ここから始まった気がする。
服屋で働き始めてもう8年目に入る。
なんというか本当にすぐだった7年。
あっという間に8年目。
入り口は言葉の通り、あのビルのエレベーター。
コロナでドタバタな今年に限って、めでたくも入籍したアイツに連れられ入ったあのビルの3階。
そこに入ったあの日から、
気付けば今ここに居る。
思い返せば色々な事があったんだと思う。
『ファッション』が好きになったのは、やすらぎビルのエレベーターに乗ってお店に入ったあの日から、
でもきっと『服』を好きになったのは
ここから始まった気がする。
働き始めてそんなに経たない頃から、
いや、お客さんとしてお店に通っていた時から憧れていた方に言われた
『マルジェラとか似合いそう〜』
の一言。
本当にそんな『似合いそう〜』のニュアンス。
ラフでフランクで言った本人は身に覚えの無いような一言。
ただこの一言が当時の僕は嬉しかった。
なんて言ったってファッションを好きになったのは19歳後半。
周りと比べて自分自身勝手に遅めに感じていた。
バスケットを中学から始めた。というのと小学校のミニバスからやっていた。
というのと同じくらいキャリアの違いという劣等感をイメージとして抱いていた。
そんな右も左も分からない人間の僕にとっては大きな指針が示された気がした。
ただその指針が自分にはピッタリだったんだと思う。
それからというものの、
Maison Martin Margielaを沢山探して、沢山着てみて、沢山調べて、これでもかというくらい買った。
特に堪らなかったのが、一度社会的にほぼ価値の無くなった物に対してのアプローチの仕方や、メディアには顔を出さないという匿名性。着用または使用し汚れや使用感の出る事を〝経年変化〟とする美学的な考えが、当時の多感な僕の価値観を押し上げて広げてくれた。
今振り返るとそれを媒体として、今この考えに行き着いているんだとも感じる。
古着というの物も元々は誰かが何かの為に作った服。
それが流通し世界中に様々な価値の認識を受けて散らばっている。
そこに信念や目的が大なり小なりあったかは今となっては確認し切る事は難しい。
が、
それを拾い上げて自分の積み上げてきたであろう、なけ無しの知識と、知識から来るものでそこに価値を上乗せする。
憧れの麻倉葉がオーバーソウルする。
そんなイメージ。
ただただそれが楽しくて楽しくて仕方なかった。
何者かになりたかったであろう僕は指針の指す通りに進み、
その指針がいつの間にか根っこになっていた事に気づく。
服屋で働き始めて早8年目に入る。
なんというか本当にすぐだった7年。
あっという間に8年目。
自分自身の根っこがいつの間にか出来ていると
認識させてもらえた8年目の夜。
壮
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?