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青春の後ろ姿のその先3 〜愛と幻想のファシズム③〜

 ゼロに、死んでくれと言いに行った時、トウジはまさに日本の政権を取り、アメリカを在日米軍ごと政治、経済、軍事的に退けた時でした。私はトウジにとってゼロが用済みになったからだとは解釈していません。その時トウジはアイデンティティを棄てて自分自身が国家のシステムにならざるを得なくなったと悟ったからだと思います。
 既存のシステムを破壊したトウジは自らがシステムにならざるを得なくなったことを悟った、だからゼロと決別しなければならなかった、なぜならシステムの側からすればゼロのような芸術的で快楽的で感受性の塊のような人間は決して混ざることがないばかりか大変危険な存在でしかないからです。そして何より、ゼロの死はトウジの死でもあります。トウジはシステムの側になるためにイニシエイション的に一度「死ぬ」必要があった。だからゼロは死ななければならなかった。トウジのメタファとしての死を、ゼロが物理的(生物学的)な死を担うことで実現しているのだと思います。
 架空の話とはいえ、トウジは、システムを壊すだけ壊しておいて責任を取ろうとしない烏合の衆とは対照的です。

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