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きょうの聡太くんとプレイバックたまちゃん 2024/10/9

 きのう、昼寝していたら、聡太くんにそっくりな、でもちょっと毛の長い子猫を3匹拾う夢を見た。
 子猫たちはとてつもなくふわふわしていて、可愛らしくて、なんというか「小さきものはみなうつくし」の境地だった。わりとリアルな夢だったので、目が覚めるまで本当に起こったことだとばかり思っていた。
 でも子猫3匹なんて我が家ではぜったい無理だ。聡太くんひとりでもイタズラに困っているのに、さらに3匹増えたら人間のメンタルが持たない。いまはそろそろ茶の間にゴミ箱を復活しようか……という話が出るようになったのだが、結局転がしてフタを開けてゴミだらけにすることが想像されるので復活はしないだろう。
 聡太くんがちっちゃいときに、子猫のイタズラのひどさを体験したのだが、もうあれを、しかも3匹で結託してやられたら勝てる気がしない。そのあたりは「夢でよかった……」と思った。

 聡太くんは子猫だったころの写真や動画がたくさんある。たくさん撮ったから当然だ。変わり映えのしない写真を毎日カシャカシャカシャカシャ撮り続けたので、いつでもグーグルフォトで聡太くんの子猫時代の写真を観て「ちっちゃい……かわいい……」ができる。
 子猫だったころの写真がたくさんあるのは、子猫時代というものがごくごく短いからだ。短い子猫時代を、少しでも残しておきたくて、たくさん写真を撮ったのである。
 だから子猫時代の写真を見ると、ほんの一瞬だった小さかったころを思い出してせつなくなる。いっぱいイタズラしたな、とか、よく寝ていたな、とか、そういうことを思い出すわけである。
 で、どうしてそんなにまで聡太くんのちっちゃいころの写真を撮ったのかというと、たまちゃんの子猫時代はまだガラケーで、たまちゃんの子猫時代の写真が一枚も残っていないからである。若猫、くらいの写真はちらほらフィルムカメラで撮ったものがあるのだが、ガチの子猫時代の写真は残っていないのだ。
 たまちゃんの子猫時代はわたしが精神病を患う一歩手前のころなので、思いだそうとしてもボロボロの子猫だったたまちゃんを拾ってきたことくらいしか思い出せない。たまちゃんの記憶はだんだん遠ざかっている。もっと写真を撮ればよかった。

「にんげんさあ……ぼかぁねむいんですよ……」


 そもそも「子猫」というのが反則なのだ。あの可愛さは一種独特である。
 子犬と違ってぼーっとしたところがなくて、こまっしゃくれていてちょこまか動いて、でも体力が子猫なのでちょっと動くとコテンと寝てしまう。そんなの反則に決まっている。
 子猫の可愛さは独特だが、大人猫も可愛いのは変わらない。\ぬぅん/と座っているだけでかわいい。寝ているだけでかわいい。膝に乗りにくるのがかわいい。
 結局猫は大きくなっても「小さきものはみなうつくし」なのである。ご飯を食べてもUNKOを出しても、「えらいえらい」と褒められる。
 人間はきっと自分より小さいものをかわいいと思うようにできているのであろう。だから清少納言は「小さきものはみなうつくし」と書いたのだ。
 かわいいねえかわいいねえとこねくり回せば反撃されてダメージを受けるわけだが、それでも「小さきものはみなうつくし」なのである。

 そういえばきのうの記事に載せた聡太くんの後頭部の写真が家族にバカうけであった。あれだけホワホワしていたらそりゃあ可愛い。スマホ写真であの高精細ぶりなのだと思うと文明の進歩を感じる。
 母氏のスマホがだいぶ古くなってきて、ドコノコなどで母氏の撮った写真をみるとだいぶボンヤリしているのだが、スマホの買い替えは安くないうえに恐ろしく時間がかかるのでちょっと……という状況である。平成のころはガラケーの機種変などタダなうえに1時間もかからずに終わったものだが……。

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