【人生何回やっても飽きない理由】

最近私の中でいろんな事の定義が大きく変化している。

その中でも
一番大きい変化は
「ママは家族のために我慢しなきゃいけない」という定義。

娘の感覚が鋭いのか、
私が隠すのが下手なのかわからないけれど、
幼かった娘は
自分より他のものに私の意識が行くことをとても嫌がった。

Facebookにはまる。
テレビにはまる。
料理にはまる。

その状態になると娘は私の側にきて
私の注意を引く行動をした。

私の目を小さな手で塞いだり(FB見れない)、
テレビと私の間に立ったり(テレビ見えない)、
ずっと話しかけてきたり(料理に集中できない)。

私は仕事を辞めずフルタイムで働いて育児していたから
娘に我慢させているような申し訳ない気持ちがあったし、
育児本に子供が求めたら愛を与えようみたいな事が書いてあり
お母さんは自分の欲求より子供の欲求を満たさないといけない。
みたいな思い込みも作ってしまっていた。
だから、私の欲求は後回しにしようと決めた。

育児に家事に仕事。
時間にゆとりがなかった。
だから、
後回しになった私の欲求は
それを満たす時間を作れず
結局実らないものになった。

例えばそこで
子供が生き甲斐なんで。みたいなお母さんになれたなら
私の欲求は子供に関するものになり
育児しながら自分の欲求も満たす好循環になったのかもしれないが、
そういうお母さんに
私はなれなかった。

私の欲求の後回しは、
いつしか我慢することとイコールになった。

欲求があって、それを叶えたいと願う。
願っても叶わない状態が続く。

育児するママはエンドレス我慢?

叶えたいと願っても願いが叶わない状態が続くと
人は自分の欲求をマヒさせていく。

欲求は思考というフィルターにかけられ
正しいと判断され思考を通過したものだけが
顕在意識に上がってくるようになる。

欲求を感じないわけではないが、
本当の欲求が何かよくわからなくなる。

社会的に問題ない欲求
多くの人がそれを望んでも当然だと思ってくれるに違いない。
そういう欲求しか感じなくなる。

知らないうちに
私は自分の本当の望みが何か
分からなくなっていた。

最近娘が大きくなり
娘の内面に対する親からの影響の割合が
かなり小さくなってきた。

さらに
自分で出来ることも増えたので
私の時間に余裕が生まれた。

私が我慢することになった一番の原因は
自分の欲求を叶えるための"時間がない"だったから
時間が出来た結果
我慢する必要がない場面が増えた。

増えた・・・のだが
ここで問題が起きた。

私は自分の望みが何か
わからなくなっていたから
何をしたいか思い浮かばない。

したいことがない。

空白の時間。

その時間は
忙しい時夢見ていた
天国みたいな時間じゃなかった。

なんにもない。

ただそれだけだった。

苦しくもないけど
喜びもない。

なんにもない時間は
生きてる感じがしなかった。

私はリハビリをした。

リハビリのお陰で
私は自分のやりたいことを感じられる私に戻った。

そしてやりたいことをどんどんやっているのが今なんだけど
「ママは家族のために我慢しなきゃいけない」という前提から派生して生まれた行動パターンや思考パターンがかなりあって、
今までの行動や思考から作っていた様々な定義が
現状とマッチしない。
そういう状態になっていいる。

私の中にある
たくさんの定義が
グラグラと揺れる。

それは
見るもの全てが発見で
なんだか赤ちゃんに戻ったような
キラキラした感覚。

人生って
いろんな感覚があって
本当に不思議。

何回やっても飽きないのは
きっとこの感覚のせいなんだろうなと思う。

#輪廻転生
#思い込み
#感覚
#定義
#無限

宇宙エネルギーに興味があるあなたへ愛を込めて