【創作論】データ化された「流行」の罠
本作について
note版公開にあたって
自分が書いた、恐らく現状最後の創作論ではないかと思われます。その他こまごまとしてものはありますが、一つの作品としてまとまった創作論はこれ以降書いていないと思います。
そして、これは一番受けが良くなかったです。まあ、当たり前と言えば当たり前なんですけどね。そもそも主張が主張なので。
自分は基本、才能のある人の味方です。なので、大して面白くもないのに「みんなが見てるから」で群がって、結果大ブームになっているみたいな現象が心の底から嫌いな人です。そんな人の主張を書いてもまあ、どうにもならんよなって感じで。
でもねぇ……正直間違ってないと思うんですよ。今起こってることは間違いなく負の連鎖で、言葉を選ばずにいうならば「駄目なものでも共感できればなんでもいいや」って感じで。そんなの創作じゃないですよねって。共感ごっこは他でやってほしいなぁって思う訳なんです。
そんな、恨みつらみを背後に抱える創作論が本稿です。よろしくお願いいたします。
あらすじ
「今こういう作品が流行っているんだって」
「流行をきちんと追わないと」
「作家になりたいなら流行は知っておくべき」
こういった言葉はきっと、創作をやっていれば一度は聞いたことはあるのではないでしょうか。
「流行」という言葉には魔力があります。特に最近は「データ」としてそれが明示されるようになり、よりそれを追いかけやすくなりました。しかし、本当にその「流行」は追いかけなければならないものなのでしょうか。著者がそんな疑問を元に「データ」と「流行」の関係性。さらにはそこに潜む「罠」に迫ります。
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