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長男猫の事

かつて我が家には賢くて、シャイで、カッコつけたがりで、不器用で、男前な猫がいた。ツヤツヤに光る黒トラ模様がとても綺麗な子だった。実家にいる時も猫はいつも傍にいたけれど、親としての責任を負う初めての猫だった。だから長男猫。


子猫だった長男猫は我が家の子供になる以前から、里親になってくれる人を探していた。生まれた時からずっと。
何人もの人が子猫の里親になろうと自分の家に連れて帰ったが皆、里親にはなれなかった。やっと安住の場所が見つかったかと思うとその家の奥さんが猫が苦手だったり、別の家では子供が猫アレルギーである事がわかったり、いわゆるペット禁止のマンションに住んでいたりという具合いに。一度などは野山を駆け回れそうなくらい長閑な土地の家の子にという話もあったそうだが、その話もいつの間にか立ち消え、子猫は何度目かの行き場所を無くしてしまった。

それを見るに見かねた夫はある日の会社帰り、散々、考えた末に子猫を我が家に預かって来た。何故、会社帰りかと言うと、夫が勤務する会社はかなり広い敷地面積を有しており、その中に猫がのんびり寛げるような場所、芝生やベンチなどがあちらこちらにある。そこに、家がある子もそうでない子もたくさんの猫が集り、優雅に遊んだりお昼寝したりしているそうだ。子猫はそこで生まれ、まだ目も開かないうちに会社の人間が保護し育てた。だから会社帰りだったのだ。
そして何故、夫が預かる事を散々考えたかと言うと、娘も私も無類の猫好きであり、そんな私たちが一度でも子猫の顔を見てしまったら手放せなくなってしまうかもしれないという心配と、そうなってしまっても当時の我が家は猫と一緒に暮らせる住環境になかったからだ。
そこで我が家が無理ならと里親探しを試み、猫と暮らせる環境の知り合いや実家に聞いてみたが良い返事はなかった。


里親も見つからずどうしたものかと来る日も来る日も迷い悩んだ。一緒に暮らせる住環境にないにも拘らず何を迷い悩んだかと言うと、子猫の命を預かり守る責任の重さ、フードや医療費としてかかるであろうお金の事、今までの生活より多少の不自由があるだろうという事、そして一番大きかったのはいつの日か先に逝ってしまうであろう事。
そんな事を散々、考えて考えて考えて、、、腹を括った。
結局、子猫は我が家の家族になり、その後、猫と一緒に暮らせる家へと引っ越しをした。

活発でいたずらは良くするものの自立心が強く、短所と言えば食が細い事くらい。それ以外は手が掛からない子だったので、長男猫の猫育(ねこいく)期間はあっという間に過ぎた感がある。娘の人育(ひといく)期間と同時進行だった事もあるが、病気になってから最期までの4年間の記憶が濃く、そちらの印象が強いからかもしれない。

17歳になっても年齢のわりに健康そうに見えていた長男猫は、このまま人と同じくらい長生きをしてずっと一緒にいられるんじゃないかな、などと有り得ない事を考えていた矢先だった。私の膝にいた長男猫が、目を開けたまま軽い失神でも起こしたように膝から落ちた。普段あまり抱っこはしたがらないのにその頃はよく膝にいて、変だなとは思っていたけれど、具合いが悪い事を自覚し、不安でなるべくそばにいたいと思っていたのかもしれない。
その日のうちに動物病院へ行き血液検査をして頂いた。年齢が年齢なので目があまり見えていないのだろうという診断だった。
失神のような症状はそれ一度きりで、少し安心しながら様子を見ていたのだが、3か月後、今度は痙攣のような症状が起きた。
同じ病院で二度目の血液検査をして頂くと、肝臓の数値に問題があり脂肪肝という診断だった。食が細くスマートなのにそんな訳はない。その病院でビタミンの薬を処方されたが今となっては謎の薬。

通院し謎の薬を服用しても全く良くなる気配がなく、これでは埒が明かないので最初の病院で受けた検査結果を持ちセカンドオピニオンへ。その病院で診察、血液検査をして頂きやっと甲状腺機能亢進症だという事がわかった。翌日、甲状腺ホルモンの活動を抑える薬を処方して頂き服用を開始した。
病気がわかるまで長くかかり、その間も病気は体の中で進行していたのかと思うととても怖くなった。
この事はこちらの勉強不足を反省すると同時に、獣医師の知識と力量の違いと人柄、セカンドオピニオンの大切さを感じる一件だった。セカンドオピニオンを受けなければ長男猫はもっと早く命を落としていたかもしれない。

☆甲状腺機能亢進症についてセカンドオピニオンを受けた獣医師に教えて頂いた事
 甲状腺機能亢進症は、体の代謝を活発にする甲状腺ホルモンの分泌が増加し、体の組織の代謝が亢進するため様々な症状を引き起こす。
 中高齢の猫での発症が多いと言われている。

痙攣の他に長男猫に起きた症状として
⚪︎年齢のわりに行動が活発になる。(良く遊ぶ)
⚪︎食欲が増加する猫が多いそうだけれど、長男猫の場合は減少し痩せる
⚪︎多飲多尿
⚪︎呼吸や心拍が早くなる
⚪︎吐き気や実際に吐く

その他に目がギラギラしたり、大きな声で鳴いたり、毛艶が悪くなる猫も。
わかりやすいのは良く食べるのに痩せる症状。
活発になるので年齢のわりに元気なように見えるけれど、それは見かけだけで徐々に消耗して行く。
甲状腺ホルモンの活動を抑える薬を服用する事で症状を軽減出来るが、一生涯に亘り服用する必要がある。(長男猫の場合)

*甲状腺機能亢進症の血液検査について
 採血は動物病院で出来るが殆どの病院には検査機器がなく、検査は専門機関で行い、結果をかかりつけの獣医師から聞くよう。
 最初に血液検査をして頂いた病院では院内で出来る検査のみで、そこまではやって頂けず。
 結果がわかるまで1日から2日くらいかかる。
 ※甲状腺機能亢進症や血液検査についてはあくまでも長男猫の時の場合。

薬を服用する生活になってからは症状も治まり、3kgを切っていた体重も消耗しない事で4Kg近くまで増えた。若く一番多い時の体重が4.2Kgから4.3Kgだったので、そこまでにはならないまでも、年齢のわりに目覚ましい体重の増加と回復振りに驚いた。それもこれも病気を見つけてくれ、適切な治療と指導をしてくださった獣医師さんと、お世話をかけた看護師の皆さんのお陰。

落ち着いた日々が2年半程続き、病気がわかった時には17歳だった長男猫は19歳に、人間の年齢で言えば90歳を越えているそうだ。いつまで経っても子供のように感じていたけれど、実際にはもう十分おじいちゃん猫だったのだ。心の中ではいつも別れを意識していたのに、それを考える事からも認める事からも逃げ続け、人と同じくらい生きられるどころか、うちの子は死なないんじゃないかなどと思いたかった自分の愚かさ加減を知る。
病気がわかってからは余計に、一緒に過ごせる日は決して多くはないのだと、やがて訪れる別れを感じずにはいられなくなった。

安定していた2年半を過ぎる頃から元々細かった食がさらに細くなり、療法食のドライフードもウエットフードも受け付けなくなった。食べさせる事を第一にという獣医師の指導を受け、市販の総合栄養食のウエットを温め、療法食のドライをミキサーで粉状にしたものをその上に乗せて、何とか食べさせようと苦肉の策を。しかし、賢い子だったのでその程度の事では騙されてくれずすぐに見破られた。いよいよ食べなくなってからは、あらゆる種類の総合栄養食のウエットを探し、買い求め、それに猫用キドナを混ぜて、僅かな栄養とカロリーを摂取していた。

1年以上の間、無い知恵を絞り何とか食べさせていたある年明けの日、長男猫がとても苦しそうに呼吸をするようになった。苦しくてベッドに横になる事も出来ないほどに。

動物病院で診察を受けると肺に水が溜まっているという事、さらにレントゲン写真の肺に影が写っているという事、腎臓の数値も悪くなっているという事だった。それからは胸に針を刺して肺に溜まった水を抜くために通院し、利尿剤を飲んでは下痢を繰り返し、少し良くなってからは通院する度に輸液をして頂いた。
肺の影については高齢で詳しい検査が出来ないため、良性とも悪性とも判断しかねるとの事だったが、獣医師の表情は計りかねるも良いものではないのだろうと感じた。

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3か月間治療を続けたが症状は良くならず、いつもの年ならもう少し早い山桜の開花が、寒の戻りのせいで例年より遅れた4月中旬だった。
病院で輸液を受けた日の深夜、長男猫が苦しそうに口で呼吸をするようになった。その日は帰って来てからずっと呼吸が早かったので変だとは思っていた。かかりつけの病院は夜間の診察はないので、指定の夜間動物病院に電話連絡を入れ、急いで車で向かった。

夜間病院に着き診察。
夜間病院の獣医師によると酸素飽和度は測れないという事だった。それほど低かったという事なのだろうか。獣医師にはお別れの時が来ていると言われた。信じられなかった。今までだって何度ものピンチを乗り越え、その度にそれ以前よりマイナスからのスタートになったけれど、そこからまた頑張れたのだから今度も頑張れると。

夜間病院の診察時間ぎりぎり朝の5時まで酸素を吸わせてもらい、かかりつけの病院の診察が始まるのを待ってそちらに。一旦は症状が落ち着いたものの主治医にもかなり厳しい状態だと言われた。それでもまだ信じられず、入院して今より少しでも元気にしてもらって家に連れて帰ろうと思っていた。

それから間もなく長男猫は急変し意識がなくなった。夜間病院と主治医、二人の獣医師に繰り返し同じ事を言われても別れなど信じられなかった私たちは、意識のない長男猫の名前を呼び、頑張ってと言い続けた。

しかし私たちの願いは届く事なく長男猫は息を引き取った。21歳になる誕生日の2週間前だった。最期は持病の甲状腺機能亢進症に負けた訳でも、皮肉な事に多少は数値が良くなっていた腎臓でもなく、肺の、おそらく腫瘍であろうものでもなく、老衰という事だった。

長男猫は治療と薬の服用により体調が良くなった3年半余りの時を経て、少しずつ体調が悪くなり最後の3か月で急激に弱り、痩せてどんどん小さくなって行った。介護もさせず最期の日まで自分の足で歩いてトイレに行こうとしていた長男猫に、もうこれ以上何を頑張らせたらいいのかもわからないまま最後の最期まで「良く頑張ったね。もう頑張らなくていいよ。おやすみ。。。」と、言ってやる事が出来ずに、ただひたすらに願いを言い続けていた自分を悔いた。
意識がなくなる直前、長男猫が最後に見た顔は誰だったのだろう。獣医師でも看護師でも私以外の家族でもなく、私であって欲しい。今までで一番悲しい泣き顔の私だけれど。

大好きだった優しい看護師さんに体を綺麗にして頂いた長男猫を家に連れて帰った。山桜の花びらが舞い落ちていた。車で帰る帰り道、窓の外を歩く昨日と同じであろう今日を過ごしている人たちをぼんやり眺めた。昨日とは違う長男猫のいない今日の日を迎え、その日の事を想像しなかった訳ではなかった事と、いつかの病院の帰り道で、今年の桜が長男猫と一緒に見られる最後の桜になるかもしれないと考えた事を思い出した。

帰宅するといつの間に紛れ込んだのか、風に吹かれた桜の花びらが長男猫のキャリーバッグの中に入っている事に気付いた。その花びらは長男猫が一人で天国に逝く寂しさを言いたかったような、それともお別れの挨拶をしたかったような、どちらの気もするけれど今はもう訊く術はない。
今でもその花びらは捨てられずに、長男猫の写真と一緒に写真立ての中に収まっている。山桜はきっと長男猫が近く亡くなる事を知っていて、その年は花を咲かせる事も花びらを散らせる事も待っていてくれたのだ。

翌日、長男猫を荼毘に付すため人以外の生き物の供養をしてくれるお寺へ。
もしもの時は全てを自分の手でと決めていたのに、心にも体にも力が入らず、何も出来ない私の代わりに、お寺の予約や当日の手続きなど殆どを夫が。
お寺には大切な家族を亡くした人が他にもいて、昨日と違う今日を迎えているのは私たちだけではない事を知った。
長男猫の棺には大好きだったのに食べたくても食べられなかった甘いお菓子と、よくじゃれて遊んでいた眼鏡拭きを入れて持たせた。
火葬された長男猫の骨はお寺の方により綺麗に並べられ、遺骨は骨になってもやっぱり長男猫だった。


長男猫はずっとそばにいて欲しいという願いを聞いてくれず一人で先に天国に逝ってしまった。その事でそれまでのような病気の心配はしなくなり、いつかいなくなってしまう怖さからも解放されたけれど、その代わりに耐えられない寂しさと悲しみが残った。そして自分はいったいどうしたらいいのか、どうしたいのかがわからなくなり混乱した。
少し経つと時間は解決してくれる訳ではなく、悲しみの形を丸く柔らかくしてくれるのだという事を知った。長男猫の形で空いた心の穴は、他の誰にも塞げないという事、かけがえのない者がいなくなった後も、遺された者の人生は続いて行くのだという事、そして天国に逝ってしまった者には二度と会えないという事を、いい大人にしてしみじみと知った。

長男猫がいなくなって間もない頃は、一日でも早く生まれ変わって私の元へ帰って来てと願ったけれど時間が経った今は少し違う。
いつか長男猫が違う毛皮に着替えて私の前に現れたとしたら気付く自信はある。しかし何となくだけれど次に会えるのは今生ではなく、来世なのではないかという気がする。私たちは前世で出会いその記憶を持たずに生まれ変わり、今生で何の準備もないまま初めましてと出会った。そしてともに過ごした思い出を胸に泣きながら別れ、今は離ればなれだけれど、運命には逆えず来世で出会いまた家族になる事を繰り返すのだろう。いつの日からか長男猫は心の中にいるようになったけれど、その姿を見て触って会いたいという願望がそう思わせるのかもしれないけれど。
それでもいつの日かきっと出会い、また一緒に特別な毎日を過ごせると信じられるのだ。


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