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孤独を感じて苦しいときに読む話

友達と、遅くまでお話をしていました。
もっぱら、わたしが彼の相談に乗っていました。

人生の中で孤独を感じていること。この先の目標や目指すべきところがわからないということ。

わかるなあ...と、お話を聞きながら思いました。

20代最後の数年って、30代からの人生に向けての、今までの人生の総棚卸しと整理の時期なのかもしれないなぁ、なんてことを実体験も踏まえて思います。

そして、そういった「総棚卸し」の時期というのは、もしかしなら長い人生の中で十数年ごとにやってくるものなのかもしれません。(西洋占星術では、サターンリターンといわれている時期ですね。大厄なども、この時期に被っているように思います)

こうした時期は、とても孤独で、つらく、苦しい時期です。「どうして?」「なんで自分ばかりが..」と感じたり、終わりの見えない真っ暗なトンネルの中にいるような気持ちになって、不安になったりしてしまいます。

でも、この時期にしっかり自分の内面や自分の今までの人生と向き合い、整理するからこそ、その後の数十年の人生がより充実したものになるのだと思います。

そうはいっても、やはり、その時期は苦しいものなので「早く過ぎてほしい」「できることならば、こんな時期は早送りにしてしまいたい」。そんな風に、思ってしまうのも、人間のさがなのかもしれません。


1年の中に四季があるように、わたしは人生の中にも四季が存在しているのだと思います。

いわゆる「冬の時期」というものは、つらく、寒く、苦しい時期です。生命が芽生え、外へとエネルギーが発散されていく、希望や生命力にあふれた春や夏の時期に比べ、冬の時期はエネルギーが内側へと向いていきます。

そこに抵抗しようとすればするほど、冬の寒さや孤独は、こころを深くまで凍りつかせてしまいのです。

冬は、いやだと思う気持ち。
早く春になってほしい、夏を謳歌したい、秋の収穫の時期を喜びたいと願う気持ち。
それは、とても自然なものです。

しかし、わたしたちも、自然の一部であること。
そして、わたしたちのそれぞれの人生の中にも、四季がめぐっているということを、常にこころの深いところで知っていることは、中庸の状態で生きていくために、とても大切なことなのかもしれません。


自然は、いつもわたしたちに大切をことを教えてくれます。
季節はかならずめぐるということ。
一見すると、死に絶えたかのように見える冬の日々の中にも、たしかに春の準備は着々と(水面下で)進められているということ。
冬があるからこそ、生命の大爆発の春、生命力にあふれた夏の時期があるということ。
そして、夏は永遠には続かず、かならずまた、秋や冬がやってくるということ。
そうして、生命の螺旋は巡りつづけ、そうしてわたしたちは生きているということ。

この自然の理を自分のものとして腑に落としたとき。
わたしたちは、自分の人生の中におとずれる冬の時期も、今までとはちがう角度から受け入れることができるのかもしれません。

冬には、冬を精一杯生きる。
その先に、かならず春はやってくるから。

そうして生きていくことこそが、自然の営みに沿った生き方であり、また悟りや中庸の生き方なのかもしれません。


今日も、最後までお読みいただきありがとうございます。

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