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メディアリテラシーなんて可能なの?(またまた長くてすみません)

「インターネットで世界が滅びる」ということを以前から私は主張してきた。さらに「もう手遅れでどうしようもない」とも言ってきた。その考えに変化はないが、ただ黙って滅びを待つというのも何だか癪だ。わがままな本音を言うと、少なくとも自分が生きている間にそのような事態が到来するのは見たくないし、やっぱり困る。以前は、自分の年齢から考えて、「何とか逃げ切れるだろう」と思っていたのだが、最近の世界情勢の急速な悪化を見ていると、かなり怪しくなってきた。

ネット社会には真偽不明の主張が氾濫し、意図的なフェイクニュースも頻繁に流されている。

これによって、アメリカのみならず、世界中で世論の分断が発生し、ポピュリズムが跋扈し、極めて不安定で危険な状態になりつつある。

それに対して「メディアリテラシーが大切だ」と言われる。情報や意見などを客観的に精査して、「確からしい・事実らしい情報」を得るようにすることが必要と言われる。

確かにその通りだろう。ただ、そんなめんどくさいことをどれくらいの人が行うのか? 行えるのか? また、膨大に飛び交う情報の中で、その「確からしさ・事実らしさ」をきちんと見分けることなど可能なのか? この点に関して、私はかなり懐疑的、悲観的である。

ネット社会の人間は「見たいものだけを見、知りたいものだけを知ろうとする」と言われる。しかし、こうした傾向は、今に始まったことではない。大昔から、人間は見たいものだけを見、知りたいものだけを知ってきたと思う。当たり前だ。誰だって、耳障りな意見なんか聞きたくないし、不快なものは見たくもないし、知りたくもない。わざわざ気分を害したい人間なんているわけないのだ。

すごく大雑把で、乱暴な言い方になるが、人類の半分以上、いや、多分3分の2以上は常に「何も考えていない人々」だと思う。それが言い過ぎなら、「ろくに考えていない人々」だ。あんまり変わらないか?

だから、これから私が言うことは、そういう人は読んでいただかなくても良い。ていうか、初めから読んでないだろうけど。

で、そうじゃなくて、少なくとも「世の中ヤバいんじゃないか?」「これからの世界はどうなるんだろう?」「どうすればいいんだろう?」と多少なりとも考える方々に聞いていただきたい。

話を戻すが、なぜ「ネットが世界を滅ぼす」のか? それは、1つには、ネットのアルゴリズムによる情報ソートという優れて便利な機能が原因だ。

誰もが経験していることだが、スマホである広告を見るとしよう。例えば、私が育毛剤の広告を見たとしたら、次の瞬間に、私のスマホ上は育毛剤、発毛剤、AGAクリニックの広告一色になっている。これは「あなたはこういうのに関心があるんでしょ?」とAIが判断して情報をそろえているわけだ。あるいは、私のスマホやパソコンには腰痛治療や精力剤や死亡保険の広告がいつもたくさん出ている。これも、私の年齢や性別や職業などの情報から「こういうのに関心があるでしょ?」とAIさんが先回りして用意してくれているのだ。だから、若い女の子のスマホ画面なんかを見せてもらうと、その余りの違いに笑ってしまったりする。

まあ、広告だけなら笑ってもいられる。これが、ニュース記事や、検索結果にも使われているから問題は深刻なのだ。

例えば、私はヒダリの人間だから、どうしても政府や自民党批判の記事を読んだり、情報を検索することが多い。すると、私のネット上には、いつのまにかそういう情報が集まって来て、「ああ、やっぱりみんな政府のやり方に疑問を持っているのだな」とか「憲法改悪に反対する人が多いのだな」と思ってしまったりする。とすると、当然、「左翼の連中は中国の手先なんじゃないか?」と思ってる人のネット上にはそういう記事や意見が集まってきて、「やっぱりみんなそう思っているんだ」ということになる。そして、SNSなんかではその傾向は余計に強くなって、お互いに「そうだ。そうだ」というまるでアイドルのファンクラブのミーティングみたいなことになってしまう。これが「エコー・チェンバー効果」と言われるやつですね。

で、ちょっと話が変わるのだが、最近新聞や活字メディアは落ち目で「オワコン」とか「オールドメディア」と呼ばれている。「ニュースや情報はネットで見るから」という人が大半で、それは時代の流れだし、私だってネットでニュースや情報を見ている日々だ。

しかし、そのオールドメディアにも、実はそれなりの利点もあったのだ。それは、オールド故に、情報があまりうまくソートできてなかったということ。つまり、新聞を広げて読んでると、当然「なるほど」「そうだそうだ」という記事や意見もあるけれど、「何だこれ?」「何言ってるんだ?」という情報も目に入ってしまう。ヒダリと呼ばれる朝日新聞でも右っぽいニュースは載ってるし、ミギの産経新聞にだってたまにヒダリっぽいニュースが載っている。このことが案外大事なんじゃないか? と思うのだ。

別に、だから新聞を読みなさい、と言いたいわけじゃない。でも先に言ったように、ネット情報はソートされまくっていて、つまり相当にバイアスのかかった情報なのだが、それに気づかずに、「これが世界だ」「これが世論だ」という風に思ってしまいがちなのだ。そして、人間はストレスは嫌いだし、不快な情報は見たくないから、そういうファンクラブミーティングみたいな情報世界の中で生きている方が快適だから、それに疑問を感じなくなっている。

もうお分かりだと思うが、これこそが分断社会の元凶なのだ。

つまり、ネット社会になって、人々は完全に「違う世界」の住人になってしまった。見えている世界や生きている世界(それは、たぶんあのスマホの小さな画面の世界なのだが)が違うのだから、理解も話し合いも成立するわけがない。それは比喩のレベルを越えて、ジャニーズファンとKPOPファンのいがみあいの世界なのだ。そう考えたら、あの無慈悲で不寛容で暴力的なバッシングや誹謗中傷も理解できるだろう。

で‥‥あ、そろそろ書いておきます。長文失礼します。

で、初めに言った、この悲惨な状況をどうすべきか? と言う問題になるのだが、もちろん確実な処方箋なんかないし、もう手遅れだとは思うのだが、やっぱり「メディアリテラシー」というのをやらないよりは、やった方が良いのだろうとは思う。まあ、延命効果ぐらいしかないかもしれないが。

でも、先に言ったように「メディアリテラシー」というは、めんどくさいし、簡単でもない。

そこで、私の実践している「インスタントメディアリテラシーもどき」を紹介したい。

これは実に簡単だ。

何かと言うと、「イヤな情報や、気に食わないニュースを意識的、積極的に読むこと」これに尽きる。

アルゴリズムでソートをかけられたネット画面では、そういうのを見つけるのは結構むつかしいのだが、あえてがんばって「イヤな情報」を探してコンタクトしてみよう。

たとえば「ウクライナがんばれ!」と思ってる人は、絶対鈴木宗男さんの「ロシアが負けるわけがない」という意見を読もう。某イエール大学の人の「老人なんか姥捨て山に捨ててしまったらいい」という意見を見たら、「けしからん!」と言う前に「何でそんな変なことを言ってるんだ?」ととりあえず読んでみよう。それで、「やっぱりけしからんやつだ」と思うならそれはそれでいい。でも、たまに「あ、そういう見方、考え方もあるのか」という発見も必ずあるのだ。

ヒダリの人は「産経新聞」や「週刊新潮」や「現代ビジネス」の記事を(Hanadaまでは読まなくてもいいけど)、ミギの人は「朝日新聞」や時には「赤旗」を読みましょう。これは絶対にお薦めデス。

昔から言うじゃありませんか。敵を知り、己を知らば百戦危うからず、と。

まあ、結論を超簡単に言っちゃうと、好き嫌い、偏食は体の健康に悪いのはもちろんですが、頭や心の健康にも悪いのデス。何でもよくかんで食べましょう。

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