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コナン映画『100万ドルの五稜星』の感想 エンタメとストーリーの不協和

ネタバレ注意

先日、名探偵コナンの新作映画、『100万ドルの五稜星』を観た。

感想は、

  1. 観ていて楽しかった

  2. ストーリーとしては不完全さを感じた

というものである。
なぜこのような相反する感想を抱いたのか。それは、客を楽しませるシーン=エンタメは確かに多く、楽しめたのだが、肝心のストーリーはご都合主義が多く、おざなりになっていると感じたからである。
その理由について述べる。

まず、この映画が観客を楽しませる仕掛けをたくさん用意していたことは間違いない。

一つ目の仕掛けは、多くの人気キャラを登場させたことである。
いつものコナン、蘭、小五郎一家に加え、怪盗キッド、服部平次、遠山和葉といった人気のあるキャラクターを登場させた。登場しないかと思われた、阿笠博士と少年探偵団たちも物語の終盤から登場した。
さらに過去作の大岡紅葉を再登場させた。新一の両親である有希子と優作、さらには、キッドの父親である黒羽盗一らしき人物も最後の最後で登場する。盗一はその生死が不明であったが、これで生きていることが確定し、さらには、作中の重要情報として、優作との血縁関係も明かされた。
これまで単体で一本の映画となっていた怪盗キッドと服部平次の両者の登場は、いわばW主演ともいえ、間違いなくファンを楽しませただろう。

二つ目の仕掛けは、多くのアクションシーンがあったことである。
服部平次の十八番である剣術でのアクションシーンがふんだんに織り込まれていた。また、キッドとの共闘もみられた。特に終盤のプロペラ機の上での格闘シーンでは、キッドが平次の命を救った。このシーンは、『天空の難破船』でコナンを救ったシーンをを彷彿させる。
コナンもまた、何度もバイクから転落しては、平次に拾われるというシーンがあったし、終盤で函館山を目指すときに、ロープウェイのケーブルの上をスケボーで走るというアクションもあった。

三つ目の仕掛けは、ラブコメである。今回は、平次と和葉を巡るラブコメで、大岡紅葉が和葉側の恋敵、福城聖が平次側の恋敵となったいた。剣道の大会中で、かつ怪盗キッドも現れているのにデートスポットの下見をしていたり、蘭にビッグ・ベンと100万ドルどっちが上かと聞くシーンもファンにとっては嬉しいシーンだろう。

このように、キャラクターを多く登場すること、アクションシーンが多いこと、平次と和葉のラブコメがあることは、観ていて楽しい要素ではあった。しかし、これらの楽しい要素を詰め込みすぎるあまり、それらがストーリーと両立していないのではないか、と感じざるをえなかった。
そして、皮肉なことに、上記の楽しませる仕掛けがそのままストーリーの完成度を落とす原因になっていたのではないかと思う。

まず、登場人物が多いという点である。登場人物が多すぎるあまり、一人一人の登場人物に対する描写が少なくなり、ご都合主義的な登場となっていた。

第一に不自然さを覚えるのは、山岡紅葉だ。彼女は序盤から登場していたにもかかわらず、豊玉発句集を電話越しに伝える以外、本筋のストーリーに絡んでこなかった。この豊玉発句集が暗号解読の鍵になるが、そのシーンはあっさり処理されている。よって、彼女の印象としては、北海道の各地の紹介と、最後のコナンへ爆弾?スタングレネード?(記憶が定かではないがバッグのようなものを投下し、閃光が出ていた)の投下と、平次の告白シーンでのスタングレネード投下という役割くらいしか果たしていないように感じる。そもそも、コナンのカーチェイスシーンで、スタングレネードを投げたら、コナンにも危険がありそうなものである。

そして、彼女は作中ほとんどヘリコプターに乗っていたのだから、平次と聖のプロペラ機での戦闘シーンに絡んでもいいはずである。というか、レーダーに映るはずだから、それに気づかないわけがない。しかし、そこで気づくシーンがあるわけでも、落ちた平次を助けようとするシーンがあるわけでもない。これは、ストーリー上かなり不自然だし、現実的にも不自然である。

第二に、少年探偵団と博士である。映画も終盤に差し掛かったところで急に登場し、いきなりクイズを出し、考えるまもなく正解が発表される。もはや、ストーリー内にクイズを組み込むことを諦めているとしか思えない。従来は、たとえば待ち時間や関連性のあるシーンに出題することで、あくまでもストーリー上に組み込まれていた。

そして、彼らが北海道に来た理由もよくわからない。確かコナンが「用があるのは博士だけ」というような発言をしていたから、あの気球目当てだったのだろう。要は気球が必要だから少年探偵団ごと呼んだということになる。現実的に気球を持ってくるのは困難だろうし、なによりストーリー上必要とされているものが、少年探偵団と博士なのではなく、気球でしかないのだ。この時点で、ストーリー上彼らを登場させる必然性がないのだ。ということは、彼らを登場させたいから登場させたのであり、制作側の意図が透けているのである。

第三に、キッドである。メインキャラであったキッドもストーリー上の登場理由が弱い。キッドはビッグジュエルを狙っているという設定に対する疑問は、最終的には回収されていなかったと言っていいだろう。

このように、エンタメ目的で登場人物を多く登場させたのはいいが、それぞれの登場人物に対する描写が少なくなり、その登場人物が登場する必然性や、その行動をとって必然性が薄かった。つまり、キャラを登場させたいから登場させたという感が、観ている側にはっきり伝わるのである。

次にアクションシーンについてである。各アクションシーンは楽しめたが、ストーリー全体を通して考えると、多くのアクションシーンを差し込むあまり、盛り上がりが分散してしまい、山場のプロペラ機でのアクションシーンの盛り上がりが欠けているように思えた。

今までのコナン映画においては、大抵、大規模なアクションシーンが最後に登場し、クライマックスを迎える。たとえば、ビルが燃えたり、城が燃えたり、観覧車が転がったり、飛行船が跳ね上がったり、である。要は、最後にド派手なアクションが待っているのである。

しかし、今作においては、爆弾を積んだプロペラ機の上で、剣術での格闘シーンを行うという、どうにも小粒感が否めないアクションとなっている。この規模のアクションなら、前のシーンの平次、キッド、コナンの共闘の方がクライマックスに相応しい。

しかもアクションの目的も、一応和葉を守るためという説明はできるが、函館山に呼んだのは自分である。つまり、彼女がそこにいることは、犯人側の責任ではないのである。この点で、このアクションにおいて、和葉を守るということを全面に打ち出すことに無理が生じた。実際、映画においても和葉を守るんだという心情の強調はそこまでなかった。

さらに、爆弾も海に落ちて、爆発するだけで、特に派手なことは起きてない。そもそも、プロペラ機はどこから出てきたんだという話である。そして、ハワイでなんでも教えてくれる親父がいるわけでもないのに、なぜ普通の学生がプロペラ機を運転できるのだろう。

最後に、ラブコメについてだが、クライマックスにおいて、平次は和葉を事件との関係はなく函館山に呼んでいる。つまり、クライマックスで、ラブコメと事件がリンクしていない。ゆえに、単に事件とラブコメが別々であるように感じられる。

コナン映画といえば、コナンが「らーん」と叫ぶことが定番になっているが、それは事件を解決することで、蘭の危機を救い、結果ラブコメになるという展開だからだ。つまり、事件を解決するモチベーションに蘭を救うことが含まれているのだ。だから、事件とラブコメが一体化しているのだ。今回の映画はそうではなかった。

こうしたツッコミを入れればキリがないような状態は、著しくこの映画のストーリーとしての完成度を下げる。このツッコミは設定が現実的かどうかを基準にしているのではない。ストーリー上の必然性の話である。

上記のエンタメ要素がストーリーの完成度を下げていることに付け加えて、コナン映画においてもっとも重要であるはずの、事件とその解決があまりにもおざなりであったことを挙げねばならない。

暗号は宝あるいは兵器の場所を示しているはずなのに、気球に乗っている写真から、なぜ気球に乗っていたのかや、底面がガラスだったわけを推測しなければいけないというのはどういうことなのか。暗号は一対一で必然性をもった解読が可能なはずのものなのに、写真からの推測では一意の解答ではなく蓋然性しか得られない。

そもそも、当時どうやって気球に乗って暗号機の場所を特定できたのか。少しでも手元が狂ったり、刀の位置が変わったり、気球が揺れたら、かなりの誤差が生じるはずである。また、当時、レーザーポインタみたいなものがあったのか。場所がわかるようにそれをずっと照らし続けていたのか。暗号機の場所に行くたびに気球に乗っていたのか。だとしたら、五稜郭が火の海になったことが一回だけあったというのはなんなのか。諸々相当無理がある。

なにより、暗号解読機?という刀とも幕末ともお宝とも関係ない、アニメ映えのしないものを選んだのは一体なぜなのか。映画上の謎よりこっちのほうがよっぽど謎である。

とにもかくにも、現実的にも無理があるし、ストーリー上も必然性がないし、映画の中心であるはずの謎解きは納得感がないし、クライマックスの戦闘はいまいちだし、お宝はピンとこないし、なんというかストーリーの完成度が低いことは言うまでもないだろう。

こうしたこと全てを些細なことと片付けて、なんとなく面白かったと思えればいいと思う自分もいるし、この完成度はないだろうと思う自分もいる。いろいろ考えさせられる映画であった。



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