子どもへの対応の価値観の違い

『職場でのお子さんへの対応が「甘やかしてる」って他の保育士から注意される』という保育士の嘆きが無くならない。
いろいろな場面が予測されるが、全部が同じ意味ではないだろう。
職場内でのコミュニケーション不足もあるだろうし、その職場の職員同士の意識の違いがある。
価値観が違うのは当然だし、違うから多様性となる。
子どもが混乱するぐらいなら話し合った方がいい。
その保育士の話を聴いていると、大人同士で話し合えないためか結局子どもが現場で怒られたりするなど、子どもへのしわ寄せになっていたりする。うーむ。


集団の大きさにもよるが、どこまで子どもたちを集団活動にのせようとするか、という意識の差だと思う。あと、その子が自立していけるように、という思いの強さの差か。集団から外れる時にどこまで許容するか。
どちらにしろ職員間で話し合っておく必要がある。
けどこの話し合いも難しいんだと思う。
各々の信念があり、各々の経験から物を言うので、どちらも自分の正しさを主張し合う。これでは職員同士の主義主張のぶつけ合いでしかない。
注意すべきは「その子の姿を捉えながら話し合いが出来ているか?」ということだと思う。
大人のエゴや信念のぶつけ合いではなく、何のための話し合いかというと「その子にとってどういう対応がマッチするかを検証していく」必要がある。
でもこれも、価値観の違いでなかなか難しいんだよなぁ。


前の職場の先輩とこないだ飲んだ時も同じことを言っていた。
ベテラン保育士も言うぐらいだから、永遠のテーマなんだろう。
「そっちのクラスできちんとしつけしないから、こっちに来たら暴れるようになった、どうしてくれるんだ」と。
しつけ、というワード。なんだろうなぁ。
子どもが暴れるのには必ず理由があるし。
暴れるしか表現方法が無い子は、暴れるしかないから。
子どもが暴れる話のねっこには大概「言うことをきかせようとする大人がいるから」だと思う。
暴れて自分を守らなきゃいけないぐらいの自我がちゃんとその子の中に育っている証拠だ。
「その子のことを分かろうとすること」が大事だと、佐々木正美さんのことばがいつも思い出される。


結局その職員とその子の関係性だと思う。
信頼関係が出来、相手の表情や反応に気づけるお子さんだと、関係性を保とうと努めることが出来るようになってくる。
大好きな人に嫌われないようにしたくなる関係性を作れるかどうかだと思う。顔色をうかがうとかではなく、心地いいと思えるお互いのやりとりが保持できるか、だと思う。


感情労働の仕事だし、感覚・センスが問われるなぁと思う。
目に見えない感覚をお互いにどう捉え、どう表現し、どうすり合わせ歩み寄らせて一緒に組んで保育や療育をするか。合わないものはどうしようもないので、お互い折り合いをつけていく必要がある。



継続するって本当に難しい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?