥。
マナ   さあ!

   ミサキ、恐る恐る死体に近づく。

ミサキ  ‥‥‥。
マナ   さあ。
ミサキ  ‥‥ジョン。
マナ   え。
ミサキ  ジョン。ヨーコよ。
マナ   ああ‥‥そういう設定? うーん。‥‥ま、いっか。
ミサキ  私、ずっとあなたのことを想ってたわ。そして、あなたのことを恨んでた。あなたにとても会いたくて、でも会いたくなくて。‥‥そして、やっと会えたと思ったら、こんな形の出会いになるなんて‥‥。あなたと私は、ほんとに数奇な運命なのよね。もう、笑っちゃうくらいにこんがらがってしまって‥‥これって、神様の何かのいたずらなのかしら? だから、今、私にはあなたに言う言葉がうまく見つかりません。‥‥でも、このまま何も言えないで、これで永遠の別れになってしまうのは悲しすぎるから、切なすぎるから‥‥。
‥‥それでも‥‥それでも、私は、あなたの娘でした。

   マナ、号泣する。
   どこからか、鐘の音。
   突然、加藤が立ち上がる。

加藤   Mother, you had me, but I never had you.
I wanted you, you didn't want me.
So I, I just got to tell you.
Goodbye, goodbye.
Farther, you left me, but I never left you.
I needed you, you didn't need me.
So I, I just got to tell you.
Goodbye, goodbye.
Mama don't go, Daddy come home.
Mama don't go, Daddy come home.
Mama don't go, Daddy come home.

マナ   えー!
ミサキ  ちょ、ちょっと。ちょと。いったいどういうこと?
加藤   加藤・ジョン・清正である。
マナ・ミサキ  えー!
ミサキ  ジョンって‥‥。
加藤   お前がそう呼んだんだろ?
ミサキ  そ、そりゃ、そうですけど‥‥。
加藤   まあ、そういうことだ。
ミサキ  そういうことって‥‥。
マナ   あのぅ‥‥。
加藤   何だ?
マナ   あの、死んでましたよね?
加藤   ああ。
マナ   でも、歌ってましたよね。
加藤   ああ、そうだな。
マナ   いや、そうだな、じゃなくって‥‥。
加藤   故あって、霊界から舞い戻った。
マナ・ミサキ  ‥‥‥。
加藤   あれ? 聞かないの?
マナ   ‥‥何を?
加藤   いや、だから、どういう故かって。
マナ・ミサキ  ‥‥‥。
加藤   いや、だから‥‥。
ミサキ  ‥‥怪しい。
加藤   え?
ミサキ  霊界から舞い戻るとか‥‥。そんなのある?
マナ   だよねぇ。
加藤   あれ? 何? オレのこと、疑ってるわけ?
マナ・ミサキ  うん。
加藤   うわあ、ひでえ。‥‥じゃ、じゃあさあ、どうして死人が生き返るの?
ミサキ  ‥‥元々死んでなかったんじゃないかな? 例えば寝てたとか?
マナ   うん、うん。あるある。
加藤   うわあ、ひでえ。何でオレがそんなセコいことしなきゃなんないの?
ミサキ  それは‥‥知らないけど。
加藤   ほんと、失敬なやつらだなあ。もう怒った。加藤ジョン清正、怒っちゃったからね。
マナ・ミサキ  ‥‥‥。
加藤   ほんと、怒っちゃったから。もう、帰る。
マナ・ミサキ  ‥‥‥。
加藤   ほんとに帰るからね。
マナ・ミサキ  ‥‥‥。

   加藤、去りかける。

マナ   じゃあ、次の設定を考えましょうか?
ミサキ  ええ。
マナ   とりあえず、死んでなかったということだから、根本的に設定を見直さないといけなくなるわねぇ。
ミサキ  ああ、そうね。
マナ   まず、遺産相続って話はなくなっちゃったのよね。それはいい?
ミサキ  ええ。
加藤   ‥‥あのぅ。
マナ・ミサキ  え?
加藤   帰るよ。
マナ・ミサキ  ‥‥‥。
加藤   ほんとに帰っちゃうよ。
マナ・ミサキ  ‥‥‥。
加藤   ‥‥いいの?

   マナとミサキ、目を見合わせる。

マナ   ‥‥どうする?
ミサキ  ああ、めんどくさいなあ。
マナ   だよねー。
ミサキ  適当にしといたら?
マナ   ああ、うん。‥‥おじさん、戻ってきたら?
加藤   え? おじさん?
ミサキ  ああ、もうめんどくさいなあ。
マナ   加藤さん、戻ってきてもいいですよ。どうか戻ってきて下さい。お願いします。
加藤   ‥‥ああ、そう?
マナ・ミサキ  ‥‥‥。

   加藤、戻って来る。

加藤   じゃ、じゃあさ、どうしてオレがジョンなのか、聞きたい?
マナ・ミサキ  ‥‥‥。(顔を見合わせる)
マナ   どうぞ。
加藤   実は、オレの先祖は、ジョン万次郎なんだ。
ミサキ  はいはい。
加藤   というのは、ウソ。
ミサキ  はいはい。
加藤   実は、オレ、ジョン・レノンの生まれ変わりで、
ミサキ  はいはい。
加藤   というのは冗談で、
ミサキ  はいはい。
加藤   実は、オレ、日系二世なの。びっくりした?
ミサキ  はいはい。
加藤   でさ、二世ってのは、アメリカ人でもないし、日本人でもないし、いろいろと差別されて大変だったんだ。
ミサキ  はいはい。
加藤   で、戦争が始まっちゃったら、敵国人ってことで、ひどい目に遭ったわけ。
マナ   戦争って? いったいいつの話?
ミサキ  まあ、いいじゃん。‥‥どうぞ。
加藤   それで、アメリカに忠誠を示そうって、若い連中はみんな軍隊に志願したんだ。
ミサキ  はいはい。
加藤   でもさ、日本人同士戦わすのも何だからってことで、ヨーロッパ戦線に行かされたわけよ。
ミサキ  はいはい。
加藤   あんたら、Dデイって知ってる?
ミサキ  はいはい。
加藤   おい、ちよっと、真面目に聞けよ。
ミサキ  ‥‥‥。
マナ   Dデイ?
加藤   うん。
マナ   知りません。
加藤   北フランスの冬は、暗く、寒い。光に慣れた日本人は、それだけで気が滅入ってしまう。その憂鬱な気候は夏でも同じだ。六月でも気温は二十度に届かないし、分厚い雲が空を覆い、しょっちゅう雨ばかり降ってる。
中でも、あの年は、とびきり天気が悪かった。晴れれば、ドーバー海峡越しにイギリスからフランスの大地が見えるんだが、その日は、船の上からさえ陸地は見えなかった。朝から雨が降ったり止んだりで、風も強かった。ただひたすらに海がゴーゴーとうなり声をたてていた。
マナ   あのぅ。
加藤   ん?
マナ   いったい、何の話なんですか?
加藤   え? だから、Dデイの話。‥‥ちょっと雰囲気を出してみたの。
マナ   あの、雰囲気はいいですから。
加藤   ああ‥‥。一九四四年六月五日に予定されていた上陸作戦は、非常な悪天候のため、やむなく翌日六日に延期された。
マナ   だから、前置きはいいから。
加藤   いやいや、これが本題なの。
マナ   え? そうなの?
加藤   この六月六日がDデイなの。
マナ   ふーん。
加藤   え? ほんとに知らないの?
マナ   え、何を?
加藤   だから、Dデイ! 何回言わせるの!
マナ   ‥‥知ってる?
ミサキ  ううん。
マナ   知らないって。
加藤   もう、だからイマドキの若いもんは‥‥。だったら、この曲なら知ってるだろ?

   加藤、「史上最大の作戦のマーチ」を口ずさむ。

加藤   これ。知ってるだろ?
マナ   あー、なんか聞いたことあるような‥‥。
ミサキ  あー、パチンコ屋さんで鳴ってたような‥‥。
マナ   何の曲ですか?
加藤   「史上最大の作戦」っていう映画のテーマ曲。見たことない?
マナ   ない。
ミサキ  ない。
加藤   もう! だから、
加藤・マナ・ミサキ  イマドキの若いもんは。
マナ・ミサキ  アハハハハハ。
加藤   くそう。
ミサキ  ねぇ、ねぇ、そのDデイとか、史上最大の作戦って何?
加藤   だから、ノルマンディー上陸作戦のことをそう呼ぶの。
ミサキ  ノルマンディー上陸作戦?
加藤   そう。
ミサキ  ノルマンディーって?
加藤   地名だよ。フランスの。
ミサキ  そこに上陸したの?
加藤   ああ。
ミサキ  誰が?
加藤   連合軍に決まってるだろ。
ミサキ  連合軍って何?
加藤   だから、イギリスとかアメリカとかフランスとかの連合軍。
ミサキ  日本は入ってないの?
加藤   え。‥‥それって、まさか本気じゃないよね。
ミサキ  え?
加藤   ‥‥あのさ、ひょっとして、日本がアメリカと戦争してたのって知ってる?
ミサキ  知ってるよ、もちろん。えーっと、確か、アメリカの何とかっていう人が黒船に乗って来たんだよね。
マナ   ペルー。
ミサキ  そうそう、ペルー。‥‥それで大砲撃ったら、江戸幕府がつぶれて、明治維新になったのよね。それぐらい知ってるよ。バカにしないでよ。
加藤   ‥‥‥。すまん。オレが悪かった。
ミサキ  いやいや、いいのよ。誰だって間違いはあるから。
マナ   私達、そんなに心は狭くないから。
加藤   ‥‥‥。(うなだれる)

   間。

ミサキ  加藤さん?
マナ   どうしたの? お腹の調子でも悪いの?
加藤   ‥‥これって‥‥ジェネレーション・ギャップ? ‥‥じゃないよな。
ミサキ  誰だってトシは取るものよ。それは仕方のないことなの。
マナ   そうそう。それがこの世の定めなの。ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。
ミサキ  よどみに浮かぶうたかたは、諸行無常の響きあり。
マナ・ミサキ  南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
加藤   ‥‥‥。き、君達の頭の中はいったいどうなってるの?
ミサキ  さあ、どうでしょう?
マナ   開けたことないからねぇ。
ミサキ  うん。
加藤   ‥‥‥。
ミサキ  加藤さん。そんなに気を落とさないで。元気を出して。
マナ   ♪涙など見せない強気なあなたを そんなに悲しませた人は誰なの
加藤   あの。
ミサキ  え?
加藤   トイレ貸してもらっていいですか?
マナ   ああ、そっちのドアを開けたら、突き当たりにありますから。
加藤   ああ、ありがとう。

   加藤、去る。

マナ   やっぱりお腹痛かったのねぇ。
ミサキ  ひょっとしたら、ずっとがまんしてたんじゃない?
マナ   え? どうして?
ミサキ  ほら、女の子の部屋だから。
マナ   そうかな? そういうタイプにも見えないけどねぇ。
ミサキ  いや、そりゃ、小の方だったらいいけど、大きい方は言いにくいわよ。
マナ   ああ、そっか。
ミサキ  そうよ。女の子だったら、余計にそうじゃない?
マナ   え、そうかな? 私、全然平気だけど。
ミサキ  そりゃ、あなたはもう女を捨ててるからね。
マナ   何よ、それ。
ミサキ  何か、そういう感じじゃん。
マナ   ひっどーい。人を見かけで判断しないでよね。
ミサキ  だって、人なんて、見かけが九十%よ。違う?
マナ   いや、八十ぐらいよ。
ミサキ  そんなのほとんど変わんないじゃない?
マナ   まあ‥‥それは否定しないけど。
ミサキ  でしょ?
マナ   うん。
ミサキ  ‥‥あ。
マナ   何?
ミサキ  さっきのさ、ペルーの話。
マナ   え? ペルー?
ミサキ  ほら、明治維新の話。
マナ   あーあー。
ミサキ  あれ、ペルーじゃないよ。ペリーだよ。
マナ   あー、そうだよねぇ。ペリーだよ。ペリー。
ミサキ  ペルーって言ったら、国の名前じゃん。アフリカかどこかの。
マナ   そうだよねぇ。
マナ・ミサキ  アハハハハハハ。
ミサキ  加藤さんに謝んなきゃ。
マナ   そんなのいいよ。
ミサキ  いやいや、私はそういうのはきちんとしないとイヤなタイプなの。
マナ   あ、そうなの。
ミサキ  うん。
マナ   ‥‥そう言えばさ、さっき加藤さんが言ってたフランスの何だっけ?
ミサキ  上陸作戦?
マナ   うん。
ミサキ  確か「ノ」で始まるのよね。
マナ   そうそう「ノ」何とかよ。
ミサキ  ノーパンティー!
マナ   いや、それは違うでしょ。さすがに。
ミサキ  え? そういう音の響きじゃなかった?
マナ   いや、確かにそんな感じだったけど、ノーパンティーなら、その時気づくから。
ミサキ  あ、それもそうだね。
マナ   えーとね、えーとね、ここまで出てるんだけどなあ。
ミサキ  ノーバンジー!
マナ   あ、何かそーゆー感じ。
ミサキ  ひょっとして大正解?
マナ   ちょっとググッてみるね。
ミサキ  うん。

   マナ、スマホで調べる。

ミサキ  何が出るかな? 何が出るかな?
マナ   あちゃー、違うみたい。何かねぇ、バナナマンがバンジージャンプとかやってるよ。
ミサキ  えー、うそー。

   ミサキ、スマホをのぞき込む。

ミサキ  チェッ。いい線行ってたと思ったんだけど。
マナ   うん。いい線は行ってるよ。たぶん。
ミサキ  でしょ?
マナ   それにしても、加藤さん、アメリカに住んでたり、フランスに行ってたり、見かけによらずすごいね。
ミサキ  でも‥‥あれって、どこまでほんとなのかなあ?
マナ   でも、その「ノ」何とかに上陸したとか。
ミサキ  まあ、確かに言ってたけどね。
マナ   私、まだフランスに行ったことないのよねぇ。
ミサキ  あ、私も。
マナ   行きたいなあ、フランス。
ミサキ  行きたいなあ。
マナ・ミサキ  ‥‥‥。
ミサキ  フランスに行きたしと思えど、フランスはあまりに遠し。
マナ   何、それ?
ミサキ  確か国語の授業で習ったのよねぇ。
マナ   だから、何?
ミサキ  何かね、偉い文学者の言葉だったと思う。
マナ   夏目漱石とか森鴎外とか?
ミサキ  たぶん、その辺。
マナ   あなたすごいねぇ、そんなのまだ覚えてるの?
ミサキ  いや、高三の時の国語の先生が若くてけっこうイケメンでさ。
マナ   ああ、わかるわかる。そういうの学校あるあるだよね。
ミサキ  でしょう? でさ、日本史は、ハゲのじじいで、いつも寝てた。
マナ   ああ、それもあるあるだ。
ミサキ  だよねー。
マナ・ミサキ  アハハハハハハ。

   加藤が戻ってくる。

加藤   あの、ありがとうございました。
マナ   あ、どうも。
ミサキ  ども。
マナ   ‥‥お腹、もう大丈夫ですか?
加藤   お腹? ‥‥ああ、まあ。
マナ   それはよかった。
ミサキ  じゃあ、もう元気なんですね?
加藤   はあ、まあ。
ミサキ  あ、そうそう。
加藤   え?
ミサキ  さっきのペルー、ペリーでしたよね。
加藤   え?
ミサキ  さっきの明治維新の話。
加藤   ああ。‥‥ああ、あれね。
ミサキ  私、ちょっと日本史は苦手だったから‥‥。
マナ   睡眠学習だもんね。
ミサキ  こら、うるさい。
加藤   あの。
ミサキ  え?
加藤   ‥‥あの、オレ、ちょっと考えてみたんだけど、
ミサキ  はい?
加藤   もう一遍死んだ方がいいかと思って‥‥。
マナ   え? どうして?
加藤   もう一度死んできます。
マナ・ミサキ  え?
加藤   もう、この世で生きていく自信がなくなりました。
ミサキ  え? そんなこと言わないで。
マナ   せっかく仲良くなれたのに。
加藤   みなさん、どうもお世話になりました。(深くお辞儀)
マナ・ミサキ  ‥‥‥。
ミサキ  何のお構いもしませんで。
マナ   また、気が向いたら、気楽にお立ち寄り下さいね。
加藤   どうも、ありがとうございます。

   加藤、ふらふらと歩き出す。

加藤   父上様、母上様、三日とろろおいしゅうございました。干し柿、餅もおいしゅうございました。おすしおいしゅうございました。清正は、もうすっかり疲れ切ってしまいました。何卒お許し下さい。気が休まることもなく御苦労、御心配をお掛け致し申しわけありません。清正は父母上様の側で暮らしとうございました。

   加藤、布団に入り、顔に白布をかぶせる。
   長い沈黙。

ミサキ  ‥‥死んじゃった。
マナ   死んじゃったね。
ミサキ  これでフリダシに戻ったわけだ。
マナ   そう‥‥みたいね。

   マナ、ミサキ、死体のそばに正座する。

マナ・ミサキ  南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。

   チーン。(カネの音)

   音楽。
   暗転。


   目覚ましのベル。
   加藤が布団で寝ている。
   加藤が手を伸ばし、目覚ましを止める。

加藤   うーん。

   加藤、寝る。
   しばしの間。
   再び目覚ましのベル。

加藤   わかってるって! うるせーな。殺すぞ、この野郎!

   加藤、再び目覚ましを止める。

加藤   うーん。

   加藤、寝る。
   しばしの間。

   マナがやって来る。

マナ   あれ?

   マナ、加藤を蹴る。

加藤   うわっ。
マナ   いつまで寝てんの!
加藤   わかってる。わかってるから。

   加藤、寝る。
   マナ、蹴る。

加藤   ぐえ。
マナ   わかってねーじゃん。
加藤   わかった。わかった。今起きるから。

   加藤、寝る。
   マナ、蹴る。蹴る。蹴る。

加藤   ぐえ。ぐわ。おえ。
マナ   さっさとしろよ! もう来るから!

   加藤、しぶしぶ起き出す。

加藤   ほら、起きた。
マナ   ほらじゃねーよ。
加藤   相変わらず手荒だな。内臓破裂で死んだらどうすんだ?
マナ   死んだら死んだ時のことよ。
加藤   うわ。おーこわ。
マナ   ほら、さっさと顔でも洗ってきな。
加藤   あー、わかったよ。
マナ   ほら、早く!
加藤   ああ。

   加藤、出て行く。
   途中、ミサキ(ポテチを持ってる)とすれ違う。

加藤   あ、おはよう。
ミサキ  おはようじゃねーよ。何時だと思ってんの?
加藤   えーっと。

   ミサキ、ビンタする。

ミサキ  寝ぼけた顔してんじゃねーよ! もう来るんだろ?
加藤   痛てー。
ミサキ  うるさい!
加藤   ‥‥どうしてウチはこんなに暴力的なんだよ?
ミサキ  え? 何か言った?
加藤   ‥‥いや、何も。
ミサキ  あ、そう。

   加藤、去る。
   ミサキ、マナの横に座る。
   マナとミサキ、ポテチをかじりながら。

ミサキ  もう来るの?
マナ   らしい。
ミサキ  何時?
マナ   わかんない。でも、もうすぐだって。
ミサキ  ふーん。
マナ   近藤さんだっけ?
ミサキ  後藤さん。
マナ   あ、そっか。
ミサキ  うん。
マナ   一人で?
ミサキ  え? 何?
マナ   その権藤さん、一人で来るの?
ミサキ  知んない。聞いてない。それに権藤さんじゃないし。
マナ   えっと。
ミサキ  後藤さん。
マナ   あ、そうそう。後藤さんだ。後藤さん。後藤さん。後藤さん。
ミサキ  お経じゃないから。
マナ   え? 何が?
ミサキ  後藤さん、お経じゃないよ。何度も唱えなくてもいいから。
マナ   いや、だから。
ミサキ  だから、何?
マナ   いや、忘れないように。ちょっとややこしいから。
ミサキ  ややこしい? 何が?
マナ   いや、だから、その近藤さん、だっけ?
ミサキ  え? 大丈夫?
マナ   いや、大丈夫だよ。‥‥うん、大丈夫。
ミサキ  大丈夫じゃないじゃん。
マナ   え?
ミサキ  全然大丈夫じゃない。
マナ   ‥‥‥。
ミサキ  ボケてるの?
マナ   え? 誰が? 加藤さん?
ミサキ  それは覚えてるんだ。
マナ   そりゃ、そうだよ。一応付き合いがあるし、顔も知ってるし、ややこしくないし。
ミサキ  ややこしくないから。
マナ   いや、ややこしいよ。
ミサキ  何が? 何がややこしい?
マナ   ほら、名前だけだと、イメージしにくいじゃん。単なる言葉というか音だし。
ミサキ  後藤さんは音じゃないよ。
マナ   いや、そうかもしれないけど、でも、そうじゃないかもしれないじゃん。
ミサキ  何言ってるの? ほんと大丈夫?
マナ   でもさ、会ったことないんでしょ? あんたも。
ミサキ  うん、ないよ。
マナ   だったら‥‥さあ。
ミサキ  だったら、何よ?
マナ   だったら、わかんないじゃない? どんな人なのか? どんな顔なのか? どんな声なのか? どんな音なのか?
ミサキ  あんた、いつからそんな屁理屈を言うようになったわけ?
マナ   いやいやいや。屁理屈じゃなくって、名前だけだと、どうとでも言えるってこと。ほんとにいるかどうか、来るかどうかもわかんないじゃん。
ミサキ  そういうのが屁理屈って言ってんのよ。
マナ   え? 思わないわけ? あんた、会ったことも見たこともない人を信用しちゃうの? そういうのがオレオレ何とかにひっかかるのよ。
ミサキ  あれはババアでしょ。私、ボケてもいないし、若いから。ちゃんとわかるから。
マナ   そういう中途半端な自信が一番危ないのよ。大切なのは、無知の知よ。
ミサキ  何よ、それ?
マナ   あんた。無知の知も知らないの?
ミサキ  知るか。何なのよ? それ。
マナ   ソクラテス。
ミサキ  ‥‥何、それ?
マナ   人の名前。ギリシアの哲学者。
ミサキ  外人?
マナ   そう。
ミサキ  私、外人の知り合いいないから。
マナ   私だって知り合いじゃないわよ。
ミサキ  だったら、何で信じるのよ?
マナ   え?
ミサキ  あんた、さっき言ってたじゃない? 会ったことない人は信じないとか。もう、舌の根も乾かないうちに平気でそんなことを言うんだから。
マナ   ソクラテスに会った人なんかいないわよ。
ミサキ  だったら、そんな人はいないのよ。
マナ   何無茶苦茶言ってんのよ。
ミサキ  あんたの屁理屈だとそうなるじゃない?
マナ   あんたのはメタ屁理屈ね。
ミサキ  それも何かの外人の名前?
マナ   何言ってんのよ? もう、あんたには付き合ってらんないわ。
ミサキ  それは、こっちのセリフよ。
マナ・ミサキ  ふん!

   マナ、ミサキ、黙ってポテチを食う。
   加藤が戻ってくる。

加藤   あ、ポテチ。
ミサキ  あなたにはあげませんから。
加藤   えー。オレ、昨日の晩飯も食ってないんだよ。
ミサキ  知るか。
加藤   ね、お願いだから。
ミサキ  ダメ。
加藤   おねげぇいたしやす。(土下座)
ミサキ  おめえに食わせるポテチはねぇずら!
加藤   ‥‥ケチ。
ミサキ  何か言った?(と、手を振り上げる)
加藤   ‥‥いや、別に。
ミサキ  ふーん。

   マナとミサキ、ポテチを食べ続ける。

加藤   ‥‥でもさ、やっぱ、失礼だと思わない?
ミサキ  何が?
加藤   その、初めて会う人に、お腹をグゥーって鳴らしたりしたらさ。
ミサキ  鳴らさなかったらいいじゃん。
加藤   いや、鳴らそうと思って鳴るもんじゃないからさ。
ミサキ  だったら、いいじゃん。
加藤   いや、だからさ‥‥。
マナ   ねぇねぇ、あなたは見たことも会ったこともない人を信じたりする?
加藤   え?
ミサキ  また、その話? あんた、しつこいわねぇ。
マナ   だから、この人、ソクラテスに会ったことないって言ったら、そんなやつはいないって言うんだよ。
ミサキ  おいおい、話が混線してるぞ。
マナ   どう思う?
加藤   あの‥‥話が見えないんですけど‥‥。
マナ   だからさ‥‥例えば、宇宙人を見たことがなかったら、宇宙人はいないって思う?
加藤   うーん。いるんじゃない?
マナ   え? どうして?
加藤   だって、地球人は宇宙人だから。
マナ   あなた、話をつまんなくする人ね。
ミサキ  私もそう思う。
マナ   人生には、ウイットが必要よ。
加藤   いや、そんなこと言われても‥‥。
マナ   まあ、いいわ。じゃ、次の問題。アポロが月へ行ったと言ってるけど、実際にアポロが月面着陸した所を見た人はいないわけ。だから、アポロはほんとは月なんか行ってないと思う?
加藤   うーん。
マナ   どっちよ?
加藤   うーん。
マナ   はっきりしなさいよ。男でしょ!
加藤   そうとも言えるし、そうじゃないとも言える。ダメ?
マナ   あなた、ほんとつまんない男ね。
ミサキ  私もそう思う。
マナ   じゃ、次の質問。あなたは神様に会ったことも見たこともありません。ほんとは神様なんていないと思う?
加藤   神様はねぇ‥‥いるよ。
マナ   どうして?
加藤   神を見たことがないからいないとか、会ったことがないからいないとか、存在を証明できないからいないとか、そういう風に人間ごときに存在を知られてしまうなら、むしろそれは神なんかじゃないんで、そもそも人知を超えているからこそ神なのであって‥‥。
マナ   そういうこざかしい理屈はいらないの!
ミサキ  私もそう思う。
マナ   あなたって、ほんと、最低!
ミサキ  私もそう思う。
加藤   だって‥‥
マナ   だってもくそもない!
ミサキ  月に代わってお仕置きよ!

   マナ、ミサキ、加藤を殴る蹴るの大狼藉。

加藤   うわあ。

   加藤、倒れている。
   マナ、ミサキ、座って、再びポテチを食べ始める。

マナ   それにしても、遅いわねぇ。
ミサキ  ほんと。そうよねぇ。
マナ   ほんとに来るの? 来る気あんの?
ミサキ  だから、知らないって。会ったこともないんだし。
マナ   だったらさ、わかんないじゃん。
ミサキ  え?
マナ   その、近藤さん?
ミサキ  ‥‥あんた、わざと言ってるでしょ?
マナ   え?
ミサキ  わざと間違えてるよね。
マナ   それはないない。
ミサキ  マジで?
マナ   だから、会ったことも見たこともない人なんかわかんないじゃん。顔も名前も。
ミサキ  名前はわかるっしょ?
マナ   たとえ、わかったとしてもよ、それがホンモノだってどうしてわかんのよ?
ミサキ  ホンモノ?
マナ   だから、もし、やって来たとしても、その人がホンモノの近藤さんだか権藤さんだか、あんたわかるわけ?
ミサキ  まあ、わかるんじゃない?
マナ   どうして?
ミサキ  そこは、まあ、何となくフィーリングで。
マナ   何がフィーリングよ?
ミサキ  だから、後藤さんは、やっぱり後藤さんだなあって雰囲気があると思うから。
マナ   やっぱり後藤さんだなあって雰囲気ってどんな雰囲気よ?
ミサキ  だから、そこはフィーリングよ。言葉じゃうまく説明できない。
マナ   ほら、ごまかしてる。
ミサキ  ごまかしてないって。
マナ   もう、あんたの日本語は無茶苦茶だから。
ミサキ  そんなことないって。しっかり日本語だから。
マナ   じゃあさあ、もしも、もしもよ。加藤さんが実はその権藤さんだったとしたらどうすんのよ?
ミサキ  え? 何言ってんの?
マナ   だからさ、私たちが加藤さんだって思ってるのは、実は加藤さんじゃないかもしんないじゃん。
ミサキ  だから、何言ってんの?
マナ   ほんと、わかんない人ねぇ。だから、加藤さんが権藤さんだったらどうする?
ミサキ  加藤さんは加藤さんよ。権藤さんでも後藤さんでもないよ。
マナ   名前なんかどうとでも言えるじゃない? あんた、その人に会ったことないんでしょ?
ミサキ  そりゃ、そうだけど。
マナ   だったら、加藤さんが権藤さんじゃないって、どうしてわかんのよ?
ミサキ  それはさ、やっぱ‥‥フィーリングよ。
マナ   また、それかよ。
ミサキ  ひょっとして、あんた、加藤さんが後藤さんだって思ってるわけ?
マナ   いや、そうだとは言わないけど、そうじゃないとも言えないじゃん。
ミサキ  このさえないおっさんが?
マナ   まあ、あくまで可能性としてだけどね。でも、そしたら、すごくない? もう、あたしたち、知らない間に、その近藤さんに会ってるわけだよ?
ミサキ  後藤さん!

   マナ、ミサキ、加藤を見つめる。

加藤   我が身は、成り成りて成り余れる所一所在り。
マナ・ミサキ  !
加藤   此の我が身の成り余れる所をもちて、汝が身の成り合わざる所に刺し塞ぎて、国を生み成さんと思う。生むこといかん?
マナ・ミサキ  ん?
加藤   生むこといかん?
マナ・ミサキ  はあ?
ミサキ  ‥‥この人、何言ってるの?
マナ   さあ?
ミサキ  頭打ったのかな?
マナ   いや、頭は避けたと思うけど‥‥。
ミサキ  ちょこっと入っちゃったかな?
マナ   かな?
加藤   生むこといかん?
ミサキ  ‥‥あの、加藤さん。どうしたんですか?
マナ   大丈夫ですか?
ミサキ  大丈夫?
加藤   だから、やらせて。
マナ・ミサキ  え?
加藤   やらせてほしいの。
ミサキ  何を言うかと思ったら‥‥
マナ   一瞬でも心配した私が馬鹿だった。
加藤   ねぇ。ダメ?
ミサキ  アナタハ、シニタイノデスカ?
加藤   え?
マナ   アナタハ、コロサレタイノデスカ?
加藤   え?
ミサキ  最後に言い残したい言葉があれば、どうぞ。
加藤   え? ‥‥ファ、ファイト一発!
マナ・ミサキ  地獄へ墜ちろ!

   マナ、ミサキ、加藤を殴る蹴るの大狼藉。

加藤   うわあ。

   加藤、倒れている。
   マナ、ミサキ、座って、再びポテチを食べている。

ミサキ  ほんと、近頃のおっさんときたら‥‥
マナ   まったく、まったく。
ミサキ  だいたいさ、盗撮とか、痴漢とか、そういうの、若いヤツより中高年の方が多いらしいよ。
マナ   中高年どころか、七十とか八十の老人がとっ捕まって、ニュースになってるからね。
ミサキ  ほんと、いくつになってもそーゆーのだけはお盛んなことで。
マナ   まったく、まったく。
ミサキ  油断も隙もありゃしない。
マナ   ほんと、ほんと。
ミサキ  それに比べて、若い男は、草食を超えて、もはや絶食らしいじゃん。
マナ   絶食?
ミサキ  もう、完全に枯れ果ててるわけよ。男女交際がめんどくさいとか、恋人どころか異性の友達もいないとか。
マナ   はあ。なるほどねぇ。それじゃ、少子化が進むわけだ。
ミサキ  少子化どころじゃないわよ。もはや、生物としてどうか?というレベルよね。
マナ   生物としてってのは、さすがにオーバーじゃない?
ミサキ  そんなことないって。生物の本質は生殖よ。
マナ   え? そうかな?
ミサキ  あんた「ダーウィンが来た」とか見てないの?
マナ   うん。あんまり。
ミサキ  毎回毎回おんなじパターンよ。とりあえず食う。とりあえずやる。とりあえず生む。とりあえず死ぬ。それだけ。
マナ   まあ、動物はね。
ミサキ  イヌでも、ネコでも、ネズミでも、バッタでも、イグアナでも、ワニでも、シーラカンスでも、ダイオウイカでも、みんなおんなじ。とりあえず交尾して、とりあえず死ぬ。それしかないのよ。
マナ   まあ、そうかもしれないけど‥‥。
ミサキ  生きる意味とか、生きがいとか、そんなの絶対出て来ない。そんな暇なことを考えるのは人間だけ。
マナ   まあ、そうだろうけど‥‥。
ミサキ  お金持ちになりたいとか、幸せになりたいとか、もてたいとか、有名になりたいとか、あいつら絶対考えないもんね。ほんと、絶望的にバカなのよ。ただ、ひたすらに交尾して、ひたすらに死ぬだけ。それも、何万とか何十万っていう恐ろしい単位でよ? ほんと、ばかばかしいぐらいに無意味で、いさぎよくて、すがすがしくて、気持ちがいいくらいだわ。
マナ   無意味ねぇ‥‥。
ミサキ  そういう無意味を、もう、何億年も、何十億年も、なーんにも考えもしないで、なーんにも反省もしないで、ひたすら繰り返して来たって思うと、何か、絶望的に悲しくなるのよね。
マナ   あ、それってわかる。砂浜の砂を一粒ずつ数えてるみたいな絶望感。
ミサキ  空の星を一つずつ数えてるみたいな絶望感。‥‥でも、そういう絶望感って、案外悪くないかもしんない。少なくとも私は嫌いじゃないな。例えば、波打ち際で、ハンモックに寝転んで、寄せては返す波を数えながらうとうとしてるみたいな、そんな感じ。
マナ   そうよねぇ。そっちの方が、案外幸せなのかもしれないねぇ。
ミサキ  まあ、幸せなんてことも考えないんだけどね。
マナ   アハハハ。そう言えば、そうだ。
ミサキ  そういう無限ループみたいなリズムを、人間だけがゴチャゴチャゴチャゴチャかき乱してるのよね。ああだ、こうだ言って。
マナ   そうかもしんないねぇ。
ミサキ  ということで、今から「エコロジーライフ入門」の集中講義を始めます。
マナ   え? え?
ミサキ  わたくし、講師を勤めさせていただきます、ヴィクトリア・ミシェル・クリントンと申します。ヴィッキーって呼んで下さいね。
マナ   え? ベッキー?
ミサキ  ノン、ノン。ベッキーじゃなくて、ヴィッキー。ヴィッキー。ドゥー・ユー・アンダースタン?
マナ   ヴィッキー?
ミサキ  イエー。ヴィッキー! ‥‥じゃ、始めるわね。
マナ   ?

   ミサキ、パネルを取り出す。

ミサキ  えー、これが、今回のモデルとなるファミリーです。夫のジョンと妻のヨーコ。そして息子のマイケル、娘のビヨンセ。そして愛犬のシナトラがいます。そして自動車を一台所有しています。いいですか?
マナ   ?
ミサキ  ドゥー・ユー・アンダースタン? パティ?
マナ   え? パティって‥‥私のこと?
ミサキ  あなたのほかに誰がいるの? パティ。
マナ   あ‥‥はい。ベッキー。
ミサキ  ヴィッキー!
マナ   ヴィッキー!
ミサキ  さて、このファミリーは、地球に優しい、すなわちエコな生活をしようと決めました。さて、それでは、まずどうしたらいいでしょうか?
マナ   え? ‥‥えーっと。‥‥車を‥‥。
ミサキ  はい。いいところに気づきましたね。そう、車ですね。車は排気ガスを出しますから、エコじゃないですね。車をどうしますか?
マナ   えーっと、車を‥‥。
ミサキ  そうです。まず、車を捨てます。
マナ   え。
ミサキ  それから、どうします?
マナ   ええっと‥‥。
ミサキ  次に、ペットを殺します。
マナ   え。
ミサキ  ペットは炭酸ガスを排出しますから、エコじゃありませんね。
マナ   えー。
ミサキ  それから、次にどうしますか?
マナ   え‥‥。
ミサキ  子供を殺しますか?
マナ   え‥‥まさか。
ミサキ  大丈夫です。子供は殺しません。でも、車がないから、食料が買えませんね。だから、そのうち、自然と子供は死にます。
マナ   え‥‥。
ミサキ  次に、どうしますか?
マナ   え‥‥。つ、妻ですか?
ミサキ  妻を殺しますか?
マナ   え、いや‥‥。
ミサキ  まあ、妻も殺しません。とりあえず肉が二つありますから、しばらくそれで生きられることでしょう。
マナ   に、肉って‥‥それって、まさか‥‥。
ミサキ  でも、男より、女の方が弱いから、しばらくすると女が死にます。
マナ   ‥‥‥。
ミサキ  で、また肉ができますから、男はしばらく生き続けます。
マナ   ‥‥‥。
ミサキ  でも、それもやがてなくなってしまいます。それで、男も死にます。
マナ   ‥‥‥。
ミサキ  これで、エコロジーライフの完成です。めでたし。めでたし。
マナ   ‥‥あのぅ。
ミサキ  何ですか?
マナ   べ、ベッキー。
ミサキ  ヴィッキー!
マナ   ヴィッキー。みんな死んじゃったら、エコロジーかもしれないけど、ライフではないのじゃありませんか?
ミサキ  パティ。いい所に気が付きましたね。
マナ   え?
ミサキ  これはね、ライフはライフでも、人間の生き延び方じゃないのですよ。
マナ   え?
ミサキ  これは、地球のライフ。地球の生き延び方なのです。
マナ   え。
ミサキ  そこで神はノアに言われた。「私は、すべての人を絶やそうと決心した。彼らは地を暴虐で満たしたから、私は彼らを地と共に滅ぼそう。」
マナ   え?
ミサキ  「私は地の上に洪水を送って、命の息のある肉なるものを、みな天の下から滅ぼし去る。地にあるものは、みな死に絶えるであろう。」

   加藤が立ち上がる。

加藤   雨は四十日四十夜、地に降り注いだ。全ての生き物は、みな地からぬぐい去られて、ただノアと、彼と共に箱舟にいたものだけが残った。水は百五十日の間、地上にみなぎった。
マナ   え。
加藤   さあ、もうすぐ夜が明けるぞ。まもなく作戦の開始だ。みんな用意はいいか?
マナ   加藤さん。何を言っているの?
加藤   強盗がやって来るんだ。みすみすやられるのを待つことはないだろ?
マナ   え? 強盗? 何言ってるの?
加藤   やって来るのは、後藤じゃなかったんだ。強盗なんだよ。
マナ   え? 後藤と強盗? いや、それって、ちょっと無理がありません?
加藤   無理もへったくれもない。攻撃こそ最大の防御だ。
マナ   え?
加藤   さあ、ヘルメットを用意してくれ。
ミサキ  ラジャー。

   ミサキがヘルメットを配る。

ミサキ  はい。
マナ   え? 何、これ?
ミサキ  いいから、かぶって。
マナ   あ、うん。

   三人、ヘルメットをかぶる。

加藤   六月六日早朝。前の日から降り続いていた雨は、小降りにはなったものの、止むことはなかった。狭い上陸用舟艇に押し込められた兵士たちは、激しい波しぶきと雨で濡れ鼠同然の状態で、おし黙ってその時を待っていた。
マナ   ‥‥‥。
加藤   厚い雲に覆われた海岸線は、まだ薄暗く、小雨に煙って判然としなかった。敵の銃弾が空気を切り裂いてヒュンヒュンと鈍い音を立てる。そして、船のドアが開いた。
マナ   ‥‥‥。
加藤   上陸開始!

   加藤、匍匐前進を始める。ミサキが続く。

加藤   伏せろ! 頭を上げるな! 撃ち殺されたいのか?
マナ   あ、は、はい!
加藤   とりあえず、あそこの木陰まで移動するぞ。
ミサキ  ラジャー!
マナ   あ、はい。

   三人、匍匐前進。

加藤   よし。ここまで来たら一安心だ。‥‥チェックメイト・キングツー、チェックメイト・キングツー、こちらホワイトルーク、どうぞ。
ミサキ  こちらチェックメイト・キングツー、ホワイト・ルーク、状況を報告せよ。
加藤   天気晴朗なれど波高し。ニイタカヤマノボレ。地球は青かった。私はカモメ。カモメ、カモメ、かごの中の鳥はいついつ出やる、夜明けの晩に、鶴と亀がすべった、後ろの正面だあれ。
マナ・ミサキ  後ろの正面、だあれ!
加藤   三時方向に動く影発見! これより確認する。‥‥あれは! あれは虎だ!
マナ・ミサキ  何!
加藤   トラだ! トラだ! お前はトラになるのだ!
マナ・ミサキ  え!
加藤   あれは、ノルマンディーのトラだ。‥‥チェックメイト・キングツー、こちらホワイトルーク、これより、虎退治に出動する。
ミサキ  やめろ。単独行動は禁じられている。
マナ   ノルマンディーに虎などいない。
加藤   うるさい! オレを誰だと思っている?
マナ・ミサキ  え。
加藤   オレは、加藤清正だ! 虎の一匹や二匹が恐くて、加藤清正がやってられるか!
マナ・ミサキ  加藤隊員!
加藤   ‥‥マナ、ミサキ、母さんに会ったら伝えておくれ。父さんはほんとにダメな男で、だらしなくて、ろくでなしで、お前たちに迷惑ばっかりかけてきた。それはすまないと思う。申し訳ないと思う。今更謝ってすむ話じゃないけれど、心の底からそう思っているんだ。でも、本当は、父さんは、臆病な弱い男なんだ。恐ろしく不器用で、生きることが絶望的に下手くそで、お前たちをどう愛したらいいのかわからなかったんだ。だから、だから‥‥ええい。何を言ってるのかわかんないぞ。お前たちわかるか?
マナ・ミサキ  わかんねーよ!
加藤   ハハハ‥‥そうだろう。そうだろうな。父さん、最後まで下手くそだったよ。でも、下手くそなりに、不器用なりに、それでもお前たちを愛していたんだ。‥‥それだけはわかってほしい。
ミサキ  ‥‥今更、そんなこと言うの、反則だよ。
マナ   ‥‥そんなの、わかるわけないじゃん。
加藤   じゃ、あばよ。
ミサキ  かっこつけてんじゃねーよ!
マナ   馬鹿野郎!

   加藤、飛び出して行く。
   何発もの銃声。
   加藤、もんどり打って倒れる。

マナ・ミサキ  !
加藤   ‥‥この一歩は、一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな一歩だ。

   加藤、倒れる。死亡。

マナ・ミサキ  父さん!

   音楽(荒井由実「ひこうき雲」)。

ミサキ  イカロスは、背中の翼をはためかせ、空高く舞い上がって行った。どこにでも行けるような気がした。どこまでも行けるような気がした。もう、オレは自由だ。オレを押しとどめる者は誰もいない。オレはもう、あの太陽だってつかめるのだ。
マナ   アトムは太陽の膨張を収束させるために、カプセルを太陽に投げ込もうとしました。しかし、そのカプセルは隕石に衝突し、軌道が変わってしまいました。そこで、アトムは決意しました。このカプセルを抱いて、僕が太陽に突入するしかないんだ、と。
ミサキ  そうです。これがよだかの最後でした。もうよだかは落ちているのか、のぼっているのか、さかさになっているのか、上を向いているのかも、わかりませんでした。ただ心持ちはやすらかに、その血のついた大きなくちばしは、横にまがってはいましたが、確かに少し笑っておりました。
マナ   アトムは、家族に別れを告げました。真っ暗な宇宙の上に小さな小さな青い地球が浮かんでいました。
「地球はきれいだなあ」
そうつぶやいたアトムは、カプセルを抱いたまま、太陽へと向かって行きました。
ミサキ  それからしばらくたってよだかははっきりまなこを開きました。そして自分の体がいま燐の火のような青い美しい光になって、静かに燃えているのを見ました。
マナ・ミサキ そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました。‥‥今でもまだ燃えています。

                              おわり



※ 上演ビデオもありますので、よかったらご覧下さい。
   https://youtu.be/u4q4N6yAAgs

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?