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【子どもができると価値観が変わる説】についての考察

子どもができると価値観が変わる、とか、男性は変わらないけど女性は女から母になる(謎すぎる)、とかよく言われるじゃないですか。
実際、私自身も結構言われた経験ある気がします。

でも、もしかしたら私は変わったんじゃなくて、母親になったことで本来の私になったんじゃないか?

ということを先日ふと思ったので、考察。

ただいま、4歳男児と日々格闘中のワタクシ。
いろんなことがすべてにおいて子どもが中心となり、優先となり、自分だけの自由な時間とかお金はどうしても制限される。

だけど独身のときも、結婚してから子どもができるまでの間も、思い返してみると、いまよりも自由なはずなのに常に自分以外の何かに囚われて不自由に生きていた気がするんですよ。

仕事だったり、お金だったり、異性だったり同性だったり親だったり上司や同僚だったり。

なんだか、ずっと他人の土俵で相撲をとっていたというか、他人のフィールド上で他人の評価に一喜一憂しながら生きていた感じ。

だから苦しかったし、自分を認めてあげることができなかったし、自分の存在価値なんて感じられなかったのよね。

世の中において自分の価値は若いこと、女であることだけしかないのかと勝手に思い込まされていたのかもしれない。


だけど自分の身体の中に別の生命体ができて、それまでのことが良くも悪くもぜんぶ崩れ去って、それまで通りのやり方で必死にがんばっても何もかもがうまくいかなくて、悲しくて悔しくて絶望して。

そうなってくると、それまでのものは半ば無理矢理にでも手放して、否が応でも自分と向き合って、この先のことなんかも考えなきゃいけなくなる。

子どもが最優先という方針は絶対的でブレないので、行動が、選択肢がより現実的になる。

そして子どもが心から自分を必要と求める。それは愛とか母性なのかは分からないけれど、少なくとも生きていくために必要だから絶対的に求められて、それに応えることで相互に愛着が形成されて深い信頼関係となっていく。

そのおかげで、子どもとの関係性を通して自分という人格をこれでもかというほど向き合わされたり、これまではこうだったけど、それを子どもにも同じようにさせたいか?と思うと圧倒的にNOだったり。
子どもを通して、幼い頃の自分を見つめることで見たくないものを直視せざるを得なくなったり。

それまでの間【自分らしさ】みたいなものを抑えつけて一生懸命他人のために生きようとして(もしかしたらいろんな間違った方向に)必死に頑張ってきたけれど満たされなくて、
物理的に自分を抑えないといけない状況になったら不思議と【自分】がはっきりと出てきた、みたいな何とも皮肉というか変な感じだけど、

そりゃあ他人のフィールドでいくらがんばっても、評価するのが他人だったらいつまでも完璧に満たされることはないよなぁって話なのだけど。

年齢的な成熟みたいなものももちろんあるのだろうけど、なんとなーく感じたことを自分の中のメモも含めて言語化作業をしてみました。

なので男性が女性が、というよりは、子ども(他者)を通して自己と向き合うことから逃げなかった人がそうなのかな。
もちろん子どもだけでなく、パートナーだったり友人だったり、もしかしたら親だったり、でもあるのだろうけど。
決して子どもがいない人が自己と向き合えていないとか、幸せでないとか、そんなお話をしているつもりはないです。念のため。

たぶん、私が子どもに出会って初めて他者と向き合えたということなのかもしれないね。

何が言いたかったかというとね、とにかく、子どもがいてもいなくても、みんな幸せになっていいんだよってことなんです。
幸せになるために産まれてきたかどうかは分からないけど、
生きていく以上幸せになった方がいいに決まってる。

自分だけは、自分は幸せになれるって信じたいし、いまが幸せって思えるようになれるようになりたいなと思います。

わたしは、いま私史上最高に幸せな生活を送っています。めちゃくちゃささやかだけど。笑

でも、もっとこうしたいなっていうのがあるから日々がんばれる。

ひとりでも、自分は幸せだと感じられる(あの人と比べたらましとか、他人と比べてじゃなくてね)人が増えたらいいなぁと思います☻

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