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我が家にコロナ襲来。自分の思考癖に改めて気付かされる。

6月中旬のできごと。

「ごめん、コロナになった。」

出勤先のパパからこの連絡を受けたのは、ぴぃが毎週火曜に通所している教育支援の「新しい居場所」から帰る車の中だった。

さてこれから、がら空き間違いないスポッチャへ行き、体を動かしまくるぞ!!と意気込んでいる時だった。

ぴぃに、パパがコロナになったということと、これから私たちはどうするべきかを相談した。

ぴぃは迷わず、「残念だけどこのまま帰ろう・・・」さみそうにそう言った。

実はこの日のスポッチャ行きは、前回もやむなき理由で行けなくなったことからのリベンジデーだった。


一方の私は、この週に2つの大切な予定があった。

久しぶりに丸1日羽を伸ばそうと計画していた友達との予定と、ぴぃの不登校をきっかけにして、ずっと目標にしていたことへ第一歩を踏み出すための大切な予定があった。

あぁ・・・パパがコロナってことは、その2つの予定も流れるのか・・・。

この時点で、第5類に分類されていたコロナは、「家族が感染していても自分に症状がなければ外出してもいい」ということになっていることをちゃんと把握できていなかった。

すぐに、友達にパパがコロナだから羽を伸ばせなくなったことを伝え、もう一つの予定先にも家族がコロナになって行けなくなったと連絡する。

家族がコロナになった場合は学校へ連絡するとなっていたので、学校へも連絡する。

そこで、「症状がなければ登校してもいい」と言われるも、前の週に3年生のクラスが学級閉鎖になったと聞くと、「じゃぁ行きます」とも言いづらい。

遊ぶ予定だった友達にも、行きたかった予定先にも、何かあったらと思うと「外出していいらしいので症状がなければ行きます」とは言えなかった。

水曜日は、1時間目が美術だからと、朝から登校することの多かったぴぃ。

ぴぃ「あ・・・明日の美術も行けないってことか・・・。」

と言いながらも、すぐにLINEのステータスメッセージに「家族がコロナになった」と記し、心のバランスを必死に保っているようだった。

行きたい場所、やりたいことがあったが、コロナは学校を休んでもいい正当な理由。

その正当な理由を持てていることで、どこか安心しているようにも見えた。


一方の私・・・なかなか整理がつかない。

前の週の木、金と飲み会が続き、そのまま土日月と友達と九州へ旅行に行っていたパパ。

パパが羽を存分に伸ばしてくれていれば、自分の羽も心置きなく伸ばせるという魂胆から、快く送り出してはいた。

がどうだろうか、

ぴぃの意欲やチャンスを奪い、私の羽をもぎ取ったどころか、兼ねてから目標にしていた大切な予定すら奪ったパパのコロナ。

感染するのはパパのせいではない、しょうがない。

そんなことはわかっていても、許せない、腹立つ、許せない。

ぴぃは、ワナワナしている私の表情見て、私の感情をすぐに察し、一生懸命に励ましてくれた。

こんな健気で優しいぴぃの姿に、自分の大人気なさを感じるも、なんだろうか・・・全然許せない。


パパは帰宅後、「本当にごめん」と言って寝室にこもる。

ぴぃもうつりたくないからと、無症状ながらも謎に自分の部屋にこもってしまった。

私はこの日から約1週間、朝昼晩とご飯を作り、それぞれの部屋の前に配膳し、自分はダイニングで1人でご飯を食べ、リビングのソファで寝起きし、空いた時間を切り絵に没頭するという生活をしていた。

こもる生活なんて慣れていたはずなのに、家族3人がほとんど顔を合わすことなく、たんたんと生活している感じがなんとも味気ない。


そして、癒えない怒りを抱えたまま、だんだんとマインドがやばいベクトルに向き始める。

自分は無症状で元気なのに、あんなに楽しみにしていた予定を2つも奪われてしまった・・・

これは何かの報いを受けているのかもしれない・・・

前の週までの自分を振り返り、慢心があったのではないか、何がいけなかったのか、あの時どうすればよかったのか、整えるはずだった切り絵をしながら、脳内ではいろんなことを反省しに行っていた。

パパを快く飲み会や旅行に送り出していたはずの自分にさえ、笑顔が足りなかったんじゃないか、そもそもその裏にある魂胆が良くなかったと反省していた。

5日間ほどで、パパの病状は落ち着きリビングにチラチラと現れるようになった。

しばらく顔を見ていなかったせいか、反省を重ねたせいか、いつの間にか怒りも収まっていた。


そして・・・ぴぃが発熱した。

診断の結果、うつりたくないとこもっていたはずのぴぃにパパのコロナがしっかり感染していた。

うそだろ・・・

トイレもお風呂も共用部はちゃんと除菌してたはずなのに・・・

これまであまり高熱を出したことがなかったぴぃにとって、40℃近い熱は苦しそうで、熱が治まっても深夜遅くまで咳が止まらず苦しそうだった。

かわいそうに、ぴぃの意欲と自由まで奪って、かわいそうすぎる・・・

そして私のマインドはまた反省モードに・・・


・・・・ない。

この5日間、反省し続ける日々だった。

そしたら、反省することが一つも無くなっていた。

なんだったら、少なくともこの5日間はめちゃくちゃ頑張ってたじゃん私。

怒りやもどかしさ、ぶつけたい思いは山ほどあったのに、それに耐えて、献身的に看病を続けたよ私。

そんなんあたりまえだよ、と言う人もいるだろう。

だとしても、頑張ったってことにはならないだろうか?

そう思い始めたら、ふと私の思考癖に気づいた。


私は、何か嫌なことや、思いもよらないことがあった時、自分がしてきたことでバランスを取る癖がある。

あの時のバチが当たったんだ、だから当然の報いなんだ。

ぴぃの病気や不登校のなりたての頃もそうだった。

自分がしてきたことを全否定し、自己肯定感が0以下になるまで追い込んで、壊れた。

でも、そこから少しずつ這い上がり、自分を大切にしたり、優しくすることも覚えた。

自分を大切にすることで得たものが大きすぎて、変な思考グセも0にはならなかったけど、すぐに正常な位置に戻ってこれた。

改めてこの自分の思考癖に気づいた。

とにかく怖いぐらい反省することが一つもない。

あるかもしれない、でも思いつかないくらい頑張ってきた。

これは、また一歩進むための準備期間と思おう。

羽はもぎ取られてなんていない、たたんでるだけだから、また広げよう。

やりたかったことも気持ちが0にはなっていない以上、まだまだ進める。

前よりもしっかり準備しておこう。


ぴぃがコロナに感染してからの時間は、その前とは天と地ほど違うマインドで過ごしていた。

そして2週間しっかり休んだぴぃは、休んでいる間に縮めていた膝をグンッと伸ばすように登校頻度が増した。

ぴぃ自身も不思議そうに言っている。

ぴぃ「なんかコロナの反動みたいな感じで学校行ってるね、ぴぃw」

私「行ってるねぇwすごいねぇw」


一方のパパは、自分のせいで私たちの予定を奪ってしまったという反省から、私たちそれぞれの欲しいものを買ってあげるという手段で、自分1人の責任から解放されようとしていた。

それにはしっかり乗っかって、欲しかったものを心置きなく買ってもらった。

2週間前のあの怒りは何処へやら。

我が家の初めてのコロナは私をさらに成長させてくれました。

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