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21.その目が訴えるのは。/朱に交われば紅くなる

本編

 急ぎ、学生相談室を出ていこうとする紅音(くおん)に、冠木(かぶらぎ)は、待ったをかけるように、

「少年」

「なんですか?」

 紅音は振り向く。既にその片手は扉の取っ手に伸ばされている。

 冠木が、

「場所、分かるのか?」

 なんだ。そんなことか。

 それなら大丈夫だ。

 思いつく場所がある。

 月見里(やまなし)が行きそうなところで、かつ、先に出ていった葵(あおい)は思いつかないであろう場所。

「大丈夫です。多分、ここじゃないかってところがあるんで」

 それを聞いた冠木は穏やかな顔で、

「ん。ならよし。行ってきな」

 紅音の背中を後押しする。掴んでいた取っ手を引いて、扉を開ける。カランカラーンという鈴の音が相も変わらず自己主張を激しくする。

 紅音はそんな音に気を使いながら、静かに扉を閉め、廊下を駆けていく。横には「廊下は走るな」という張り紙があるが、こんな時くらいはいいだろう。多めに見てもらおう。

 さて。

 若者たちがいなくなった学生相談室は酷く静かだった。

 いや、むしろ静かであるべきなのかもしれない。ここは本来そういう場所なのだ。
悩みを抱え込んでしまった学生が、そーっと静かに相談に来る。そんな場所のはずなのだ。

少なくとも生徒と教師が、カップ麺を争奪戦したりするような場所ではないはずなのだ。

 窓の外を眺め、冠木が一服する。

 本当は、この煙草だって、この部屋には似つかわしくないもののはずなのだ。

 けれど、今日くらいは良いだろう。それくらいは許してほしい。冠木が煙草を取り出すのは、いつだってそんな節目の時なのだ。

以前に吸ったのは……ああ、そうだ。壮絶な首位争いの末に、阪神が優勝を逃した時だ。あの時もまた、一つの節目だった。

 切り替える。

 それが、冠木にとっての煙草の意味なのだ。

 一つ吸い、大きく吐く。

 それと共に、ぽつりと胸の内が零れ落ちる。

「月見里はな、少年。迷惑になるんじゃないかって思っちゃったんだよ」

 ため息一つ。

「難儀な性格してるな、二人とも」

 空の色は、冠木の位置からだとよく見えなかった。


               ◇


(屋上……か)

 思い出す。

 紅音は確かに、月見里に学生相談室か屋上にいることが多いという話をしたはずである。

 その時に「一人で昼食を取るのにもいい」という話もしたと思う。

 もしそれを月見里が覚えているのであれば、屋上ににいる可能性は高い。

 事実、屋上へのアクセスは特別棟からが一番簡単だ。図書室のあたりで見かけたという朝霞の話も、それなら納得がいく。

 そして、この屋上という居場所は、朝霞どころか葵にも教えていない、紅音にとってはいわば「秘密の居場所」のようなものだった。

 もちろん、普通に開放されている場所なので、探そうと思えば探せるし、そこにいると一度知られてしまえばアウトなのは間違いない。

 ただ、葵はそもそも紅音を探し回るより先に連絡を入れる質だし、朝霞は朝霞で、そんなところにわざわざ行くような性格ではない(本人曰く無駄なことはしたくないらしい)ので、いまのところ鉢合わせるということは無いままでいる。

 一度だけ、新聞部に所属している先輩と顔を合せたことはあったが、先輩も紅音も誰かに見られたくなかったこともあって、お互いを見たことは一切口外しないという秘密協定のようなことになっていたりするのだ。

 が、従って、屋上に紅音が出入りしていることは(一部の例外を除けば)紅音と月見里しか知らない情報、ということになる。

 だからこそ、今、紅音は屋上を目指しているわけなのだが、

「屋上……か」

 思う。

 なぜ屋上なのか。

 考えてみればおかしな話である。

 紅音に会いたいのであれば学生相談を覗いた方が早いのは明らかだ。しかし、少なくともここ数日、月見里は顔を見せていない。

 あそこならば、授業には出られていなくても、追い出すことはまずないだろうから、そういう意味で言えば、選択肢としては最有力候補のはずなのだ。

 しかし、月見里はそうしなかった。

 まだ、姿を確認したわけではないが、彼女は恐らく屋上にいるはずである。あそこならば、目撃情報もなく、数日間授業が終わるまで時間をつぶすことも出来なくはない。

 幸か不幸か、月見里が学校へと顔を出さなくなってからは一度も雨が降っていない。ここのところ天気は実に良好で、来たるゴールデンウィークなんかは絶好の行楽日和となりそうな雰囲気も出てきている。ただ、そのおかげで、一日中屋上で過ごしていても、つらいということは全くないと思われる。

 一応学校の門に登下校を見守る守衛は存在しているものの、彼らが一番気にするのは学校へと侵入する不審者の存在である。

 従って、主要な生徒の下校時間から少しずらせば、目撃者は減らせる。もし守衛の人が月見里の存在を知っていたとしても、教師たちの思考がそこに至るには少し時間がかかるはずだ。まさか、授業に全く出ていない、部活動にも所属していない生徒が、実は毎日登校はしているとはそう思うまい。

 そして、もしこれらの読みが正しいのであれば、月見里は「学校には来ていながら、誰かに目撃されることのない状況を意図的に作り出した」ことになる。

 いったいなぜだ。

 紅音に会うためなら、屋上で待機するなどというまどろっこしい手段を使う必要性はない。 

 最初から学生相談室に顔を出せばいいだけであり、授業中であれば、冠木や鳳(おおとり)だっている。なにも問題はないはずなのだ。

(紫乃(しの)ちゃんを避けてる……ってことは無いよなぁ……)

 分からない。

 全ては想像の域を出ない。

 きっと冠木ならば、こんな事態に陥ることは無いだろう。

 彼女はどんな相手とでも仲良くなれる。そんな心の広さを持っている。

 きっと葵ならば、こんなことで悩んだりはしないだろう。

 彼女はいつでも明るくて、人のことを良く考えている。

 きっと優姫ならば、持ち前の“可愛さ”で、惹きつけて離さないだろう。

 彼女はいつだって、自分が愛されることに余念がない。

 そして、その全てを、紅音は持っていない。

 だから、本当は、不適格なのかもしれない。

 月見里の友達はもっと、冠木や、葵や、優姫みたいなやつがふさわしいのかもしれない。

 でも、紅音は足を止めない。

 定期的に表れる、「廊下は走るな!」というポスターの横を、屋上へ向かって駆けていく。そのたびにゆらゆらと揺れ動く姿は警告でもしているかのようだ。

 それでも紅音は足を止めない。

 本当のところ、紅音にはこれで正しいのかは分かっていない。

 でも、

(屋上で一人ってのは、寂しいもんだからな)

 覚えがある。

 紅音もまた、屋上で一人、昼食を取っていたことがある。

 あの頃はそれもまたいいものだと思っていた。

 けれど、今からまた、あの頃に戻ろうとは思わない。

 今、月見里はそんなひとりぼっちの状況だ。

 手を差し伸べなければ、そう思ったのだ。

 その感情が、どういう類のものなのか、紅音自身にはまだ、よく分からなかった。


               ◇


 重い鉄の扉を開け、屋上へと足を踏み入れる。

「いた……」

 もはや、探すまでもなかった。

 出入口付近からも見えるベンチ。月見里はそこに、一人寂しく座っていた。

 紅音はゆっくりと近づき、

「よ、よう」

 なんと声を掛けたらいいのだろうか。

 これが平均的な教師なら授業に出ないでどうしたのかと聞いてみたり、あるいはその体調やメンタルを心配する言葉をかけてみたりするかもしれない。

 しかし、それらはあくまで声をかける人間が「当事者ではない」場合だ。

 今回の場合、紅音はがっつり当事者だ。

 もしかしたら、月見里が授業に出ず、こうやって一人で屋上にいるその原因は紅音にあるかもしれないのだ。

 そうなってくると、思いつく言葉思いつく言葉が全て地雷に見えてくる。原因となっている人間が心配などしても神経を逆なでするだけだろう。

 それでも紅音は言葉を紡ぐ。

「ここ、どうだ?この時期だと結構いいんじゃないかと思うんだけど」

 我ながらどうかと思う。

 でも、これしか思いつかなかったのもまた事実である。

 そんな言葉に反応したのか、月見里はこちらを振り向いて、

「西園寺…………くん」

 大分間があった。

 恐らくはさん付けをするかどうか悩んだのではないか。

 一体なぜ。

 紅音は月見里の隣に腰かけて、

「俺もさ、昔は一人だったんだよ」

「…………え?」

 月見里の顔は見ない。いや、見られないのかもしれない。

 視線の先にうつるのは曇天だ。今更気が付いたが、少し雨がぱらついている。傘を差さなければいけないほどではないが、額を雨粒が叩き続けている。

「一年の序盤はさ。相談室にも行ってなかったし、紫乃ちゃんとも知り合ってなかった。葵とはまあ、幼馴染だから話くらいはしたんだけど、あいつにはあいつの付き合いがあるだろ?だから、昼飯に誘ったりはしなかった。んで、一人になった俺が選んだのが、ここだったんだ」

「そう……だったんですね……」

「そ。最初のうちは良い場所見つけたって思ったよ。いや、実際いい場所だし、満足してたんだよ。あの頃は」

 言葉を切る。

 ぽつり、ぽつりと雨粒が顔にあたる。

 それでも紅音は言葉を繋げる。

「だけど、今思い返してみるとさ。やっぱりここで一人で昼飯ってのはなんとなく寂しかったと思うんだ。今になってみると、だけどな」

 雨はぽつりぽつりと、紅音たちを濡らし続ける。幸いにして、そこまでの強さはない。

 紅音は漸く月見里の方を向いて、

「単刀直入に聞くぞ。どうしてここにいたんだ?いや、答えたくなかったらそれでいい。だけど、ずっとここで一人ってのはそんなにその、良いもんじゃないから。どうかしたのかなって思ってな」

 その間、月見里はずっとうつむいていた。その表情は紅音からはうかがうことが出来ない。

 沈黙。

 その間ひたすら雨粒が降り続ける。

 本当はもう、室内に入った方がいいのだろう。

 だけど、二人ともそれを言い出すことはない。

 どれだけの時間が経っただろう。月見里がゆっくりと言葉を選ぶようにして、

「迷ったんです」

「迷った?」

 首を縦に動かす。やはりその表情はうかがい知ることは出来ない。

「はい。本当は学校に行くのも……結構迷ったんです。だけど、家を出たら他に行く場所なんて思いつかなくて」

 思いつかない。

 ここが、紅音と月見里の大きな違いだった。

 紅音なら学校を休んだとしても、行く先に困ることは無い。

 本屋でも、ゲームセンターでも、バッティングセンターでも、なんでもいい。

 なんだったら、新聞部の部室にでもいれば朝霞や先輩方がやってきては「お、不良だねぇ~」とかなんとか言いつつも話し相手になってくれる可能性がある。

 ところが月見里にはそれが無い。

 いや、もしかしたら行く場所自体はあるのかもしれない。

 ただ、それらはいずれも「学校を休んだ時に行く場所ではない」と思っているのだろう。紅音と違って根が真面目なのだ。

 でも、と思う。

 昔ならどうだっただろうか。

 少なくとも、昼食を取る場所は、屋上一択だった気がする。

 そう考えれば紅音と月見里の思考回路は案外、似ているのかもしれない。

 月見里は続ける。

「それで……学校には来たんですけど……既に授業は始まってて入りにくくて……どこに行こうかって考えてたら、」

「ここにたどり着いたわけか」

 再び首を縦に動かす。

 紅音はそんな月見里の結論に、

「相談室は、考えなかったのか」

 瞬間。

 月見里はびくっとなる。

 どうやら当たりのようだ。

 つまり月見里は「学生相談室に行くことも頭にありながら、その選択肢はあえて避けた」ということだ。

 その理由として思い当たるところと言えば、

「紫乃(しの)ちゃん……冠木先生が苦手……とかないよなぁ」

 学生相談室にあって、屋上にないもの。

 あまりにも安易な結論を、月見里は、

「ち、違います」

 首をぶんぶんと横に振って否定する。そして、紅音のことを見て、

「あの、別に冠木先生が苦手とか、そういうのでは、無いんです。本当に」

「分かった、分かった。そんな否定しなくても大丈夫だって」

 なだめる。そんな紅音と月見里の視線が一瞬合う。

「あ」

「あ……」

 そらされた。

 それ自体は今に始まったことではない。今、問題なのは、

(なんで……そんな目をするんだ……)

 見覚えがある。

 無いわけがない。

 だって、あれは“ほんの数年前の紅音”そのものじゃないのか。

 疑い、否定し、逃げ出し、全てから顔を背け、やがては逃げ道すらもなくなって絶望する。そんな目。

「どうして……」

「え……?」

 そんな目をするんだ。

 そんなこと、言えるわけがなかった。


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