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ルッキズムの狭間で

ある日の会話。
友人(誰もが認めるイケメン)が 僕に対し
「俺も柚井みたいな優しい顔で生まれたかったな~」
と呟く。

正直お世辞であることは見え見えだった。
それでも顔立ちにコンプレックスのある自分を
その言葉は少し救った。

でもこの救いは、数秒で終わりを告げる。

同じ場にいたもう一人の男が言う。
「お前まじで言ってる? 流石にそれは柚井が可哀想だって、お世辞にしてもそれはないわ」
楽しそうにツッコミを入れる。

そんなことわかってる。
でも、俺を傷つけたのは後者の男だった。


人は、無意識に人を傷つける。
人を傷つけて、傷つけられて生きている。

僕も無意識に誰かを傷つけているのだろう。
いつか誰かを傷つけたから、それが自分に返ってきたのだ。


ルッキズムという言葉。
僕はよく呟く。

街を歩いているとき、電車に乗っているとき、ふと顔立ちの綺麗な女性に目がいく。
さらにそれが好みのタイプであったとき、数回に分けて見てしまう。
「見る」という行為の先に何が有るわけでもない。
ただ「見たい」のである。
これは相手にとって迷惑な行為で
自分にも何の利益は生じない。
ただ、本能のようなものだ。

「ルッキズムルッキズム」
と呟き
僕は自分を止める

自分の顔立ちが気に入らないのに、顔立ちがいい女性を好むのは
とても矛盾している

でも 友人の顔立ちって気にするのは最初だけで
時間が経つにつれ 何も感じなくなるな

それが恋人であったら どうなんだろうか

ルッキズムの狭間で
僕らは生きている。


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