d@btepg


自己解析


自分に興味があるのは子供の頃からです。

なんで、こんなこと言ったんだろう。

なんで、あんなことしたんだろう。

なんで、そんなことになってんだろ。

自分の意図とは違う方向に、結果が発生することよくあった。

不思議だなあ。

自分で「やった」「いった」「した」ことだから、

心当たりがある。

だけど、なぜ?

この状態を

『自分がわからない』

と言い換えてもいいだろうし、

『相手の気持ちがわからない』

と変換しても誤差は少ない。

というのも、

ついさっきの繰り返しになるけど、

なんで、こんなこと言ったんだろう。

なんで、あんなことしたんだろう。

なんで、そんなことになってんだろ。

どれも誰か相手がいるうえでのことだから。


別の見方をしてみよう。

つまり。

自分の現実がここに存在しているそのうえで、

『いまこの相手に、こう思われたい』

『いまこのひとに、こう感じていただきたい』

『いま目の前にいるひとに、こう映って欲しい』

と、

なんていうのかな演出めいたものが入ってる。

自己演出に近い。

こう思われたい。

ああ見られたい。

そう捉えていただきたい。

自分の深層心理的な意図ありありなんだな。

なので、

どうして?

でもどうして?

なんであんなこと言っちゃった?

どうしてああいう態度になったかなあ。

自分で自分に疑問。

すると、どうなるか。

相手のことを置き去りにして自分探索が始まってしまう。

つまり。

今日あったこと、昨日の出来事、このまえの会話、

そういうのを思い出すときに、

相手の言葉や顔を思い出すのは最初くらいで、

そのあとは圧倒的に自分で自分を思い出している。


よみがえる言葉は、ほとんど自分の脳内会話。

いわゆる、ひとりごと的な。


だけどね。

そういうのとはまた違った角度から、

ほら。見え隠れするものがある。


覚えてるんだよ?

すっかり話の内容は忘れているけど。

覚えているのさ。

自分のことばかり記憶していたつもりでも。


きみの表情。

あのひとの仕草。

そこに漂う空気感。

覚えている。

思い出せる。

そこにメッセージがこめられていたか。

あれは予兆だったのか。

それはメッセージだったのかもしれない。

きみの態度。

あのひとの声のトーン。

おれの胸がしめつけられる。

くっ。





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