見出し画像

茶道人口減少によって起こること

●茶道人口が減少するとどうなるか

本記事は「茶道人口の減少について」の第二章です。
 茶道人口減少の原因について書く前に、減少によって何が起こるかを端的に書いておきたい。

・教授者、教室の減少

 茶道人口が減少すれば、流派の会員が減る。会員が減ることで、まず煽りを受けるのが教室や教授者たちだ。
 茶道の教授者たちは、流派から特別な金銭的援助を一切受けているわけではないので(むしろお納めしている方が多いだろう)、茶道人口が減少すれば、そのまま破綻する。
 それに対して宗家や流派は救済措置を取らないし、関与をしない。あくまでも教授資格を与えているだけで、教室を開くか否かは個々人によるものだからだ。会員の教室が破綻したところで、責任を取る理由がないのである。普段は会員に「我々は家族だ」とか言っているくせに、という思いはあるが、教室運営は基本的に自己責任だ。
 ただ、教授者のほとんどは家族などから支援を受けており、もともと不採算で運営をしているところが少なくない。経営破綻する教室が増えれば、結果、不採算教室ばかりが残る。不採算が当たり前となれば、誰も教室を開かないし、門戸が狭くなっていく。会員はより減っていくだろう。
 そうすると起こるのが、人材のレベル低下である。

・人材のレベル低下

 教授者が収益性を見込めない文化となった場合、優秀な人材の確保は今まで以上に難しくなる。高い収入がなければ誰もやらないし、継続は不可能だ。優秀な人材とは何か。時代を受け入れ、次の展開を模索し、実行する者だ。
 また、低レベルの教授者や不採算教授者が増えると、価格破壊の初心者向き定型ワークショップばかり増える最悪の事態となる。実際に、今回のコロナ禍によって、その傾向はより顕著になっている。入口だけやたら大きくしたところで、そのさらに奥に魅力的なコンテンツがなければ、たちまち人は去っていくだろう。それを繰り返されれば、茶道はつまらないという認知がさらに拡大するだろう。
 優秀な人材による流儀の新たな展開がなければ、宗家、流派の減少、消滅へとつながる。

・宗家、流派の減少、消滅

 規模が大きな流派の宗家であれば既存の経済基盤(後援者への奉仕、箱書、免状発行など)を持つため、すぐさまなくなりはしないと思うが、規模の小さな宗家一体型の流派は、会員が減少するだけですぐに存続できなくなるだろう。昨今、家元であっても規模縮小のため、他の仕事と兼業で活動している流派も少なくない。
 宗家、流派とは、流祖の茶の湯を定義化させたものだと先述したが、減少すれば、これまで培われた歴代の創意工夫が見られなくなる上に、最悪の場合、歴史史料の紛失、名物道具の流出が起こる。流派は、智慧の記憶デバイスであり、アーカイブ装置だ。これほどまでに長い年月をかけて体系的にまとめられた茶道文化がなくなることは、人類の大きな損失と言える。
 自由が生まれると同時に、無秩序な状態が生まれる。自称茶人が増加し、正統性を失うことによって茶道文化の価値が大いに乱れるだろう。

・茶人の増加、正統性の混濁

 流派が減少し、消滅することで、規定がなくなる。すると規格外の茶人が増加する。もともと、流派の属する人々は、他流派については口を出さない。一つの流派だけでも、一生かかっても覚えきれないほどのコンテンツがあるため(というか小出しにされる)、他の流派のことまで辿りつかないからだ。そのため、そのタブーを飛躍させると、所属不明、もしくは無流派の個人活動をする自称茶人には、誰も批判できない状態が形成される。そしてそのような場面が増えることとなる。
 つまり、流派外の茶人となれば、一切制約のない状態で活動ができる(今でも、流派内の茶道家が、その流派の趣意に外れる茶会などをする場合、宗号を用いず、本名で活動することが見受けられる)。彼らの茶の湯、茶道が既存のものと定義を異にするものであったとしても、彼らの放つ言葉がその時代の人々に重きを成すものであれば、歩みを遅遅とする既存の流派以上に影響力を持ち得るだろう。ただ、時代に合わせることだけが正統性を保つことではないため、ポピュリズムに陥る危険性がある。
 歴史は常に新しい者が過去を塗り替えてきたため、これを否定することはできない。しかし利休に端を発する茶道文化の正統な流れが今まで以上に不明になることは、極めて避けねばならないことだと思う。
 歴史が不明瞭になることで、道具などの価値はもちろん下がっていく。

・名物道具の流出、価値低下

 名物道具は、その時代の寵児たちが持ってきた。茶道具は通常の商品と異なり、名物であればあるほど、それを売った後の動向も茶道具商や業界が把握している。公的な文書では所在不明、個人蔵となっている道具も、実際はそうでないことが少なくない。全ては茶道具商の頭の中である。
 しかし、それはもちろん経済的な部分もあるが、第一には、名物道具の行方が分からなくなることを防ぐためである。名物道具は歴史が作るため、同じものは二度とできない。ただ、所有者が困窮極まったり、道具に価値を見出せなくなれば、それを手放すことも多い。ひとたび、素性の知れぬ人々へ渡れば、永久に買い戻すこともできない可能性もある。茶道が完全な保護文化でなく、経済の中で生き続ける限り、避けられない事態ではあるが、日本の宝が失われてしまうことは、社会的にも防がなければならない。
 名物道具がなくなることは、徹底したリアリズムを貫く茶道において、それを成立させる重大な要素をなくすことであり、また後進の茶の湯や茶道を志す者が先人の智慧を一つの体系の下に拝見できないことは、今後の茶道界において大きな損失を被ることとなる。

・命の智慧の喪失

 茶の湯や茶道には、生きる智慧がたくさん詰まっている。これについては「喫茶のすすめ」の章にて詳細するが、茶は、常に人間の躰に寄り添ってきた。また、精神性や思想という目に見えないものだけでなく、抹茶を飲むことや、道具を見ること、建造物に入ることで、誰もが等しく具体的に体感することができる世界的にも希有な文化だ。
 会員の減少を起因として、一つの体系が崩れ、より良き生き方の啓示や智慧まで失われてしまうことは、非常に残念なことだと思う。
 

●現象によって起こることまとめ

 教授者、教室の減少→人材レベルの低下→宗家、流派の減少→茶人の増加、正統性の混濁→名物道具の流出、価値低下→茶の湯、茶道文化などの積み重ねられてきた智慧の喪失。

 では一体何が原因で起こっているのかを、次の章「茶道人口減少の3つの原因」にて記す。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?