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7.いわゆる一つの「主人公特権」ってやつ。/朱に交われば紅くなる

本編

「勘違いして申し訳ございませんでした!!」

 そういって思い切り頭を下げる月見里(やまなし)。おおよそ前に何があるかなんてことは考えていなさそうだ。

 そこに机でもあろうものなら、思いっきり頭突きでもかましてしまうのではないかという気配があるが、幸いにして今は何もなかった。

 と、いうか、意図的に何もない位置に誘導したといった方が正しいだろうか。

 結局あれから月見里に全てを説明するまでに約一時間はかかった。

 内訳としては、テンパっている月見里を落ち着けるのに三十分と、事情を説明して納得させるのに三十分だ。

 正直なところ最初の時点では、今日のうちに冠木(かぶらぎ)に合わせるのは無理ではないかと思うくらいの反応だったし、紅音(くおん)もまたあらかじめ、時間がかかってしまうかもしれないという連絡を冠木に入れたくらいだったのだが、当の本人からの反応が、


「ん。りょーかい。大丈夫よ、今日は美代(みよ)ちゃん一日いないし、なんだったら宿直室に直接来てくれてもいいからさ」


 というのんきなモノだったので割と落ち着いてことを進められたというのも大きかったのかもしれない。

 と、いうか、冠木はまさか“あの宿直室”に月見里を連れてこいというのだろうか。
 
 あの部屋は人を呼んでいいものではないと思うのだが、以前に紅音も招いている以上、彼女は一切気にしていないのかもしれない。

 女性としてというよりも、下手したら人として駄目な部屋だった記憶があるのだが。月見里に見せたらその場で固まってしまいそうだ。

 さて。

 そんなわけでこちらの事情は理解してもらえたはずなのだが、全力平謝りの後に出た一言が、

「じゃ、じゃあ……二人は恋人でも何でもないんですね?」

 これである。

 どうも彼女はまだ若干疑っているらしかった。

 これに関しては朝霞(あさか)が横から、

「そうだね。仲は良いと思うけど、別に付き合ってはないと思うよ。ね、紅音?」

「あ、ああ」

 歯切れが悪くなる。

 いや、朝霞の言っていることは事実なのだ。

 そもそも冠木という人間は特定の恋人を持たないようにしている節があるし、その理由についてはある程度、紅音も推測が付いているところがある。

 したがって、よっぽどこちらからアプローチをかけることがなければ向こうが踏み込んでくることは無いだろうし、彼女と出会ってから今までにそんなアプローチをした経験は無いわけだから、付き合ってるなどというのは全くの事実無根で間違いない。

 実際、あれだけしょっちゅう学生相談室に出入りし、入り浸っていたにも関わらず、昨日まで冠木の連絡先を知らなかったくらいなのだ。

 我ながら不思議だと思う。あれだけしょっちゅう会う機会があったのだ。不在時にでも鳳に、連絡先のひとつを聞くくらいは、

「で、だ」

 朝霞がパン!と手を叩き、

「月見里さんはさ、学生相談室に用事があったんだよね?」

「は、はい」

「もしよかったら、でいいんだけど、俺にも聞かせてくれないかな。ほら、力になれるかもしれないし」

 嘘をつけ。

 紅音心の中で突っ込みを入れた。

 この男にそんな殊勝なボランティア精神があるとは思えない。その裏に何が隠れているかわかったもんじゃない。

 あまりにするすると色々話してしまいそうならば止めに入ろう。紅音はそう思ったのだが、

「えっと……すみません」

 頭を下げる。どうやら彼女にも言えないことの一つや二つはあるらしい。紅音はここぞとばかりに、

「まあ、そんな簡単に話せるものじゃないから、学生相談室なんだろ。なあ?」

 そう言いつつ朝霞の肩にポンと手を置く。置かれた方はといえば全く気にしていないという風に、

「ま、そうだよね。それじゃあ、これから行くのかな?相談室」

 月見里がおずおずと、

「あ、はい。そうしようかなと」

 曰く。元々今日は学生相談室にいくつもりだったらしい。

 ただ、途中……というか、授業が終わった直後に朝霞につかまり、ちょっとだけだからという口車に乗せられ、気が付いたらこんな状況になっていたのだというのだ。

 まこと不安になる話である。いつか誘拐でもされるんじゃないかとひやひやする。
まあ、とはいえ、こと今回に限っては、その行動に助けられたわけだからありがたいというべきなのかもしれないが。

「んじゃ、行くか。一応、待っててはくれると思うけど、冠木も暇じゃないと思うしな」

 そう話を進める。すると月見里が、

「あの、その前に一つ聞いていいですか?」

「何?何でも聞いて?」

「さっきのお二人は一体どこに……?」

「「ああ」」

 これには朝霞と二人が同時に反応する。どうやら彼女は気が付いていなかったようだ。よほどテンパっていたらしい。

 朝霞が、

「二人ならね、決着をつけるって野球しにいったよ」

「まあ、いつものことだな」

「そう、なんですか?」

「そう、いつものこと」

 そう。

 話が長引きそうだと分かった瞬間、二人は部室に置いてあった各々の野球道具を片手に、部室を後にしていたのだ。

 議論でつかない決着を野球でつけるつもりなのだろう。

 恐らくは今頃、校庭のどこかで、死ぬほどどうでもいい、けれど二人のプライドがかかった、三打席勝負でも行っているに違いない。

 今日も無事に新聞部員(笑)たちは、自由に活動を続けているのだった。

               ◇


 
 紅音と月見里は一応、隣り合わせで歩いているが、その速さは大分違う。

 二人の身長は、20㎝近くは違うと思われるため、そもそもの歩調がかなり違うのだ。
 そのため、紅音も少し歩く速度を落とし気味にはしているのだが、元がせっかちと言われるレベルの速さなため、時々月見里が早足になってしまうという塩梅になっている。これでも気を付けているのだが、難しいものだ。

 そんなことを考えながら、歩調を調整しつつ歩いていると、紅音は一つ、気が付いたことがある。

 月見里朱灯(あかり)は目を合わせてくれない。

 もちろん、誰もが誰もに対してしっかりと目を合わせて会話をするわけではない。
中には目を合わせたくないような相手もいるだろうし、ちゃんと目を見て会話をするべきだとは必ずしも思わない。

 思わないのだが、彼女のそれは度を越えていた。

 一応、紅音もチャレンジはしてみるのだ。目を見れば分かることも多い。だから、

「んじゃ、学生相談室には何度か来ようと思ってたのか」

 と語りかけながら目線を合わせる。

 すると、

「はい、そうなんです」

 ぷいっ。

 と、明確にそらされてしまうのだ。

 理由は分からない。

 ただ、彼女は紅音と目を合わせて会話するのを避けているようだった。

 これが月見里に嫌われているのならばまだ納得はいく。ただ、昨日からここまでで、彼女に嫌われたような様子はなかったと思う。

 実行犯は朝霞とはいえ、紅音も、彼女を新聞部の部室に連れこ……連れてくることに同意したのは確かだから、その点に関して警戒されている可能性が無いわけでもない。

 が、もしそうだとすると、彼女のここまでの行動を考えるに、端からついてきてなどいない可能性が高いと思う。一応、こうやって同行出来ていることを考えると、その線は薄いと見ていい。

 では、なぜか?

 答えは簡単。彼女が極端に人見知りだからだ。

 何とも単純な答えだが、そう説明するより他はない。

 紅音の周りは「人見知り」などという単語とは生涯無縁の、人のパーソナルスペースにずかずかと土足で入ってくる人間ばかりなので少し新鮮だ。

 そんな訳で、紅音は月見里と目を合わせることは出来なかったが、それでも会話をすることは出来た。

 月見里曰く、一年次から学生相談室に行くことは考えていたらしいのだ。

 ただ、本人の性格もあり「行きたい」と「緊張する」が天秤にかけられた結果、後者が総理し続けていたのだろう。

 少なくとも去年度は一度たりとも訪れてはいないらしい(前を通ったことくらいはあるらしいが)。

 が、二年生に進級し、その均衡が破れたのだというのだ。

 その理由について、月見里はかいつまんでしか説明をしてくれなかった。

 要は「あるきっかけで危機感を抱き、中学時代の友人に相談したところ背中を押された」のだというのだ。

 そこまでの危機感を抱いた理由と、その相談内容に関しては、ついてから説明すると言っているので、今は聞かないことにした。

 まあ紅音としては、聞けなくても全然問題はないのだが、どうやら相談する時も一緒にいて欲しいとのことなので、付き合うことにしたのだ。別に何か用事があるわけでもないからいいだろう。

 妹には、帰りが遅れる旨だけ連絡をしていたので大丈夫なはずだ。もしかしたら何か奢らされるかもしれないが、まあ、その時はその時だ。

「あ、ここですね」

 と、そんな話を聞いているうちに、学生相談室にたどり着いた。

 結局あれから冠木には連絡をしていない。

 もっとも、今日は彼女しかいないということは聞いているし、問題はないはずだ。

 彼女からの連絡によれば、他の生徒が入ってくることが無いように、あらかじめ「閉室」の札を出しておくとのことだったが、それも言った通りである。

 ご丁寧にカーテンまでかかっているが、それは月見里が来てからで良かったのではないだろうか。

「だな。じゃ、行くか。先生―。連れてきました、」

「あ!ちょっと待って!閉室って書いてあるでしょ!」

 なんだろう。

 ただ、その疑問を持ち、脳内で処理するのは数秒だけ遅かった。

 学生相談室に入り、外から見られてはいけないので、後ろ手に扉を閉める。
その直後、紅音と月見里の目の前に広がっていたのは、

「だから待ってって……ああ、なんだ。少年か」

 他でもない冠木紫乃(しの)その人だった。

 もちろん、彼女の言った通り、鳳(おおとり)はおろか、他の人間の姿は一切ない。それに関しては全く間違っていなかった。

従って、ミッションは成功と言っていいだろう。

 ただ一つ問題があるとすれば、

「な、なにしてるんですか!?」

 冠木が絶賛着替え中ということくらいのものである。

 いや、大問題だろう。なんで着替えてるんだ。ここは宿直室じゃないんだぞ。

 ところが冠木は全く動揺せずにそのまま着替えを続行し、

「いやー……だってさぁ。白衣だと先生に見えないっていうじゃん?だから、せめてスーツにしないとなーと思って、ほら。持ってきたんだよね」

 そう言いつつ横に畳んで置いてあったスーツをこちらに見せる。

「いや、それだったら朝から着てればいいじゃないですか」

「やだよ、窮屈だもん」

 あんた社会人だろ。

 思わずそう突っ込みたくなったが、今はやめておこう。なにせ、今はスーツで隠れているものの、そのすぐ後ろには下着姿の冠木がいるのだから。

 紅音は反論の余地を残さないように、

「取り合えず!俺は出てますから、早く着替えてください!教えてくれたら入りますから!じゃ!」


 逃げるように部屋から退散する。本当は月見里を連れて出るべきだったのだが、そんなことを考えている余裕は紅音にはなかった。おかしい、こんなはずでは。

 そんな彼の後ろで、

「ヘタレだなぁー」

 うるさいわ。宿直室の酒瓶、美代ちゃんにばらすぞ。


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