平安時代の疫病と飢饉と
なるほどなあ。
平安時代を「雅の時代」と捉えるのはいかがなものかとは思っていたが、これほどまでに悲惨だったとは。
大河ドラマで藤原氏の権力闘争が描かれているが、それほど有力候補ではなかった道長がトップに上り詰めた背景にはこのような事情があったのだな。
策謀、陰謀ばかりが語られるけれど、上の人間が疫病で死に絶えたら、そりゃお鉢が回って来るわいな。
物忌みや方違えなど、やたらと縁起担ぎをする時代だけど、これだけ災厄が多発していれば、しかも有効な対処策がなければ、迷信や神仏にすがるのもわからなくもないな。
これに加えて、少なくとも江戸時代までは、飢饉なんかも数年、数十年おきに頻発してるしなあ。
ヨーロッパの黒死病とかペストが有名だけど、少し前まではどこの国も飢餓や伝染病で滅亡する危機と隣り合わせだったんだな。
そう考えると、ここまで人口が増えている人類というのは、恐ろしくしぶとくて強い生物だなあ。
さらに、さらに、こんな中で、ずーっとしょっちゅう戦争をやり続けてたんだよねぇ。もうすごすぎるというか、言葉がない。