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ひなまつり

【これは、劇団「かんから館」が、2008年3月に上演した演劇の台本です】


    〈登場人物〉

     石倉啓子(看護婦)
     三輪さくら(患者)
     湯川邦彦(患者)
     堂島洋平(患者)
     西園寺公麿(患者)
     東郷辰之新(見舞客)


      とある病院の談話室。
      中央にテーブル。イスが数脚。
      看護婦の啓子がテーブルの上に、ひなまつりのオブジェを飾り付けしている。

啓子   ♪あかりをつけましょぼんぼりに。お花をあげましょ桃の花。五人囃子の笛太鼓。今日は楽しいひなまつり。
‥‥よし、完成。

      啓子、オブジェを見つめて悦に入っている。
      湯川と堂島があくびをしながら入ってくる。

湯川   ふあー。
堂島   あーあ。

      二人、イスにすわる。

啓子   こら!こら!こら! 二人ともやり直し!
湯川・堂島   え?
啓子   あんたら、何遍ゆうたらわかんの?
湯川・堂島   えー?
啓子   えーやないやろ? そんなんでさわやかな一日が迎えられますかいな。ほれほれほれ。
湯川・堂島   ?
啓子   何ぼーっとしとるん? さっさと部屋に戻る! ほれ!

      湯川・堂島、退場。
      再び入ってくる。

湯川   おはようございまーす。
啓子   はい、おはようさん。
堂島   おはよう、おばちゃん。
啓子   はい、やり直し!
堂島   え‥‥。

      堂島退場。
      再び入ってくる。

堂島   おはようございます。お姉様。
啓子 はい、おはようさん。

      湯川、堂島イスにすわる。

湯川   ふあー。
堂島   ふあー。
湯川   ふあーあーあ。
堂島   ふあーあーあ。
啓子   なんやの、なんやの、朝からあくびばっかりして。自分ら全然やる気ないやん?
湯川   ありませーん。
堂島   右に同じー。
啓子   もう! 朝ぐらい、もうちょっとさわやかな顔しいや!
湯川   だって、さわやかじゃないんだもーん。
堂島   右に同じー。
啓子   もう! あんたらとしゃべってたら、こっちまでうっとうしなるわ。
湯川   うっとうしくてすみませんねー。
堂島   右に同じー。
啓子   ‥‥‥。それより、あんたら、なんか言うことないの?
湯川   ‥‥え?
堂島   ‥‥はあ?
啓子   感想とか‥‥。
湯川   ‥‥え?
堂島   ‥‥はあ?
啓子   もう! あんたら、これが目に入らんの? これが。(オブジェを指さす)
湯川   ‥‥ああ。
堂島   ああ。
啓子   ‥‥感想は?
湯川   ひ・な・ま・つ・り ですよね。
堂島   ああ、もうそんな季節か。
啓子   ‥‥‥。それだけ?
湯川   ここにいると全然季節感がないしねぇ‥‥。
堂島   三月にしては今年は寒いよねぇ。そうそう、もうちょっと暖房強くして下さいよ。けちらないで。
啓子   ‥‥‥。それだけ?
湯川   ‥‥え?
堂島   ‥‥はあ?
啓子   ほら、かわいいとか、上手にできてるとか‥‥。
湯川   あ!
啓子   何?
湯川   これ、お内裏さんとお雛さんが逆じゃないっすか?
啓子   え?
湯川   お内裏さんが左で、お雛さんが右でしょ?
啓子   あほ! それはあずまえびすの飾り方。ほんまはこれが正式やの。
湯川   えー! そんなの聞いたことないよ。お前ある?(堂島に)
堂島   え? ‥‥そんなのどっちだっていいんじゃない?
啓子   よくありません! ‥‥とにかく、うちは正式で行きますからね。‥‥ええね!
湯川   ‥‥‥。
啓子   返事は?
湯川・堂島   はーい。

      しばしの間。

啓子   ‥‥キミちゃん遅いね。何してんのやろ?
堂島   あいつは寝てますよ。ほっといたら、夕方まで寝てるから。
啓子   起こして来て。
堂島   いいじゃないですか。寝たいやつは寝かしておいたら。
啓子   ええから、起こして来て。
堂島   ‥‥どうして? いつもほったらかしじゃないですか?
啓子   今日はあかんのよ。
湯川   え? ‥‥何かあるんすか?
啓子   実は‥‥あるんよ。
湯川   え? 何? 何?
啓子   ‥‥おひなさんが来はるねん。
湯川   え?
堂島   おひなさん?
啓子   そう、おひなさん。
湯川   ‥‥お、おひなさんって‥‥もしかして?
啓子   そのもしかしてやねん。新しい患者さんが来はるねん。
湯川・堂島   え!
啓子   十八歳のピチピチギャルやで。
湯川   じ、十八歳‥‥。
堂島   ピチピチギャル‥‥。
啓子   はい、わかったら、さっさと起こして来る!
湯川・堂島   イエッサー!

      湯川、堂島、去る。
      しばしの静寂。

西園寺の声   ちくしょう! 殺せ! 殺しやがれ!
湯川の声   うるさい! 何言ってんだよ!
堂島の声   だからピチピチなんだよ! ピチピチ!
西園寺の声   俺は魚は嫌いなんだー!
堂島の声   じゃなくってさ‥‥。
湯川の声   お前が言うとよけいにややこしくなる!
西園寺の声   俺はしゃべらんぞ! 殺せ! 殺しやがれー!

      三人登場。
      西園寺が二人に羽交い締めにされている。

西園寺   殺せー!
啓子   (腕組みして)ふーん。‥‥殺したったら?
西園寺   ‥‥‥。
湯川   ほんとにこいつ寝ぼけがひどいから‥‥。
堂島   とにかく、ここに座れ!

      三人、イスに座る。

西園寺   ‥‥ど、どうするつもりだ?
湯川   何もしないよ。
西園寺   さては、拷問をする気だな? 何をされたって口は割らんからな。
堂島   はいはい、口を割らずにそのまま黙ってて。
西園寺   フフフフ‥‥後悔するのはお前たちの方だぜ。俺を甘く見たってことをな。
啓子   もう、煮ても焼いてもええから、とにかくそのおっさん黙らして。

      湯川、堂島、西園寺の口をふさぐ。

西園寺   ウググググ‥‥。
啓子   ‥‥‥。ほな、連れてくるわ。
西園寺   ウググググ‥‥。
啓子   くれぐれも失礼のないようにな!

      しばしの間。
      やがて、啓子がさくらを連れて現れる。

啓子   はい、お待たせしました。こちらが、今日から皆さんの新しい仲間にならはる三輪さくらさんです。
さくら   三輪さくらと申します。よろしくお願いします。

      さくら、お辞儀をする。
      全員、お辞儀をする。

啓子   ほな、あんたらも自己紹介してもらおか?

      西園寺、突然立ち上がり、直立不動。

西園寺   じ、自分は、西園寺公麿と申します! キミちゃんと呼んで下さい。よろしくお願い申し上げます。(最敬礼)
さくら   よろしくお願いします。
西園寺   あ、あの、み、三輪さんは、明治時代の西園寺公望という人をご存じでありますか?
さくら   ?
西園寺   じ、実は自分は、あの西園寺公の‥‥
啓子   はい、次!

      湯川、立ち上がる。

湯川   湯川邦彦です。よろしくお願いします。
さくら   よろしくお願いします。

      堂島、立ち上がる。

堂島   堂島洋平です。よろしくお願いします。
さくら   よろしくお願いします。

啓子   はい‥‥ということで、かなり個性的な人が多いけど、意外と悪い人たちではないから。
 ここが談話室になります。まあ、自分の家のリビングだと思ってくつろいで下さい。
さくら   はい。
啓子   じゃ、次の部屋に行きましょう。
さくら   はい。
啓子   それではみなさん、おくつろぎ中のところ、どうもお騒がせしました。

      啓子とさくら、去る。
      しばしの間。

湯川   ‥‥ど、どうよ?
堂島   ピチピチー。
湯川   お前、そればっかだな。‥‥キミちゃんは?
西園寺   さくらさん。さくらさん。さくらさん。さくらさん。さくらさん。さくらさん。‥‥‥
湯川   だめだ。もういっちゃってる。
堂島   みたいだな。
湯川   ‥‥ま、これで、砂を噛むよな味気ない生活とはおさらばできそうだな。
堂島   ♪はーるがきーたー。はーるがきーたー。どーこにきたー。
西園寺   さくらさん、ああさくらさん、さくらさん。
湯川・堂島   ‥‥‥。
湯川   ということで、もう一眠りすっか?
堂島   そうだな。
湯川   おい、キミちゃん、行くぞ。
西園寺   さくらさん、ああさくらさん、さくらさん。
堂島   ほっとけば?
湯川   だな。

      湯川、堂島立ち上がる。
      二人去ろうとする。
      湯川が、ひな人形の並びを入れ替える。

      二人去る。

      暗転。


      病院の談話室。
      啓子がさくらのオブジェを飾り付けている。
      さくらがイスに座っている。

啓子   ♪さくらーさくらーやよいのそーらーはー。みーわーたーすーかーぎーりー。かーすみーかくーもーかー。ふにゃにゃにゃにゃーにゃらら。

      さくら、見ている。

さくら   啓子さん、器用ですね。
啓子   まあ、しょっちゅう作ってるしね。
さくら   毎月作り変えるんですか?
啓子   まあ、別に毎月でもないけどね。‥‥ほら、ここに住んでると、季節感とか全然ないやろ? そやから、せめてこんなんで雰囲気を出そうかと思て。
さくら   ふーん。‥‥啓子さんって案外気を使うんですね。
啓子   案外は余計。
さくら   あ、すみません。
啓子   フフフフ‥‥。
さくら   ウフフフフ‥‥。

      しばしの間。

啓子   ‥‥で、どない?
さくら   え?
啓子   そやから、ここの居心地は?
さくら   ‥‥まあまあかな? ‥‥とにかく自由なのがいいですね。前にいたところは、鉄格子があったし、ドアには鍵がかかってたし、こんな談話室なんかなかったし。
啓子   精神病院にはね、二種類あるんよ。閉鎖病棟と開放病棟と。
さくら   ふーん。
啓子   まあ、法律で決まってたり、治療方針とかで違ったりするんやけど‥‥まあ、大ざっぱに言うと、暴れる患者さんは閉鎖病棟で、安定してきた患者さんは開放病棟って感じかな。
さくら   ふーん。
啓子   まあ、開放病棟でも、時々暴れる人はいるけどね。
さくら   西園寺さんとか?
啓子   ハハハ‥‥。そやね。

      しばしの間。
      啓子、窓の外を見る。

啓子   窓から桜でも見えるとええんやけどねぇ。気晴らしになるし‥‥。ここは殺風景やしねぇ‥‥。
さくら   そうですねぇ。‥‥あ、前の病院には庭に大きな桜がありましたよ。
啓子   へぇ、それはええねぇ。
さくら   でも、鉄格子ごしに見てると、かえって切ない気分になりますよ。ああ、自分は閉じこめられてるんだって。
啓子   ああ、そうかもしれんねぇ。‥‥あ、そや、そや、病院の裏の土手沿いに桜並木みたいなんがあるんやけど、咲いたら一遍見に行く?
さくら   え、外に出てもいいんですか?
啓子   まあ、もちろん許可はいるけどね。付き添いの人間がいたら、ちょっとした外出はええんよ。
さくら   そうなんですか! わあ、行きたいです!
啓子   ほなら、許可申請したあげるわ。
さくら   はい! お願いします!(礼)
啓子   ‥‥さくらちゃん、全然外に出たことないの?
さくら   ‥‥はい。
啓子   ずーっと?
さくら   はい。
啓子   そーかー。‥‥ほな、楽しみやねぇ。
さくら   はい、楽しみです。

      二人、窓の外を見る。

さくら   いつ頃咲きますかねー?
啓子   今年はちょっと遅れてるみたいやけど、来週には咲き出すんちゃうかな?
さくら   ‥‥来週かあ。
啓子   ‥‥そんな楽しみ?
さくら   楽しみです!
啓子   ‥‥そやろねぇ。
さくら   はい!
啓子   ‥‥‥。私らかてね、毎日毎日こんな殺風景な景色ばっかり見てたら、何か息が詰まりそうな気分になる時があるもんねぇ。‥‥そんな時は、患者さんにいけずしたりしてもたりして。
さくら   いけず?
啓子   いじわる。
さくら   えー、看護婦さんがそんなことしたりするんですか?
啓子   大きい声では言えへんけどね、わざと痛いとこに注射打ったりして。
さくら   えー?
啓子   内緒やよ。内緒。
さくら   ‥‥はい。
啓子   看護婦も人間やしねぇ‥‥。恋もすれば、いけずもします。
さくら   え! 啓子さん、恋してるんですか?
啓子   たとえやて。たとえ話。
さくら   ‥‥ふーん。

      しばしの間。

啓子   ‥‥さくらちゃん。
さくら   はい?
啓子   あたしのこと、どう思てる?
さくら   ‥‥どうって?
啓子   気の強い、口の悪いおばちゃんって思てる?
さくら   えー‥‥そんなことないですよ。
啓子   ‥‥精神病院はねぇ、圧倒的に男の看護師が多いんよ。相手が相手だけにね。‥‥そやから、女の看護師は、あのくらいでないとつとまらんのよ。
さくら   ‥‥‥。
啓子   ‥‥あたしねぇ、さくらちゃんが来てくれてうれしいんよ。
さくら   ‥‥‥。
啓子   こう言うと怒るかもしれんけど、なんか、歳の離れた妹みたいな気がして‥‥。
さくら   怒ったりしませんよ。‥‥そんな風に言ってもらうとうれしいです。
啓子   ほんまに?
さくら   ほんとに。
啓子   うれしいなあ、たとえお世辞でも。
さくら   お世辞なんかじゃないです!
啓子   ほんまに?
さくら   ほんとに。
啓子   ‥‥そやったら、厚かましいお願いなんやけど、あたしをお姉ちゃんやと思てくれへんかなあ‥‥?
さくら   いいですよ。
啓子   いや、無理にとは言わへんよ。
さくら   無理なんかじゃないです。
啓子   ‥‥ほんまに?
さくら   ‥‥ほんとに。
啓子   ‥‥‥。ああ、うれしいわあ。
さくら   ‥‥啓子さん、案外かわいいですね。
啓子   こら、案外は余計や。
さくら   アハハハ‥‥。
啓子   ハハハ‥‥。

      突然、東郷が現れる。

東郷   アロハー! グッモーニン、エブリバディ!
さくら   !
東郷   あれー、みんなまだお休みなの?
啓子   ‥‥そうですねん。
東郷   もうお昼前じゃん。いつまで寝かしてるのよ?
啓子   寝てるもんは、しょうがないでしょ?
東郷   あんたたちは、そうやってキチガイにやたら睡眠薬ばっかり飲ませて、寝たきりにして、医療費ばっかりふんだっくてるんでしょ?
   薬漬け医療ハンターイ! キチガイに人権をー!
啓子   人権なんてたいそうなこと言うんやったら、あんたが、まずそのキチガイって言葉をやめなさい。
東郷   そんな言葉の言い換えであたしはごまかされませんからね。
啓子   もう、ごちゃごちゃ言うてんと、まずレディにご挨拶をするんが礼儀とちゃいますか? 東郷さん。
東郷   あ、これはどうもどうも。‥‥あなたがうわさのさくらさんですね。えーと‥‥
さくら   三輪さくらです。
東郷   そうそう、三輪さくらさん。あなたのことは西園寺君からよーくうかがっておりますですよ。あのですね、彼が申しますには‥‥
啓子   人のことより、まず自己紹介やろ?
東郷   あ、そうでした、そうでした。これまたどうも失礼致しました。‥‥オホン。あたくし、西園寺公麿君の友人で、東郷辰之新と申します。どうぞお見知り置きを。
さくら   はあ‥‥よろしく。
啓子   タツノシンって、変な名前やろ? まあ、人間も変やけどな。
東郷   変とは失礼ではありませんか? 決して怪しい者ではありませぬゆえ。
啓子   大丈夫。十分に怪しいで。なあ?(さくらに)
さくら   ええ? ‥‥さ、さあ?
東郷   それより、お客様がいらしてるのに、誰も出てこないなんて失礼じゃありませんこと?
啓子   え、お客様って? どこ? どこ?
東郷   もう、この看護婦は白々しいんだから‥‥。あたしよ、あたし。
さくら   え‥‥患者の方じゃ?
東郷   もう! さくらさんも、かわいい顔して言ってくれるじゃない!
さくら   す、すみません。
東郷   もう、起こしてくれないんだったら、あたしが起こすわよ。
はい、全員集合! 集合!
啓子   もう、病院の中で大きい声出さんといて!
東郷   あんたがあたしを無視するからでしょ?
はい、集合! 全員集合!
啓子   もう、ほんまに守衛を呼ぶで。

      湯川が出てくる。

湯川   ふあーあ。もう、昼飯ですか?
東郷   あ、クニちゃん。ねぇ、聞いてよ、聞いて。看護婦がいじわるするのよ。
湯川   ああ、かまさん。こんにちは。ふあーあ。
東郷   かまはやめてって言ってるでしょ! デュークって呼んでよ。デューク。
湯川   そんなの呼びにくいよ。かまでいいじゃん。‥‥おかまなんだから。ふあーあ。
東郷   デュークよ。デューク。
さくら   (啓子に)あのぅ、デュークって?
啓子   デューク東郷なんだって。ゴルゴ13の。
さくら   え、ゴルゴ? ゴルゴって何ですか?
啓子   だから‥‥。
東郷   そこでひそひそしゃべらなーい! 何よ、この子、ゴルゴも知らないの?
湯川   若いからねー。
東郷   いくつなのよ?
湯川   十八。
東郷   あ、あなたね、若いからって、許されることと許されないことがあるのよ。ゴルゴ13も知らないで、それでもあなた日本人なの!
さくら   す、すみません。
啓子   謝ることなんかないって。
湯川   そうそう、おかまなんだし。
東郷   な、なによ、あんたたち。みんなしてあたしを馬鹿にして。
おかま差別ハンターイ! おかまに人権を!
啓子   だから、病院で大声を出さないって。

      堂島が出てくる。

堂島   おっ、なんか盛り上がってるね。
東郷   盛り上がってるんじゃないのよ。ねぇ、ヨウヘイちゃん、聞いてよー。みんなしてあたしをいじめるのよー。
堂島   かまさん、どうしたんだよ?
東郷   だから、かまさんじゃないってば!
堂島   ええっと、東郷健?
東郷   違います! もう、ヨウヘイちゃんまでそんなこと言うの?
堂島   アハハハ‥‥。
東郷   もう、あたし怒った。ほんとに怒ったからね。マイノリティを差別して何が楽しいの? あんたたちだってキチガイじゃない? 被差別者同士が連帯しないでどうするのよ!
‥‥あたし、もう帰る! ほんとに帰るからね!
全員   ‥‥‥。
東郷   うそじゃないわよ。ほんとに帰っちゃうわよ!
全員   ‥‥‥。
東郷   なんなのよ! なにか言うことぐらいないの?
全員   ‥‥さようなら。
東郷   ‥‥‥。なんなのよ!それ! 一人ぐらい止めてくれたっていいじゃない?
全員   ‥‥‥。
東郷   ‥‥‥。ねぇ、止めてよー。じゃないと、あたしほんとに帰んなきゃなんないじゃない!
全員   ‥‥‥。

      西園寺が出てくる。

西園寺   ふあーあーあーあ。お、デューク来てたのか?
東郷   来てたのかじゃないでしょ! あんた、出てくるのが遅いのよ!
西園寺   え?
東郷   もう、あたし待ってたのよ。ずーっと待ってたんだから。もう、全部あんたが悪いのよ!
西園寺   え? え? な、なんかあったの?
東郷   なんかあったじゃないわよ!
西園寺   え? え? 俺、なんか悪いこと言った?
全員   ‥‥‥。

      東郷、西園寺に殴りかかる。

東郷   もう、キミちゃんのバカ、バカ、バカ‥‥。
西園寺   え? どうしたんだよ?
東郷   バカ、バカ、バカ‥‥。(殴り続ける)
西園寺   おい、やめろ! 痛い、痛いってば。

      啓子、目配せする。
      啓子、さくら、湯川、堂島、去る。

西園寺   お、おい、俺を見捨てないでー。
東郷   バカ、バカ、バカ‥‥。
西園寺   おい、やめろってば。
‥‥おい、マジで痛いって。

      東郷、殴り続ける。

      暗転。


      病院の談話室。
      テーブルの上にこいのぼりのオブジェ。
      湯川、堂島、西園寺が座っている。

湯川   俺はだいたい十時間ぐらいかな?
堂島   へぇ、それでよく持つねぇ。俺は最低十二時間はないとダメだな。‥‥キミちゃんはどのぐらい?
西園寺   え、え、何が?
堂島   なんだよ、聞いてなかったの?
西園寺   ごめん、ちょっと考え事してたから‥‥。
堂島   考え事って何よ? また、さくらちゃんのこと?
西園寺   ち、違うよ。
堂島   ほんとに?
西園寺   ほんとだよ。
湯川   きっと考え事なんかじゃないよ。また寝てたんだよ。
西園寺   違うよ。
堂島   ほんと、キミちゃんはいつも寝てるからなあ。猫並だね。
湯川   猫ってどのくらい寝るの?
堂島   十八時間。
湯川   なるほどねぇ。一日の四分の三だ。
堂島   で、キミちゃんは、一日に何時間ぐらい寝てるの?
西園寺   え? ‥‥そんなの、日によって違うよ。
堂島   だいたいでいいからさ。平均、平均。
西園寺   そうだなあ‥‥十二時間から十八時間ぐらいかなあ?
堂島   ほーら、やっぱり猫並だ。
湯川   なるほど。‥‥よくそんなに寝られるな。
西園寺   眠たいんだからしかたないじゃん。‥‥で、それがどうかしたの?
堂島   いや、別にどうってこたないんだけどね。精神病院ってみんな寝てばっかだなあって話になって‥‥。
西園寺   それは、そうだな。
堂島   でも、キミちゃんは寝過ぎだよ。寝過ぎ。
西園寺   これでもかなり短くなったんだよ。前の病院の時は、食事と薬の時間以外はほとんど寝てた。
湯川   たしかにいるいる、そういうやつ。めったに顔見せないやつ。
堂島   だいたい、眠剤とトランキライザーばっかり飲ますからなあ。一日中頭がぼーっとしてるもんな。何であんなに飲ますんだろ?
湯川   決まってんじゃん。医者が楽だからだよ。寝かしとけば暴れたりしないからな。
堂島   なるほど。‥‥でも、あれでほんとに治療になってるの?俺、全然症状がよくなった気がしないんだけど。
湯川   そんなのどーでもいいんだよ。ベッド代と薬代が入ればそれでいいの。そんなの病院経営の基本だよ。
堂島   俺、病気になる前は、精神病院っていったら、カウンセリングとかそういうことをして治療するところだと思ってた。‥‥ほら、ドラマとかの精神科ってそうじゃん。
湯川   あんなのフィクションだよ。精神科は薬屋さん。そう割り切って考えなくちゃ。‥‥それに、薬の相談ばっかじゃドラマになんないし‥‥。「リタリン増やして下さい」「いや、あれは扱いがうるさくなってねぇ」「そんなこと言わないで」「じゃあ、あと1錠だけだよ」そんなドラマ、誰も見ないよ。
堂島   ハハハ‥‥そうだよなあ。‥‥そう言えば、キミちゃんもリタリン飲んでたよな。
西園寺   ‥‥え?
堂島   だから、リタリン。
西園寺   リタリンがどうかしたの?
湯川   あ、また寝てた。
西園寺   寝てないよ。
堂島   この人、リタリン全然効いてないんじゃないの?
湯川   そうだな。増やしてもらうように言っとくか?
堂島   そんなの自分で言えばいいよ。ねぇ?
西園寺   リタリン、リタリン、リタリン、リタリン、リタリン‥‥
湯川   あ、また始まった。(堂島に)お前のせいだぞ。
堂島   違うよ。お前がつまんないドラマをやるからだよ。
湯川   俺のせいにするなよな。
西園寺   リタリン、リタリン、リタリン、リタリン、リタリン‥‥

      さくらが入ってくる。

さくら   おはようございます。
西園寺   (起立して)おはようございます。
湯川   おはよう。
堂島   おはよう。
湯川   リタリンよかさくらちゃんの方が断然効くみたい。
堂島   じゃ、増量してもらうか?
湯川   だな。
湯川・堂島   ハハハハ‥‥。
さくら   ? 何だか楽しそうですねぇ。おもしろい話してたんですか?
湯川   ‥‥まあね。
さくら   え、何の話ですか?
堂島   さくらちゃんはリタリンより効くってね。
さくら   え? 何ですか、それ?
湯川   ま、こっちの話。
堂島   そう、こっちの話。
さくら   ねぇねぇ、そんなこと言わないで教えて下さいよ。
湯川   あ、それよか、さくらちゃんって何時間ぐらい寝るの?
堂島   そうそう、だいたいでいいからさ。
さくら   そうですねぇ‥‥。
西園寺   さくらさん、リストカットしたことありますか?
湯川・堂島・さくら   え?
西園寺   自分はここに来るまでに、リストカットを十七回、他にも、アームカットを十五回、レッグカットを三回したことがあります。
湯川   ‥‥アームカットって?
堂島   ‥‥腕だろ?
湯川   ‥‥レッグカットって?
堂島   ‥‥足かな?
湯川   そんなのあるの?
堂島   さあ?
西園寺   まず、手首を切ります。次にこの辺を切ります。それで、順番に上がって行って、肩まで行ったら、また下に戻って来るんです。
湯川   何だよ? それ?
西園寺   必ず順番通りにやるんです。順番を間違ったら、また一からやり直しです。
堂島   ああ、俺聞いたことがある。山手線の駅の順番に自殺が起きるんだって。池袋の次は目白、それから高田馬場に行って次は新大久保。それから次は新宿。
湯川   何だか車内アナウンスみたいだな。
堂島   で、一つずれると一からやり直しなんだって。
湯川   それって、都市伝説じゃないの?
堂島   いや、ほんとらしいよ。
西園寺   関係ないことは言わないで!
湯川・堂島   ‥‥すみません。
西園寺   そうしないと、汚れた血がたまっちゃうんですよ。汚れた血は出さないといけない。‥‥だから、今、自分の血はひどく汚れているんです。それで困ってるんです。
湯川   わかった! それでキミちゃんは年中長袖なんだ!
堂島   なるほど。
西園寺   さくらさん、自分の言ってることわかりますか?
さくら   ‥‥わかりますよ。
湯川・堂島   え。
さくら   ‥‥私も、以前、何度かリストカットしたことがあるんです。‥‥西園寺さんみたいに血が汚れるっていうのとは違うけど‥‥。
西園寺   ‥‥そうですか。
湯川   さくらちゃんがリストカット?
堂島   どうして? 何で死のうなんて思ったの?
さくら   ‥‥別に、死のうと思ったんじゃないんです。‥‥死んでもいいやとは思ってたかもしれないけど‥‥。変な言い方になるかもしれないけど、生きたい、生きようって思って切るんです。それで流れる赤い血を見て、「ああ、私は死んでないんだ」って思うんです。
湯川   ふーん。
堂島   ふーん。
西園寺   ‥‥わかりますよ。その気持ち。
さくら   そうですか。‥‥何だかうれしいな。ウフフ‥‥。
西園寺   自分もうれしいです。
さくら   そうなんですよね?
西園寺   そうなんです。
さくら   ああ、よかった。やっとわかり合える人に出会えた気がします。
西園寺   自分もです。
さくら   ウフフフ‥‥。
西園寺   フフフフ‥‥。
湯川   あーそこ、勝手にわかり合わなーい。盛り上がらなーい。
さくら・西園寺   ですよねー?
さくら   ウフフフ‥‥。
西園寺   フフフフ‥‥。
湯川   だめだ、こりゃ。
堂島   ‥‥それにしても、さくらちゃんがリストカットするのはまだわかる気がするけど、キミちゃんは似合わなくない?
‥‥リストカットって、だいたい女性がやるもんだろ?
湯川   それは言えてる。
西園寺   そんなの決まってないよ。
さくら・西園寺   ですよねー?
堂島   それはもういいから!
‥‥ということは、キミちゃんには女性的な要素、少なくともそういう心理的要素がけっこうあるってことじゃない?
湯川   お、けっこう深いね!
堂島   潜在的性同一性障害?
湯川   お、思いっきり深いね!
堂島   だろ?
湯川   わかった! だからかまさんに掘られてるんだ!
西園寺   掘られてない!
湯川   言葉のアヤだよ。言葉のアヤ。
西園寺   そんなのアヤじゃないよ! 謝りなさい! ‥‥ですよねー。
さくら   ‥‥‥。
西園寺   あれ?

      東郷が現れる。

東郷   ボンジョルノー! ハゥアーユー? みなさん、お元気ですかー? あれ、今日はみなさんおそろいで。何かの集会ですか?
湯川   うわさをすれば何とかだな?
堂島   全く。
東郷   うわさって、ひょっとしてあたくしのうわさ? ねぇ、どういううわさ? どういううわさ?
湯川   おかまはリストカットするのか?って。
東郷   え! リストカット?

      東郷、立ちつくす。

堂島   冗談だよ。冗談。かまさん、気にしないで。
東郷   ‥‥リストカット‥‥するわよ。
全員   え。
東郷   あたしの親友に、リストカッターがいたのよね。‥‥もう、中学生の頃からのリストカッターで。‥‥その子が、ある日、お風呂で冷たくなって見つかったの。‥‥手首の傷が深くてね。出血多量だったの。‥‥ただのミスだったのか、自殺だったのか。それは、彼女にしかわからないけど‥‥。でも、気の優しい、ほんとに、ほんとにいい子だったのよ。
ロザンナー!(泣き出す)
全員   ‥‥‥。
堂島   (湯川に)おい、お前がつまんないこと言うからだぞ。
湯川   す、すまん。
東郷   ロザンナー! どうして逝っちゃったのよー?(泣く)

      さくらが静かに東郷に歩み寄る。

さくら   ‥‥かまさん。
東郷   ロザンナー!
さくら   ‥‥お願いだから、もう泣かないで。
東郷   ロザンナー!
さくら   私はそのロザンナさんのことは知りません。どうして亡くなったのかももちろんわかりません。‥‥でも、その死を含めて彼女の全てをあなたが受け入れてあげることが一番だと思うんです。

      東郷泣いている。

さくら   こんなことを言っても、慰めにならないでしょうけど、私もね、二度救急車で運ばれたことがあるんです。

      さくら、東郷に手首の傷を見せる。

東郷   ‥‥さくらちゃん。

      さくら、黙ってうなづく。
      東郷泣きやむ。
      しばしの間。
      やがて、さくら、静かに歌い出す。

さくら   ♪上を向いて歩こう 涙がこぼれないように 思い出す春の日 ひとりぼっちの夜 幸せは 雲の上に 幸せは 空の上に 上を向いて歩こう 涙がこぼれないように 泣きながら歩く ひとりぼっちの夜

さくら   ‥‥私なんかが言うと笑われちゃうかもしれないけど‥‥、誰もがみんなひとりぼっちなんですよ。みんなさみしさをかかえて生きてるんですよね、たぶん。‥‥だから、私、後ろは振り向かないことにしてるんです。振り向くと、ぽっかりと空いたさみしさに吸い込まれそうな気がするから。

湯川   お、深いねぇ。さくらちゃん、詩人だねぇ。

      湯川、拍手する。

堂島   お前、雰囲気を台無しにする天才だな。
東郷   ‥‥ありがとう。さくらちゃん。
さくら   かまさんも、元気出して下さい。
東郷   ‥‥あの‥‥別にいいんだけど‥‥。
さくら   え?
東郷   その‥‥かまさんじゃなくって‥‥。
さくら   あ。すみません。ええっと‥‥

      啓子が現れる。

啓子   あ、かまさん、来てたん?
東郷   だから、違うって!
啓子   え、何が?
東郷   デューク! あたしはデュークよ!
啓子   あんた、まだそんなこと言うてんの? ほんまに往生際の悪いおっさんやな。‥‥ほな、あたしが決めたげるわ。あんたはかまさん! この病院の中ではそれで行くしな! ええね!
東郷   ‥‥そんな。
啓子   返事は!
東郷   ‥‥はい。

      全員、笑う。

啓子   それにしても、ここえらい人口密度高いな。‥‥みんな、リクレーション室行って、卓球でもして来いな。それからお昼な。
湯川   お、卓球いいっすね。
堂島   今日はダブルスでやるか?
西園寺   さくらさん、自分と組みませんか?
さくら   え? ええ、いいですよ。

      全員、移動を始める。

東郷   ちょっと待って!
全員   え?
湯川   かまさん、キミちゃんと組みたいの?
東郷   ‥‥そうだけど、そうじゃないのよ。
堂島   何がそうじゃないの?
東郷   ‥‥あたしね、何か言おうと思ってたのよね。‥‥ええっと何だったかしら?
湯川   忘れるぐらいなら、どうでもいいんじゃん。
東郷   あ、思い出した! 大連立政権ができるのよ! 大連立!
全員   え?
東郷   共産党以外の政党が全部連立して、挙国一致政権を作るの!
全員   ふーん。
東郷   それで、中国危機を乗り越えるんだって! 共産党だけが反対してるけど、もう確実なのよ。
全員   ふーん、それで?
東郷   それでって何よ? 大事件だと思わないの?
全員   ‥‥‥。
東郷   もう、何よ! イマドキの若者はほんとに政治に無関心なんだから!
湯川   確かに、まあ、それも大事かもしれないけどね‥‥。
堂島   それ以上に、今大事なのは‥‥。
全員   卓球!
湯川   よし行くぞ!
堂島   今日は負けんからな!
西園寺   早く来ないと置いてくよ、‥‥かまさん!
東郷   もう、キミちゃんまで!

      全員去る。
      啓子が後片付けをしている。

      暗転。


      病院の談話室。
      テーブルの上に七夕のオブジェ。
      深夜。
      西園寺が一人で座って窓の外を見ている。
      かすかに雨の音。

さくらの声   (小さな声で)‥‥誰ですか?

      西園寺、ビクッとする。

さくらの声   ‥‥誰かいるんですか?
西園寺   ‥‥さくらさん?
さくらの声   ‥‥西園寺さんですか?
西園寺   ‥‥うん。

      さくらが入って来る。

西園寺   こんばんわ。
さくら   こんばんわ。‥‥どうしたんです? こんな時間に?
西園寺   さくらさんこそどうしたの?
さくら   ちょっと眠れなくて。睡眠薬をもらおうかと思って。
西園寺   自分も眠れないんです。
さくら   西園寺さんが?
西園寺   そうですよね。いつも寝てばっかりだから。‥‥でもね、いつも寝過ぎてるせいか、たまに夜中に目が覚めて、寝られなくなってしまうことがあるんです。
さくら   ‥‥そうなんですか。
西園寺   ‥‥ええ。

      しばしの沈黙。
      雨の音。

さくら   ‥‥雨。よく降りますね。
西園寺   ‥‥そうですね。

      しばしの沈黙。
      雨の音。

さくら   ‥‥また、今年も会えそうにないですね。
西園寺   え?
さくら   七夕に雨が降ると、織り姫さんと彦星さんが会えなくなるじゃないですか。
西園寺   ‥‥ああ。‥‥そうですね。
さくら   どうしてこんな梅雨の季節に七夕があるんでしょうねぇ?
西園寺   さくらさん、学校で習いませんでした?
さくら   え? 何を?
西園寺   七夕とかああいう行事は、全部旧暦なんですよ。だから、今のこよみとは一ヶ月以上ずれちゃうんです。だから、七夕は元々は秋の初めの星祭りだったんですよね。
さくら   ああそうなんですか。そう言えば、そんなこと聞いたことがあるような気がします。
西園寺   ‥‥‥。
さくら   ほんとに西園寺さんって何でも知ってるんですね。
西園寺   いや、こんなことぐらいは中学か高校で習いますよ。
さくら   私、あんまり学校に行ってなかったから‥‥。
西園寺   あ、ごめんなさい。
さくら   いえ、いいんです。

      しばしの沈黙。
      雨の音。

さくら   西園寺さん、東大生ってほんとですか?
西園寺   え? ‥‥そんなこと誰か言ってました?
さくら   みんな言ってますよ。
西園寺   ‥‥そうですか。‥‥一応大学院生です。ずっと休学してるけど。
さくら   うわあ、ほんとなんだ。すごいですねぇ。
西園寺   すごくないですよ。
さくら   すごいですよ。すごい、すごい。
西園寺   ‥‥‥。
さくら   西園寺さんってすごいんだ。
西園寺   あの‥‥。
さくら   え? 何ですか?
西園寺   ずっと前から言おうと思ってたんだけど‥‥。
さくら   はい?
西園寺   その、西園寺さんっていうのやめてもらえませんか? みんなみたいにキミちゃんって呼んで下さい。
さくら   え? どうしてですか?
西園寺   いや‥‥何ていうか‥‥他人行儀っていうか、距離が遠いみたいな‥‥。
さくら   ふーん。
西園寺   お願いします。
さくら   ‥‥それじゃ、交換条件があります。
西園寺   交換条件?
さくら   二つあります。‥‥一つ目は、さくらさんはやめて、さくらちゃんって呼んで下さい。
西園寺   あ、はい。
さくら   二つ目は、自分のことを「自分」って言うのはやめて下さい。
西園寺   え?
さくら   「俺」でも「僕」でもいいけど、「自分」はやめて下さい。それこそ、その、他人行儀っていうか、距離が遠いみたいな感じがしますよ。
西園寺   そういうのは、自分ではあまり意識したことがなかったなあ‥‥。
さくら   ほら、また言った。
西園寺   いや、今の「自分」は、一人称の「自分」じゃなくって‥‥。
さくら   そんなの、ややこしくてわかりませーん。
西園寺   ‥‥たしかに、そうですね。
さくら   いいですね?
西園寺   はい。
さくら   フフフフ‥‥。
西園寺   ハハハハ‥‥。

      しばしの沈黙。
      雨の音。

さくら   よく降りますねぇ。
西園寺   そうですね。
さくら   ‥‥ねえ、西園寺さんじゃなくってキミちゃんは、七夕に何のお願いをするんですか?
西園寺   お願い?
さくら   ほら、短冊にお願いを書くでしょ?
西園寺   短冊かあ‥‥そんなのずっと書いたことがなかったからなあ‥‥。
さくら   もう、夢がないんだから。
西園寺   じゃ、さくらちゃんは何て書くの?
さくら   それはね‥‥
西園寺   うん。
さくら   ひみつ。
西園寺   何だよ、それ!
さくら   シー。声が大きい。
西園寺   ‥‥すみません。
さくら   ‥‥じゃあねぇ、今、一緒に告白しましょうか?
西園寺   え? 告白?
さくら   お願いの告白。
西園寺   あ、お願いね。‥‥いいですよ。
さくら   じゃ、行くわよ。
西園寺   ちょっと待って。今、考えるから。
さくら   もう!

      しばしの沈黙。
      雨の音。

さくら   もういいかーい?
西園寺   もういいーよー。
さくら   じゃ、行くわよ。せーの。
西園寺   世界が平和でありますように。
さくら   みんながしあわせでありますように。

さくら・西園寺 ん?
さくら   一緒に言ったらわかんないね。
西園寺   そうだね。
さくら   じゃ、もう一回。まずキミちゃんから。
西園寺   はい。世界が平和でありますように。
さくら   お、さすが東大生。世界のことを考えてるんだ。
西園寺   東大生でなくても考えるよ。‥‥じゃ、次は、さくらちゃん。
さくら   えーとね、みんながしあわせでありますように。
西園寺   え? ‥‥「早く退院できますように」とか「病気がなおりますように」とかじゃないの?
さくら   うん。別に早く退院しなくてもいいもん。
西園寺   どうして?
さくら   私ね、けっこう気に入ってるんだ、今の生活。
西園寺   ふーん。
さくら   キミちゃんもそういうことない?
西園寺   どうかなあ‥‥?
さくら   私ね、自分が社会で生きていけるとも思わないし、社会に出たいとも思わないのよ。
西園寺   ふーん。
さくら   それとね、‥‥私、みんながしあわせでありますようにって言ったでしょ?
西園寺   うん。
さくら   その「みんな」の中には、「私」は入ってないの。
西園寺   え?
さくら   私はしあわせにはなれないのよ。
西園寺   え? どうして?
さくら   別に不幸せじゃないのかもしれないけど、絶対しあわせにはなれないの。‥‥だから、皆さん、私をほっておいて勝手にしあわせになって下さいね! って、そういう意味。
西園寺   ‥‥ふーん。

      長い沈黙。
      雨の音。

西園寺   ‥‥あのね。
さくら   何?
西園寺   梅雨が終わったら、夏になるだろ?
さくら   うん。
西園寺   そしたら、隅田川の花火大会があるんだ。
さくら   うん。
西園寺   それがね、ここからけっこうよく見えるんだよ。
さくら   え、そうなの?
西園寺   うん、そうなの。
さくら   へぇ。
西園寺   ここの病院の利点って言ったらそのぐらいかな?
さくら   ふーん。
西園寺   その時は、一緒に見ようよ。
さくら   うん。
西園寺   一緒にね。約束だよ。
さくら   うん。‥‥約束する。

      しばしの沈黙。
      雨の音。

      廊下から懐中電灯の光。
      啓子が現れる。

啓子   あんたら、こんな時間に何してんの!
西園寺   いや、ちょっと眠れなくて。
さくら   睡眠薬もらおうと思って。
啓子   それやったら、さっさとナースステーションに来なさい!
さくら・西園寺   はーい。

      二人、立ち上がる。

啓子   あんたら、いつからここにいたん?
さくら   ついさっき。
啓子   ほんまに?
西園寺   ほんとです。
啓子   この部屋は、就寝時間が過ぎたら使用禁止やで。
さくら・西園寺   はーい。
啓子   ほな、ついて来て。
さくら・西園寺   はーい。

      三人、去る。
      雨の音。

      暗転。


      病院の談話室。
      啓子がお盆のオブジェを飾り付けている。
      湯川と堂島がイスに座っている。

啓子   ♪おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先きゃおらんど 盆が早よ来りゃ 早よもどる
湯川   ‥‥それにしても早いねー。こないだ梅雨が明けたと思ったら、もうお盆だもんな。
堂島   そうだな。
湯川   ほんとに夏って短いよな。もうそろそろ海もクラゲでダメだろうし。
堂島   ま、どっちにしても俺たちには関係ないけどな。‥‥ねぇ、啓子さん、リクレーションで海水浴とかダメなの?
啓子   まあ、海は無理やろな。せいぜいプールが限界やね。
堂島   プールだって行ってないじゃん。
啓子   あんたぐらいしか希望がないやん。
堂島   じゃ、俺だけでいいからさ、連れてってよ。
啓子   えー、そんなんめんどくさいわ。‥‥それに海パンとか持ってるの?
堂島   だったら買うからさ。
啓子   もうイマドキ水着なんか売ってへんよ。デパートはとっくに秋物やでぇ。
堂島   えー。
啓子   もうお盆なんやし、おとなしご先祖さんの供養でもしてよし。朝に礼拝夕べに感謝や。(啓子、拝むポーズ)
湯川   あ、そう言えば、昔、テレビとかでお盆のことを「旧盆」とか言ってただろ? 俺、あの言い方がむかついてねー。
堂島   え、どうして?
湯川   だって、新暦でお盆をやってるのって、東京だけじゃん。だいたい七月にお墓参りとか行く気するかよ?
堂島   そうかなー? 俺、東京生まれだから違和感ないけど。
湯川   そうかー? 啓子さん、どうよ?
啓子   そりゃお盆は昔から八月に決まってるやん。
湯川   だよねー。
堂島   かなー?
湯川   だいたい、雰囲気がないよ。‥‥梅雨の真っ最中じゃお化けだって出る気がしないだろうし。
堂島   え、お化けが出るためにお盆ってあるの?
湯川   そりゃそうだよ。(啓子に)ねぇ?
啓子   別にお化けが出るためとはちゃうやろけど、‥‥まあ、ご先祖さんが戻って来はるんやしな、お化けも出やすいことは出やすいやろな。
湯川   だよねー。
堂島   まあ‥‥確かにお化け屋敷は八月だけどな‥‥。
湯川   だろ?
堂島   ‥‥そういえば、ここって出るの?
湯川・啓子   え?
堂島   だから、お化け。
湯川   さ、さあ?
堂島   ほら、だいたい病院ってお化けのメッカじゃん。
湯川   それは‥‥そうだ。
堂島   それに、ここ精神病院なんだから、自殺した人なんかもいるだろうし‥‥。
湯川   それもそうだな。(啓子に)‥‥ねぇ、いるんでしょ? 自殺。
啓子   ‥‥さあ。
湯川   ねぇ、誰にも言わないからさあ‥‥。
啓子   それは‥‥言えへんな。企業秘密。
湯川   ということは‥‥やっぱりいたんだ!
啓子   そんなことは言うてません。
湯川   じゃ、いないの?
啓子   それも言うてません。
湯川   ねぇ、言ってよ! 気になるじゃん! なあ?
堂島   うん。気になる。気になる。
啓子   だから、企業秘密やって言うてるやん。
湯川   もう! ケチ! ケチ、ケチ、ケチ!
啓子   何とでも言いよし。

      突然、西園寺が現れる。

西園寺   いるよ。‥‥自殺した人。
全員   え?
湯川   キミちゃん知ってるの?
堂島   そう言えば、キミちゃん長いからなあ、ここ。
西園寺   いや、実際に知ってるわけじゃないよ。
湯川   じゃ、じゃあ?
西園寺   ‥‥見えるんだ。
全員   え!
西園寺   少なくとも二人いるよ。
全員   え、えー!
啓子   キ、キミちゃん、妙なこと言わんといて!
西園寺   だって、見えるんだから、しょうがないじゃん。
堂島   キミちゃん、霊感あるの?
西園寺   霊感って言うか、昔から見えたからなあ。おじいちゃんとか、おばあちゃんとか。‥‥それがフツーだから。
湯川   すっげー!
堂島   いるんだよね、こういう人。「ほら、あなたの後ろに背後霊がいますよ」とか言う人。
湯川   ひえー! 俺、そういうの苦手なんだ!
啓子   何やの? さっきまで喜んで聞いてたくせに。
湯川   ほら、怖いもの見たさってあるじゃん。だから、そういうのマジで恐いんだよ!
西園寺   背後霊って言えば‥‥
湯川   やめて! やめてくれー! 見えてても言わないで!
堂島   俺も右に同じー!
西園寺   いや、背後霊とか、そういうのは見えないんだ。
湯川   ‥‥何だよ。‥‥だったら先に言ってくれよ。
西園寺   だから、言おうと思ったのに‥‥。

      東郷、現れる。

東郷   グーテンターク! ハゥアーユー? 皆さんお元気ですか?
湯川   お、お元気じゃないよ。
東郷   え? どうかしたの?
堂島   もう、大変なんだよ!
東郷   え、何? 何?
湯川   聞かない方がいいよ。
東郷   え? どうして?
堂島   そうだよ。聞かない方が精神衛生にいいよ。
東郷   何言ってんのよ? キチガイが精神衛生だって、笑っちゃうわよ。‥‥それで、何なのよ? 教えてよ!
湯川   じ、実は、キミちゃんがさ‥‥
東郷   え? キミちゃんの話なの? キミちゃんがどうかしたの?
堂島   キミちゃん、霊感があってさ、この病院で自殺した人の霊が見えるんだって‥‥。
東郷   え!
堂島   だから聞かない方がいいって‥‥
東郷   自殺した人って、立川さんと野田さんのこと?
全員   え?
東郷   え? 何? 違うの? 違うの?
西園寺   いや、そうなんだけど‥‥。
湯川   ひ、ひょっとして、カマさんも‥‥
堂島   み、見えるの‥‥?
東郷   え? ひょっとして、みんな、見えてなかったの?

      一瞬の間。

全員   わー!

      しばしパニック。

東郷   そんなことより、大変なのよ!
湯川   もういいって! もう十分大変だって!
堂島   右に同じー!
東郷   違うのよ! 幽霊の話じゃないのよ!
湯川   だったら、何なんだよー!
東郷   だから自衛隊を出すんだって!
全員   は?
堂島   ‥‥何だよ、それ?
東郷   あんたたち知らないの? 台湾海峡にいよいよ自衛隊を派遣することが決まったのよ。
西園寺   台湾海峡って、あの台湾海峡?
東郷   そうよ。あの台湾海峡よ。
西園寺   だけど、あそこは今一触即発じゃん?
東郷   だから大変なのよ。
堂島   戦争になるの?
湯川   ドンパチやるわけ?
東郷   だって日本は戦争は禁止なのよ。絶対禁止。
西園寺   でも、今あんなとこにに軍艦や飛行機出したら、絶対巻き込まれちゃうじゃない?
東郷   そうなのよ。名目上は後方支援なんだけど、あんなところに後方も前方もあるわけないのよ。
啓子   なるほど。それは大変やな。‥‥そやけど誰も反対とかせーへんの?
東郷   共産党だけ反対してるけど、もう総スカンていうか非国民あつかいだし‥‥。今の状態じゃ、次の選挙で消滅間違いなしね。
啓子   何でそうなんの?
東郷   あんたたち、ニュースとか見てないの? チャイナバブルがはじけてからってものは、アメリカもヨーロッパも経済がむちゃくちゃだし、そのあおりを食って日本もグジャグジャだから、世界中みんな頭に血がのぼってんのよ。
啓子   そら何となく知ってるけど‥‥それにしてもあんまり急やな。
東郷   政治の世界は一寸先は闇なのよ。
湯川   こっちだって一寸先は闇だよ。
東郷   何がよ?
湯川   だ、だって、ほんとにその立川さんとか野田さんがいるんだったら、俺、もう夜オシッコ行けない!
東郷   まだそんなこと言ってるの? あの人たちは、ただいるだけで、何の危害も与えないから大丈夫よ。
湯川   そんなこと言ったって、恐いものは恐いよ!
東郷   あんた男でしょ! ‥‥それじゃ、その二人にあいさつでもしとけば?
湯川   そんなのできるかー!
堂島   ‥‥あ、あのさ、かまさん。
東郷   何よ?
堂島   その人たちって、夜だけだよね。‥‥たとえば、今ここにいたりはしないよね。
東郷   夜だけよ。それに、この部屋には出ないわよ。
堂島   じゃ、じゃあ、どこに出るんだよ?
東郷   それはね‥‥
湯川   わー!
東郷   ! 何よ? 大声出すからびっくりするじゃない?
湯川   た、頼む。頼む、かまさん。もうその先は言わないで!
東郷   何よ、だらしないんだから。‥‥そんなに言われると、あたし、ちょっといじわるしたくなってきちゃった。
湯川   え‥‥ま、まさか‥‥。
東郷   ご要望にお応えして、言っちゃおうかなあ?
湯川   ご、ご要望してない。してない。‥‥お、俺が悪かった。俺が悪かった。何でも言うこと聞くよ。だから、頼むから、かまさん。
東郷   じゃ、あたしのことデュークって呼んでくれる?
湯川   よ、呼ぶよ。わかりました、かまさん、じゃなくってデューク様。
東郷   あははは。おもしろーい。じゃ、ヨウヘイちゃんもいいわね?
堂島   ‥‥やだ。
東郷   え、何?
堂島   お、俺は幽霊なんか信じない。信じるもんか。
湯川   お、おい、お前、何変なとこで意地はってんだよ?
東郷   あら、そうなの? そっちがそのつもりなら、あたくしにも考えがあってよ。
湯川   おい、バカ! 謝れ! いいからデューク様に謝るんだ!
堂島   やだ!
湯川   おい、何で意地はってんだよー!
堂島   だ、だって、ここで一度譲ってしまったら、俺たちこれからずーっと一生幽霊ネタでゆすられるんだぜ。
東郷   ふーん。ヨウヘイちゃん、あたしのことそんな人間だと思って見てたのね?
堂島   ち、違うのか?
東郷   いや、あんた案外頭がいいのねって感心したのよ。
湯川   デューク様、おねげえですだ。こいつはあっしが何とかしますから、どーか、どーか、それだけは‥‥。
東郷   ふん、今更そんなこと言ってももう無駄よ。‥‥じゃ、言っておやりなさい、キミちゃん!
西園寺   え、俺? い、いいの‥‥かな?
湯川   よくないですー!
東郷   何ぐずぐずしてるの? さあ、早く!
西園寺   じゃ、じゃあ、言うよ。あの、幽霊が出るのはねぇ‥‥
湯川   わー!

      さくらが現れる。

さくら   ‥‥あれ? どうかしたんですか?
湯川   さ、さくらちゃん、助けてー!

      湯川、さくらにすがりつく。

さくら   え? え? 何かあったんですか?
湯川   そ、そのおかま野郎が脅迫するんだよ!
東郷   おかま野郎?
湯川   そうだよ、お前は卑劣なおかま野郎だよ! ‥‥堂島、俺も目が覚めたよ。もうこんな奴らには負けないぜ!
堂島   そ、そうか、わかってくれたか!
湯川   ファイトー!
堂島   いっぱーつ!
さくら   ‥‥あのぅ‥‥何してるんですか?
湯川   こいつら、オーラの泉で俺たちをゆすってるんだよ。だけど、俺たちは負けないんだ!
さくら   はあ? ‥‥あのぅ、話が見えないんですけど‥‥。
堂島   この病院に幽霊が二人出るって言うんだよ。その、立川さんってのと‥‥ええっと。
東郷   野田さんよ。
堂島   それで、その出る場所を言ってやるって‥‥。
さくら   ‥‥え、幽霊が?
堂島   ええ。
さくら   ‥‥二人ですか?
堂島   はい。
さくら   ‥‥それは本当ですか?
東郷   ああ、本当だよ。ねぇ。
西園寺   はい、本当です。
さくら   ‥‥じゃ、じゃあ‥‥。

      一瞬の間。

さくら   正宗さんは?
全員   ‥‥へ?
さくら   平家の落ち武者の平正宗さん。
全員   え?
さくら   え、皆さん見えてないんですか?
全員   え!
さくら   ほら、今、鎧姿でかまさんの後ろに‥‥。
東郷   え?

      東郷振り向くと同時に暗転。

全員の声   ギャー!


      病院の談話室。
      啓子が紅葉のオブジェを飾り付けている。
      さくらがイスに座っている。

啓子   ♪秋の夕陽に照る山もみじ 濃いも薄いも数ある中に  松を彩るかえでやツタは 山のふもとのすそ模様

さくら   ‥‥もうすっかり秋ですねぇ。
啓子   すっかり秋やねぇ。
さくら   時が経つのは早いですねー。
啓子   ほんま、早い、早い。
さくら   トシをとると、どんどん早くなって行きますねー。
啓子   何やの、それ? 嫌み? たかが十八でトシなんて言わんといてほしいわー。
さくら   すみません。でも、この頃、ほんとにトシとったなーって思うんですよね。
啓子   まあ、それは、大人になったちゅうこっちゃな。子供の時とは人生の密度が変わるんやわ。
さくら   人生の密度?
啓子   まあ、いろいろと考えることが増えるっちゅうことや。
さくら   そうですねー。
啓子   まあ、人生に悩み、恋に悩み‥‥そうそう、さくらちゃん、恋人とかいいひんの?
さくら   恋人ですか‥‥?
啓子   うん、ほら、片思いでもええからさあ‥‥。
さくら   そうですねぇ‥‥。いるような、いないような‥‥。
啓子   何やの? はっきりしーや。
さくら   すみません。
啓子   いや、別に謝ってもらわんでもええけどな。‥‥ほら、恋は人間を成長させるっちゅうやん? 特に女の子の場合はそうやと思うよ。あたしの経験から言うても‥‥。ほれ、昔の歌にもあるやんか、♪いーのーちみじーかしー 恋せよおとめーって。
さくら   あ、私、その歌知ってます。
啓子   あんた、時々えらい昔のもん知ってたりすんな。
さくら   え、そうですか?
啓子   そうやよ。‥‥ほんまに変な子やな。
さくら   すみません。
啓子   ほめ言葉やて、ほめ言葉。
さくら   あ、そうなんですか? ありがとうございます。‥‥ところで、啓子さんは恋人は?
啓子   え? あんた、時々そういう不意打ちすんなあ‥‥。そやなあ、まあ、いるような、いないような‥‥。
さくら   あ、そう来ますか?
啓子   来ますよ。
さくら   こいつは一本取られたなあ。
啓子   あたしかてダテにトシ取ってへんで。まだまだガキンチョには負けへんて。
さくら   それは、そうですね。アハハハ‥‥。
啓子   ハハハハ‥‥。

      西園寺がやってくる。

西園寺   おはようございまーす。
さくら   おはようございまーす。
啓子   はい、おはようさん。‥‥お、ウワサをすれば、やね。
さくら   そんなんじゃないですよぅ。
西園寺   え、何のウワサですか?
啓子   いや、キミちゃんは、いつ見てもかっこええねぇって。
西園寺   え‥‥冗談でしょ?
啓子   はい、冗談です。
西園寺   ‥‥もう。
さくら   ウフフフ‥‥。
西園寺   もう、さくらちゃんまで笑わなくってもいいじゃない。
さくら   ごめんなさーい。
西園寺   まあ、いいけど。‥‥お、今度はもみじですか? そう言えばもうそんな季節ですよね。
啓子   今が一番ええ季節やなあ。なあ、そう思わへん?
さくら   ええ、そうですね。
西園寺   そろそろストーブがほしい季節ですね。
啓子   何やの、あんた。ほんま、男はロマンチックがないねぇ。
さくら   ほんとですね。ウフフフ‥‥。
西園寺   あ、また‥‥。
啓子   また、何やの?
西園寺   いや、別に‥‥。何でもないです。
啓子   そうそう、さくらちゃん、あんたを春に連れて行った桜並木のとこがあったやろ?
さくら   はい。
啓子   あそこ、紅葉もごっつきれいなんやで。また行こか?
さくら   はい、行きたいです。
啓子   ‥‥そこのロマンチックのない人も行く?
西園寺   え‥‥。別にどっちでもいいですよ。
啓子   あ、そうか? ほな、二人だけで行こか?
さくら   え? ‥‥ええ。
西園寺   ‥‥‥。
啓子   何意地はってんの? あんたも連れて行ってあげるがな。
西園寺   それは‥‥どうも。
啓子   アハハハ‥‥。
さくら   ウフフフ‥‥。
西園寺   ‥‥‥。
啓子   そやそや、ロマンチック言うたら、これからあんたら若い人には忙しいシーズンになるな?
さくら   忙しいシーズン?
啓子   ほら、イベントがいっぱいあるやん。クリスマスに、初詣、それからバレンタインデー。‥‥恋の季節やね。
さくら   ああ‥‥そうですね。
啓子   そこのロマンチックのない人もがんばらなあかんで。
西園寺   え? ‥‥はあ。
啓子   何や気のない返事やな。そんなんやったら、いつまでたっても恋人もできひんよ! ほれ、気合い入れて!
西園寺   あ‥‥はあ。
啓子   もう! あかんわ、この兄ちゃん。アハハハ‥‥。
さくら   ウフフフフ‥‥。
西園寺   ‥‥‥。

      堂島がやって来る。

堂島   ふあー、おひゃよーございまーす。
啓子   何やの、おひゃよーって? はい、やり直し!
堂島   もう‥‥。おはようございます。
啓子   はい、おはようさん。
さくら   おはようございます。
西園寺   おはよう。
堂島   あれ? キミちゃん、今日はやけに早起きじゃん。
西園寺   俺だって、たまには起きるよ。
堂島   あ、そうなの? ふあーあー。
啓子   さくらちゃん、もうこっちのにしとく?
さくら   え?
啓子   あっちのは、どうも煮えきらへん感じやし‥‥。
さくら   え‥‥だから、そんなんじゃないですって。
堂島   え? 何の話? 何の話?
啓子   そやから、さくらちゃんの恋人探し。
堂島   えー、さくらちゃん恋人募集中なの?
さくら   いえ、そうじゃなくって‥‥。
啓子   秋は恋の季節やしねぇ。寄り添い歩ける恋人とかほしいやん?
堂島   なーるほど。で、どうなの? どうなの?
さくら   だから‥‥。
啓子   それが、候補はいることはいるんやけど、どいつもこいつもろくなんとちゃうんやわあ。
堂島   え? 候補って?
啓子   たとえば、あんたや。
堂島   え? 俺?
啓子   そう、俺。
堂島   どいつもこいつもろくなのじゃないって?
啓子   そうなんよ。それが悩みやねん。
堂島   それって、もしかして‥‥?
啓子   もしかせんでもそういう意味や。
堂島   えー!
さくら   堂島さん、誤解しないで下さいね。啓子さんが勝手に言ってるんですよ。
堂島   わかってるよ。この人、こうやって人に嫌み言うぐらいしか楽しみがないんだから。
啓子   何やて? もういっぺん言うてみー!
堂島   だから、そんな風に言われたくなかったら、啓子さんこそさっさと相手見つけて結婚すればいいんだよ。
啓子   何やて! ‥‥もう! あんたなんかに女心はわからへんわ! うわー!(泣く)
さくら   啓子さん! ‥‥堂島さん、ちょっと言い過ぎですよ!
啓子   うえーん。
堂島   平気、平気。どうせウソ泣きだって。
啓子   ひ、ひ、ひどいわー。えーん。
さくら   啓子さん‥‥。堂島さん、それほんとにひどいですよ。啓子さんに謝って下さい。
啓子   えーん。
堂島   だから、平気だよ。‥‥それよか、さくらちゃんって、どんな男が好みなの?
さくら   だから‥‥。
堂島   ねぇ。
さくら   ‥‥女の人を泣かしたりしない人。
堂島   え?
啓子   そや! よう言うた! さくらちゃん、あんたほんまにええ子やねぇ。
さくら   あ。
堂島   だから、ウソ泣きって言ってんじゃん。
啓子   ほんまにそうやわ。こーんないけずな男はやめとき。
さくら   はあ‥‥。
堂島   で、どうなの? 好みのタイプは?
啓子   好みのタイプは?
さくら   え‥‥。そんなこと言われても‥‥。
堂島   ほら、野性的とか、抱擁型とか?
啓子   頼れるタイプとか、優しいタイプとか?
堂島   夢があるとか、金があるとか?
啓子   かっこええとか、おもろいとか?
さくら   えー、そんなの‥‥そんなのわかりません!
啓子・堂島   え?
さくら   ‥‥あのぅ‥‥ひょっとしたら、私‥‥。
啓子・堂島   うん。
さくら   私、男の人、ダメなのかもしれない。
啓子・堂島   え?
西園寺   え!
堂島   ‥‥それってどういうこと?
さくら   ‥‥うまく言えないんですけど‥‥何となくそんな気がするんです。
堂島   どうして? ‥‥何か昔につらいことでもあったの? ほら、すっごくイヤな男とつきあったとか、すっごく悲しい恋愛をして、それを引きずってるとか‥‥。
さくら   ‥‥‥。
啓子   ‥‥‥。
堂島   ねぇ、黙ってたらわかんないよ。
啓子   まあ、ええやん。
堂島   え?
啓子   本人が言いとないんやったら、無理に聞いてもかわいそうやん。
堂島   だって‥‥。
啓子   ほな、この話題はもうおしまい。‥‥さくらちゃん、ちょっと調子に乗ってもうてごめんな。
さくら   いえ‥‥いいんです。
堂島   えー、せっかく盛り上がってきたのに!
啓子   おしまい言うたら、おしまいやの! ‥‥ひつこい男は嫌われるで。
堂島   もう!
啓子   ほな、何か別の話題にしよか? ‥‥そや、キミちゃん、なんかおもろい話ない?
西園寺   ‥‥さくらさん。
さくら   え。
西園寺   ‥‥友達でもダメですか。
啓子   だから、その話題はおしまいやて!
さくら   友達は‥‥。
西園寺   友達は?
さくら   ‥‥やっぱりわかりません。‥‥私、自信がないんです。‥‥ごめんなさい。
西園寺   ‥‥そうですか。
さくら   ‥‥ごめんなさい。

      しばしの沈黙。

      暗転。


      病院の談話室。
      小さなクリスマスツリーが飾ってある。
      湯川、堂島、西園寺、さくらがいる。
      みんなとんがり帽子をかぶっている。
      手には鈴とかタンバリン。

湯川・堂島   ♪ジングルベル、ジングルベル、鈴が鳴る。今日は楽しいクリスマス!(ヘイ!)ジングルベル、ジングルベル、鈴が鳴る。今日は楽しいクリスマス!(ヘイ!)
真っ赤なお鼻のトナカイさんは、いつもみんなの笑い者。でもその年のクリスマスの日、サンタのおじさん、言いました。暗い夜にはピカピカのお前の鼻が役に立つのさ。いつも泣いてたトナカイさんは、今宵こそはと喜びました。(ヘイ!)

メリークリスマス!
全員   メリークリスマス!
湯川   わーい、楽しいなったら、楽しいな!
堂島   楽しいなったら、楽しいな!
湯川   やっぱり、たまにはバカになって、パーッと騒がないとね。
堂島   そうそう、パーッと行きましょ、パーッと。
西園寺   君たち、いつも、パーッと騒いでんじゃん。ねぇ?
さくら   そうですよねぇ。
湯川   そこ、そこ、ごちゃごちゃ理屈を言ってなーい!
堂島   君たち、イエローカード!(と黄色い紙を出す)
湯川   お、お主やるねぇ!
堂島   だっしょう?
西園寺   話だけ聞いてると、君たち、まるでお酒を飲んでるみたいだねぇ。
堂島   だっしょう?
湯川   お、それそれ。クリスマスの日ぐらい、お酒飲んでもいいじゃん?
堂島   右に同じー!
湯川   ほんと、あの院長気がきかないよなー!
堂島   右に同じー!
西園寺   まあ、病院だしな。
湯川   それからそれから、まだあるよ。クリスマスの日ぐらい、クラッカー鳴らしてもいいじゃん?
堂島   右に同じー!
西園寺   まあ、やっぱり病院だからな。
湯川   他にも、何かあるよ。えーと。
堂島   そういや、何か足りないな。
湯川・堂島   うーん。
さくら   それって、もしかして啓子さんじゃないですか?
湯川   ピンポーン! そうそう、クリスマスぐらい看護婦が騒いでもいいじゃん。
堂島   そうそう、あのにぎやかなおばちゃんがいないクリスマスパーティーってのは、気の抜けたビールみたいなもんだよ。
西園寺   だって、風邪で休んでんだからしょうがないじゃん。
湯川   よりによって、こんな日に風邪ひくかー?
堂島   右に同じー!
湯川   そう言えば、あのおばちゃん、病気したことなんかあったっけ?
堂島   ない、ない、ない、ない! あれは鉄のおんなー!
湯川   大阪人、風邪ひかないー!
さくら   それは言い過ぎじゃないですか?
湯川   いいの! 今日は無礼講なのだー!
堂島   右に同じー!
西園寺   ほんと、こいつら、どう見ても酔っぱらってるとしか思えないね。
さくら   ほんとですね。右に同じー!
堂島   あ、さくらちゃん、それ言っちゃだめ!
さくら   どうしてですか?
堂島   それはね、ボクの専売特許なのだー!
さくら   何ですか、それ? 誰が決めたんですか?
堂島   俺が決めたのだー! アハハハ‥‥。
さくら   もう! フフフ‥‥。

      東郷が現れる。サンタの衣装。

東郷   メリークリスマス! エブリバディ! みなさーん、楽しんでますかー?
全員   イエー!
東郷   みんなー、愛し合ってるかーい?
全員   イエー!

      東郷、入ってくる。

湯川   あれー?
東郷   え?
湯川   このサンタさんも、何か足りないよー?
東郷   え?
堂島   あ、ほんとだー!
東郷   え? え?
湯川   みなさーん、サンタクロースって言えばー?
全員   プレゼントー!
東郷   あ‥‥ああ、そういうことね? ‥‥まあ、サンタさんも年末はいろいろ入り用でねぇ‥‥。ここに来たら何かもらえるんじゃないかと思って‥‥。ということで‥‥ま、今年はいいでしょ?
全員   よくなーい!
東郷   ‥‥そんなあ。
湯川   ま、いいよ、いいよ、さ、さ、ここに座って、かまさん。
東郷   かまさんじゃなくって!
全員   サンタさん!
東郷   イエース!

      東郷、座る。

東郷   さ、さ、ケーキ食べましょ、ケーキ。‥‥あれぇ、ケーキは?
湯川   ‥‥ま、病院もね、年末はいろいろ入り用でねぇ。
堂島   ま、今年はいいでしょ?
東郷   え‥‥そんなー!
湯川   ウソウソ。
堂島   もうすぐケーキ屋さんが持ってくるよ。
東郷   あ、ああ、そうなの? ‥‥あたし、もう帰ろうかと思ったわ。
西園寺   えらく現金なサンタさんだな?
さくら   ほんと。
全員   アハハハハ‥‥。
東郷   ‥‥あら? あの嫌みな看護婦は? ‥‥おトイレ?
湯川   それがねぇ‥‥。
堂島   風邪ひいたんだって。
東郷   へー、珍しいこともあるもんね。
湯川   ほんとほんと。
東郷   雪でも降るんじゃない?
湯川   ほんとほんと。
東郷   それじゃあ、今夜はホワイトクリスマスよ!
全員   イエー!
さくら   それじゃ、みんながそろったところで、乾杯でもしませんか?
西園寺   お、いいねえ。
さくら   はい、みなさん、コップを出して下さーい。
堂島   お、気がきくね。
東郷   やっぱり女の子だもんね。

      さくら、全員のコップにジュースを注ぐ。

さくら   はい、みんなコップを持って下さーい。
全員   はーい。
さくら   それじゃ、乾杯の音頭は‥‥サンタさん!
東郷   え、あたし? わっかりましたー。‥‥それじゃ、いくわよ。‥‥えー、本日は皆様お寒い中、お忙しい中、当病院にお集まりいただきまして誠にありがとうございます。
湯川   もう! そんなのはいいから!
東郷   あ、そ。‥‥じゃあ、嫌みな看護婦の風邪ひきを祝しまして、メリークリスマス!
全員   メリークリスマス!

      全員、ジュースを飲む。拍手。
      啓子が現れる。私服。

湯川   あ。
堂島   うわさをすれば‥‥。
東郷   やっぱり悪口は言うもんねぇ。
さくら   もう風邪はいいんですか?
啓子   さくらさん!
さくら   はい?

      啓子、さくらの前に歩み寄る。
      突然、さくらに平手打ち!

さくら   !
全員   え!
湯川   ‥‥な、何すんだよ!
啓子   ‥‥さくらさん‥‥あんたって人は!
全員   ‥‥‥。
啓子   ‥‥虫も殺さんような顔して、なかなかやってくれるやないの!
さくら   ‥‥‥。
東郷   ‥‥どういうこと? ‥‥これ、どういうことなの?
啓子   沢田が全部白状したわ。
さくら   ‥‥そうですか。
堂島   沢田って‥‥沢田先生のこと?
湯川   ‥‥だろ?
啓子   あんた‥‥ほんまは知ってたんやろ? あたしと沢田のことも‥‥。
さくら   ‥‥‥。
啓子   知ってたんやろ! あたしらの婚約のことも!
さくら   ‥‥‥。
啓子   黙っとらんと、何か言いな!
さくら   ‥‥まあ‥‥何となく。
啓子   何となく?
さくら   ‥‥‥。
啓子   何となくやったら、人の男に手出してもええんか!
さくら   ‥‥手なんか、出してません。
啓子   何やて?
さくら   ‥‥沢田先生に誘惑されたんです。
啓子   こ‥‥この女は‥‥。
さくら   ‥‥啓子さん、聞いて下さい。‥‥初めは普通のカウンセリングだったんです。とりとめもない世間話や、家族の話や、‥‥それから、事件の話や‥‥。それで、先生が私にとても同情して下さって‥‥。
啓子   ‥‥それがやがて恋愛感情になって行ったって、か?
‥‥ふん、安もんのテレビドラマでようある筋書きやな。
さくら   ‥‥‥。
啓子   ‥‥それで‥‥どうしてくれるねん?
さくら   ‥‥どうしてくれる?
啓子   ごちゃごちゃした言い訳はいらん。あたしは結論を聞いてるんや。
さくら   ‥‥‥。
啓子   沢田とは別れたわ。
さくら   ‥‥‥。
啓子   あんたも別れてもらおか? ‥‥それでチャラにしたろ。
さくら   ‥‥‥。できません。
啓子   何やて?
さくら   ‥‥私、先生とは別れられません。
啓子   ‥‥あんた‥‥自分が言うてることがわかってんのか?
さくら   ‥‥はい。
啓子   お前、なめてんのか!

      啓子、手を挙げる。
      湯川、すかさずその手を止める。

湯川   啓子さん!

      しばしの間。

さくら   ‥‥子供が‥‥いるんです。
全員   え!
さくら   ‥‥お腹に、子供がいるんです。
全員   ‥‥‥。

      しばしの沈黙。

啓子   ‥‥売女。
全員   ‥‥え。
啓子   そや、お前は売女や! ‥‥子供の頃から父親と寝て‥‥何遍も何遍も父親と寝て、寝て、寝て、‥‥それで男を見たら体がうずくんやろ!

      東郷が啓子を平手打ちする。

啓子   !
東郷   バカ! いくら何でも、言っていいことと悪いことがあるわよ!
啓子   ‥‥‥。
さくら   ‥‥‥。

      長い沈黙。

啓子   フフ。ハハハ‥‥。かまさん、正義面して言ってくれるやない? ‥‥あんたに何がわかるんよ? この女の何を知ってるんよ? ‥‥こいつはねぇ、この女はねぇ、その父親を包丁で刺して殺したんやで!
全員   え!
さくら   ‥‥‥。

      長い沈黙。

啓子   ‥‥憎かったら、また殺しいな。‥‥あたしを殺しいな。沢田を殺しいな。‥‥お腹を刺して、その赤ん坊も殺しいな! うわー!(泣く)

      長い間。
      啓子が泣いている。

さくら   ‥‥ゆ、許して下さい。啓子さん。‥‥許して下さい。お父さん。‥‥みんな、みんな、許して下さい。‥‥みんな私が悪いんです。ごめんなさい。

      さくら、泣く。
      啓子も泣いている。
      長い沈黙。

西園寺   ‥‥さくらさん。

      クリスマスツリーがきらめいている。
      暗転。


      病院の談話室。
      オブジェはない。
      湯川と堂島が座っている。

湯川   ‥‥ちょうど今頃だったよなー。
堂島   え?
湯川   さくらちゃんが来たの。
堂島   ああ‥‥そうだったな。
湯川   あれから、もう一年か‥‥。いろいろあったよなあ。
堂島   うん。いろいろあった。
湯川   はーあ。
堂島   ふうー。
湯川   また、砂を噛むよな味気ない生活が、ずーっと続くのか。‥‥春は名のみの風の寒さよ。
堂島   そうとも限らんよ。‥‥今日、来るんだろ? 新しい患者。‥‥女の人らしいぜ。
湯川   女の「人」だろ? ピチピチギャルじゃないだろ?
堂島   それはそうだけど‥‥男ばっかよかいいじゃん。
湯川   まあ‥‥それはそうだな。

      しばしの間。

湯川   ふあーあ。
堂島   ふあーあ。
湯川   どうもあれから力が入んないよなあ。
堂島   それは言えてる。正月なんて、しけしけだったもんなあ。
湯川   人生最低のお正月。
堂島   だよなあ。
湯川   ふあーあ。
堂島   せめて、啓子さんだけでもいてくれたらなあ‥‥。
湯川   それは言える。‥‥少なくともあの人元気だけはくれたからなあ。
堂島   だよなあ。

      しばしの間。

湯川   ‥‥どうしてんのかなあ?
堂島   え? ‥‥何が?
湯川   さくらちゃんとか、啓子さんとか。
堂島   ああ‥‥そうだよなあ。
湯川   何だかトップシークレットみたいになってるしなあ。
堂島   そうだよなあ。沢田のおっさんも飛ばされたし‥‥。
湯川   赤ちゃん生まれたのかなあ?
堂島   え? 産むの?
湯川   わかんないけど‥‥産むんじゃない?
堂島   じゃ、結婚するの?
湯川   それも、わかんない。‥‥けど、しないんじゃない?
堂島   じゃ、シングルマザーか。
湯川   ‥‥かもな。
堂島   まだ、十九だろ? ‥‥大変だろなあ。
湯川   そうだよなあ。

      しばしの間。

湯川   ふあーあ。
堂島   ふあーあ。
湯川   啓子さんはどうしてんの?
堂島   さあ?
湯川   看護婦だから、再就職かな?
堂島   でも‥‥あんなことやっちゃったからなあ。
湯川   でも、他府県とか行ったら平気だよ。たぶん。
堂島   それは、そうかもな。
湯川   うん。

      西園寺が入ってくる。

堂島   ‥‥来たよ、来たよ、一番の被害者が。
湯川   ああ。

      西園寺、黙ってイスに座る。

西園寺   ふあーあーあ。
湯川   ‥‥おはよう。
堂島   おはよう。
西園寺   あ‥‥おはよう。

      しばしの沈黙。

湯川   ‥‥重症だな。
堂島   せっかく元気になりかけてたのにな。
湯川   ああ。
西園寺   ‥‥さくらさん、さくらさん、さくらさん、さくらさん‥‥。
湯川   あ、また始まったよ。
堂島   俺、痛々しくて見てらんない。‥‥部屋に戻るよ。
湯川   俺も戻ろう。

      湯川、堂島、立ち上がる。
      東郷が現れる。

東郷   アロハー! グッモーニン! ハゥアーユー! 皆さんお元気ですか?
湯川   お元気じゃないよ。
堂島   右に同じー。
東郷   え? ‥‥ひょっとして、あんたたちもう知ってるの?
湯川   え、何?
東郷   だから、戦争よ。戦争。いよいよ始まったのよ。
湯川   あ‥‥そう。
東郷   あ、そう、じゃないでしょ?
堂島   だって、俺たちには関係ないじゃない。精神病患者って、兵隊には取られないんだろ?
湯川   そうそう‥‥あ、おかまはどうなのかな?
東郷   そういう問題じゃないでしょ! 戦争が起きるとね、まずあたしたちみたいなマイノリティが抑圧されんのよ。それが歴史の教訓なの!
湯川   ふーん。
堂島   ふーん。
東郷   何よ? その無気力な反応は!
湯川   だって、あいにく今うちはそれどころじゃないんだよ。
東郷   何よ? それどころじゃないって?
湯川   だって、
堂島   ほら。(と、西園寺を見る)
西園寺   ‥‥さくらさん、さくらさん、さくらさん、さくらさん‥‥。
東郷   ああ‥‥そういえば、そうだったわねぇ。
堂島   だろ?
東郷   ずっとこの状態?
堂島   うん、ずーっと。
東郷   そっかあ‥‥なるほどねぇ。
湯川   わかった?
東郷   でも、聞いたわよ! 今日、新しい患者さんが来るんでしょ? 女の人。
湯川   ああ、女の「人」。
東郷   楽しみじゃないの?
堂島   まあ、なくもないけど‥‥。
湯川   そう、なくもなくもなくもない。
東郷   え? それ、どっちよ?
湯川   だから、一応ね。
東郷   ふーん。‥‥で、いくつぐらいの人?
堂島   さあ? ‥‥でも、ピチピチギャルじゃないことは確かみたい。
湯川   まあ、三十か、四十か、五十か、六十ぐらいじゃない?
東郷   えらく幅があるのね。
湯川   だって、わかんないもん。
東郷   ふーん。

      しばしの間。

湯川   ふあーあ。
堂島   ふあーあーあ。
東郷   ふあーあーあーあ。

      啓子が現れる。パジャマ姿。

湯川   あ、啓子さん!
全員   え!
堂島   ‥‥も、もしかして、新しい患者さんって‥‥。
啓子   今日から皆さんの新しい仲間になります、石倉啓子です。よろしくお願いします。(お辞儀)
堂島   あ‥‥よ、よろしく。
湯川   よろしく。
西園寺   よろしく。
啓子   ‥‥な、なんか照れるねぇ。‥‥みんな、元気にしてた?
湯川   あ‥‥ああ、うん。
堂島   啓子さんは?
啓子   まあ‥‥どうなんかな? 一応、患者やしねぇ。
堂島   ああ‥‥それは、そうだ。
西園寺   あ、あの、さくらさんは?
湯川   キミちゃん、何言ってんだよ!
啓子   いや、別にかまへんよ。‥‥一応、心の整理はつけたし‥‥。でもねぇ、わからへんのよ。‥‥ほら、あたしは、立場が立場やしねぇ。
西園寺   ああ‥‥そうですか。
啓子   お役に立てんとごめんな。
西園寺   い、いえ、こっちこそ。‥‥どうもすみませんでした。

      啓子、窓の外を見る。

啓子   今日は、ええ天気やねぇ。
湯川   ああ‥‥そうですね。
啓子   ‥‥今日、病院に歩いて来る途中にね、雪だるまがあってん。家の北側やし、まだとけんと残ってたんやろね。その家の子供が作ったんか、頭にかわいらしいピンクのバケツの帽子がのせてあって‥‥。でも、雪が降ってから、だいぶ日が経つやん? そやから、もう半分以上こわれかけてて、そのバケツがなかったら、もう雪だるまかどうかもわからへんようになっててん。‥‥それ見てたらな、何でか知らんけど、ああ、もう春が来るんやなあって思てん。
全員   ‥‥‥。
啓子   ‥‥雪だるまはこわれて、とけて、しまいに何にもなくなってしまうんやろな。ここに雪だるまがあったことも、ううん、ここに冬があったことさえみんな忘れてしまうんやろなってね。‥‥それで、春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来て‥‥また子供たちが雪だるまを作って、こわれて、とけて、また春が来るんやねぇ‥‥。
全員   ‥‥‥。

      啓子、折り紙細工のひな人形を取り出す。

啓子   ♪きんらんどんすの 帯しめながら
     花嫁御寮は なぜ泣くのだろ

     あねさんごっこの 花嫁人形は
     赤い鹿の子の 振袖着てる

     泣けば鹿の子の たもとがきれる
     涙で鹿の子の 赤い紅にじむ

     泣くに泣かれぬ 花嫁人形は
     赤い鹿の子の 千代紙衣装

全員   ‥‥‥。

      ホーホケキョ(ウグイスの声)

西園寺   あ、うぐいす。
啓子   ほんまや。‥‥もう、春なんやねぇ。

      音楽。「四月になれば彼女は」(サイモン&ガーファンクル)

      暗転。

                             おわり

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