「気づく」ことで、癒される
人との会話の中で、自分の中のなにかが揺らされるような感覚になることがあります。
それは、不快感やモヤモヤといった、漠然としたカタチも名前もないもの。
でも、その感覚をゆっくり感じてみると、そこには「本当はこうなりたかった」「こんな自分が恥ずかしい」「ひとりになるのが怖い」など、いろんな隠された想いがあったりします。
羞恥、恥、罪悪感、執着、劣等感など。
漠然としたモヤモヤや不快感のさらに奥にある、自分の深いところにねむっていた、そうした感情に気づくことができたら。
「そんな風に感じていたんだね」「そんな想いがあったんだね」と受けとめてあげる。見つめてあげる。
そうして見つめつづけていると、その感情たちはスゥッと消えていきます。
癒しの最初にして最大の一歩は、「気づく」ことです。
今までフタをしていた想い。
受け入れてもらえなかった感情。
こんなものをまだもってたんだ、と驚くこともあるけれど。
そこにあったんだね。
ずっと、そこにいたんだね。
やっと会えたね。
そんな風に、やさしく受けとめていく。
そこに「ある」ことに気づくことは、とてもシンプルに聞こえるかもしれませんが、実は一番深く大切なプロセスです。
「気づくことができたら、もう既に8割癒されたようなもの」
そんな言葉を聞いたことがあります。
人や出来事。
外側からのどんな刺激にも、ベクトルは自分に向けて。
「なにを感じてる?」
「なにを思ったの?」
「どうしてそんな気持ちになった?」
と、やさしく問いかけていってあげる。
その繰り返しで、少しずつすこしずつ、わたしたちは癒されていきます。
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
誰かにとっての気づきとなれば、幸いです。
愛を込めて
ねう
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