自分らしいなりわい①|自分らしい働きかたに至るまでの道のりは?
一生、この働きかたでいいのかな、自分の強みを仕事にできないだろうか。そんなことを考えたことはありませんか?
働きかたが多様になり、サラリーマンとして働く、サラリーマンでありつつ副業をする、フリーランスで働く、複数の仕事を掛け持ちながら生計を立てるなど、さまざまな働くかたちが増えました。その中には、自分の好きなこと、得意なことを仕事にしているロールモデルもたくさんあります。選択肢が増えた分、一昔前に比べると小商いなどのチャレンジもしやすくなったのではないでしょうか。
インタビュー「ここで過ごす日々」の第4回「自分らしいなりわい」では、ここでも、どこにいても、暮らしていくには欠かせない仕事や働きかたをテーマにします。わたしたちが暮らす愛媛県・内子町で、自分の興味のあることを仕事にして、なんだか楽しそうに働いている人たちに、働くことに関する問いを3回に分けて投げかけていきます。
登場するのは、スギちゃんの愛称で親しまれている、栗農家であり料理人の「亀岡家」亀岡理恵さん(石畳地区)、会社員とあまご(アメノウオ)養殖場の見習いというユニークな肩書きを持つ、ぺぺさんこと佐野晋平さん(小田深山地区)、「ゆるやか文庫」の屋号で貸本屋を営み、和紙とデザイン、印刷を掛け合わせたものづくりができる印刷所をオープンした青山優歩さん(御祓地区)の3名です。
仕事に対して新たな視点が得られたり、私にも手が届きそうな働きかたのヒントになるインタビューです。自分らしい働きかたを探してみませんか。
「彷徨っていた時代を経て、食の世界に」スギちゃんの場合
東京から移住し、愛媛県喜多郡内子町の石畳地区にて、夫婦で栗を栽培。「亀岡家」のアカウントで、栗農家の今や、石畳地区の魅力を発信。また、料理人として、ケータリングやイベント出店し、活躍している。「そとで、ここで(そとここ)」を一緒につくるメンバーで、以前のそとここメンバー座談会にも夫婦で登場。
――つくる料理も、いつも食べているごはんも、美味しいが溢れているスギちゃん。自分には ”美味いの神様” がついているというのも頷けるのですが、これまでの仕事でも「食」にまつわる経験を経てきたのでしょうか。
スギちゃん:愛媛に来るまでは、大きい会社に入って勤めていたら安心みたいなのがあった。自分の手に職をつけるとか、全く考えてなかったから、自分は何をするべきなのかとかいう目線で職を選んでなかったわけよ。給料が良くて、土日が休めて、終わる時間が早いとか、そういうことを優先的に考えて仕事を選んでいました。
そうすると、まあ、やりがいもないですよね。だから転職も繰り返していたし、大きい会社の末端にいると、もっとこういうふうにしたらいいのにと思っても取り合ってもらえないことのフラストレーションがすごくて。そういう仕事の現場が多かったから、愛媛に来るまでは、ずっと彷徨ってましたね。ふらふらしていて、このままではいけないと思いつつも、なんか仕事に対しては自分の役割を全うしていなかったですね。
――今は自分の好きなことや得意なことをなりわいにしていて、すごいギャップがありますが、変わるきっかけがあったのですか。
スギちゃん:そうだね。ターニングポイントは、前職のAllrightに入ったことですね。活版印刷の部門がある小さいデザイン会社。入社後、手づくりのランチを食べたいというリクエストがあって、社員の賄いをつくることになって、それがきっかけで料理の道に導かれたような感じです。それまでは料理で食べていくとか、一切思いもつかなかった。
だから、気づかされたみたいな感じ。ただ、昔のズタボロ生活の時代も、家に人を呼んでご飯をつくって食べたり飲んだりするのは好きだった。みんなから冗談でお店をやったらいいのにとか言われたけど、無理無理とか謙遜して、そういう感じでしたね。
自分で物をつくり出すのが本当は好きなのに、ちゃんとそこに向き合わないで、大きな組織にただ属したりしていたから、その当時と比べると、今はすごく幸せですね。自分の持っている力を生かせて、クリエイティブにさせてもらえるんで。
「未経験に飛び込む」ぺぺさんの場合
内子町の小田深山(おだみやま)で会社員(スキー場や獅子越荘ロッジの運営)として働きながら、あまご(アメノウオ)養殖場の見習いとして、地域のおばあちゃんを手伝い、あまごについて学ぶ日々。「ミ山のFISH」のアカウントで、あまごの出店情報や小田深山の "UNNATURAL" を発信中。
――3人の中で、ぺぺさんは唯一のサラリーマンですが、これまでどのような働き方をしていたのでしょうか。
ペペさん:まあ基本は流れている状態で、今ここにいるのもまあ流れ着いていて。流れ方としては、未経験分野にいきなり飛び込んじゃうパターン。フィルムの入れ方、わかんないのに、写真を撮る仕事とかね。
――それは求められて? それとも興味があって自分からですか?
ペペさん:まあ、興味はあったんだけど、自分にもできそうかも! みたいな。でも当然何も知らないから、撮影の途中で、撮れてるのかなと思って、カメラの裏蓋を開けたりとかね。フィルムを巻いていないから開けた時点で終わりじゃんみたいな失敗も(笑)
スギちゃん:当然、ふざけんじゃねーって、怒られるよね。
ペペさん:そう、入社してはじめての撮影仕事でそんな感じだったからね(笑)。その次は自然エネルギーのコンサルティング会社で働くんだけど、それはたまたま撮影で行っていた現場で、そこの社長と出会って、たまたま帰りの電車が一緒になって。ベンチャー企業だったんだけど、会社設立5年目に社員憲章をつくったから、ちょっと読んでみてよって手渡されて、それがめちゃくちゃ面白かった。お掃除は大切とかそういう基本的なことから、ネイティブアメリカンの哲学についてまで、いろいろ書いてあって、こんなのが社員憲章なのか! ってビックリした。
それで興味が湧いて遊びに行ったら、その流れで会社に入ることになった。まあ、ちょうど席が空いてたっていうか、会社が新規事業をやりたいと思っていたらしく、タイミングよくそこに自分が現れたというか。3年間働いたね。まあそれも未経験よね。自然エネルギーなんて全然知らないから。
でもそこから流れが今につながっていて。そこは自然エネルギーっていろいろある中で、薪とか木質ペレットとか山のエネルギーを扱う会社で、思いっきり山と関連があって、その会社の出張ではじめて小田深山にも来たんだよね。
で、実際にUターンするのはその2年後ぐらいなんだけど、小田深山で遊んでいたら、今、所属しているスキー場の会社の社長とばったり出会って。僕、ちょうどその時、暇で、スタンバイ状態だったし、丁度その社長も人材を探してたということで、その流れにノッて働くことになった。暇って大事な状態かも(笑)。
んで、これまた未経験分野に飛び込むパターン。当然ながらスキーやスノボしたことないし、ましてや自分とこのスキー場がどんなゲレンデなのかさえ知らないまま、1シーズン目の仕事がスタートした。頂上すら行ったことなかったから(笑)。まあ、いい加減っていうのも結構あるよね。
だから反省はいっぱいあるんよ。もうちょっとここを真面目にしたいとかあるんやけど。まあでも、ありがたいことに、今もここに居させてもらってます。自分の意思でこうなりたいとか、こうしたいっていうよりは、どちらかというと、その都度いただいたお誘いに乗っかって今まで来てる感じ。
――取材前に、スギちゃんたちと料理して食べたあまご(アメノウオ)がとても美味しかったです。この魚にも関わっているのですよね。
ぺぺさん:2013年から小田深山で山菜イベントをやってるんだけど、ローカル色を出すために、小田深山で唯一の住民で養魚所を営んでいるおばあちゃんに山菜先生役をお願いしたことがきっかけで、去年から縁あってそこの見習いをさせてもらってます。
釣りもしたことないし、魚も捌いたことがない状態で今回もはじまっちゃってるので、今でもはじめましてみたいなところに、結構飛び込むっていうか、スポーンと行っちゃうみたいな感じです。こんな自分を受け入れてもらってることに感謝ですね。
「デザインプラス何かを探して、和紙に」青山さんの場合
内子町の御祓(みそぎ)地区にある、廃校となった旧小学校の校舎を活用した「コミュニティスペースみそぎの里」で、貸本屋とデザイン、和紙に活版印刷やシルクスクリーン印刷などを組み合わせてものづくりが可能な印刷所「ゆるやか文庫」を営む。「そとで、ここで」のフライヤーやブックカバーの印刷も手がけている。
――内子町は、伝統工芸・大洲和紙が残る地域ですが、移住して、その和紙を仕事にするまでの道のりはどのようなものだったのでしょうか?
青山さん:ここに来る前は、本当に安定志向でした。奨学金を返すために働いていたみたいな感じだったので、月にこれだけの収入は絶対いるし、あと貯金もしたいみたいな。だからもう、それ中心で働いていて、でもその中でも、自分のやりたいことはしたくて、なんかすごい矛盾しながら働いていたかもしれないです。
昔から親とか周りの大人たちに「安定した給料=大企業や都会で働くのがいい」という話を聞いて育ってきたことに影響されていたのかも。結局、私は大企業でも都会でもない地方の小さな会社に就職したんですけど、給料をいただきながら勉強させてもらえたし、実際その時の学びが今にもつながっていると今では思えます。でも、社会に出て、いろんな働きかたがあることを知る中で、自分はこの働きかたでいいのかという思いが、ずっと頭のどこかにあったんです。
そのうち、都会でバリバリ働いていた友人が田舎の会社に転職したり、美術作家として活動・展示を続けていたりする同級生を見ていたら、なんか安定(した給料)とかいいやと思いはじめて。でも、好きなことを仕事にしたいけど、当時していたデザインの仕事には、限界を感じていたところでした。自分よりセンスがいい人や、美大に行かなくてもデザインができる人はいっぱいいるし。
多分、私はデザイン1本だけでは生きていけない、デザインプラス何かがいるんだ。それを少しずつ探し始めていた時に、なんとなく和紙と出会ったんです。なんか私も「なんとなく」が多いですけど、なんとなくピンときて、気がついたら和紙の魅力に浸かっていました。今は、自分が今までやってきたことが、何らかの形で生きていて、和紙と印刷を掛け合わせて、デザインと印刷所をやってます。
ぺぺさん:まあ、紙だっていろいろある中で、和紙のどの辺に、ぐぐっときたんかな?
青山さん:和紙だったら自分が入れる隙がある気がして、なんか隙間産業を狙いたかったんですよ。和紙を扱う企業としてはすごい元気なところもありますけど、産地としては、いいものをつくっているのに存在を知られていないとか、和紙自体もっと使ったり、活かせる部分がまだいっぱいある気がして。なんかその辺に勝手に目をつけたんだと思います。可能性を。入り込める隙です。
スギちゃん:いろいろ整えられてない部分もあるのかな。
ぺぺさん:でも、紙の、和紙の歴史って、多分いろんな紙の中でも古そうじゃん。それでいて、完成形とかじゃなくて、まだなんか隙があるのってすごいね。
青山さん:そうですね。奥が深いです。
――起業してよかったと感じたことはありますか?
青山さん:和紙メーカーに勤めていた頃は、基本、お客さんの対象が企業だったんです。そうなると、こういう和紙が欲しいという個人のお客さんが相談に来られても、その話を上に上げても大抵取り合ってもらえない。そのような依頼を一人一人聞いていたら、既存の依頼・生産が間に合わなくなってしまうと。職人さんの負担も増えてしまうので仕方ないことではあるんですが、そういう状況に、ずっと、もやっとしていて。それが今の働き方は個人単位で相手と一緒に話をしながら、それを仕事にしていけるので、これが個人で働くことの良いところかなと思います。
以前のインタビューで登場していただいた石畳のパン屋さんのポストカード。小麦のふすまを和紙の原料に混ぜて、天神産紙工場の職人が一枚一枚漉いた紙に、活版印刷でロゴを印刷。関わった人の想いが詰まったオリジナル商品だ。
悩んだ時に参考にしたものは?
――皆さんは、働くことに悩んだ時に、参考にした人や本などありますか?
スギちゃん:いやあ、参考にした人とかはいないから参考にならないかもしれないけど、愛媛に来る前から、自分の持ち味を生かして仕事がしたいとは思っていたの。自分ができることに薄々気づいてはいたんだけど、それが何かははっきりしていなかった。だから、いろんな人に気づかされて、ちょっとずつ導かれている間に道が定まってきたような。だからすごくラッキーなタイプなのかもしれないです。
ペペさん:影響受けた本とか人よね。それはいっぱいあるんだけど、なんだかんだ、今ここで、今隣にいます、目の前にいます、みたいな人から一番影響を受けてるかなと思う。もちろん本から教わることはいろいろあるんだけど、目の前の人が言ったさり気ない一言の方が影響がある気がする。刺さり方が違うっていうか。
青山さん:私も本はいろいろあるんですけど、デザインプラスなんだろうって考えていた時に、和紙にたどり着いたのが、『京都移住計画』っていう本に影響を受けたからなんです。実は、初めは京都に移住しようと思ったんですよ。そんな時に京都で、自分の好きなことを仕事にするにはどうしたらいいかという集まりがあって。当時住んでたのが岐阜だったので、京都も割とすぐなので、まあ普通に週末遊びに行く感覚で、何度か遊びに行っていました。
青山さん:だから、その本がきっかけで、京都に行くようになり、京都に伝統工芸士を育てる専門学校があると知って、はじめはそこで和紙を学ぼうと思っていました。
その学校のオープンキャンパスに遊びに行った時に、和紙の授業の講師で伝統工芸士でもある方に出会い、「お金を貯めて一年後、ここの学校に入って和紙の勉強をしたいです」って相談したんです。本来だったら生徒を入れないといけない立場だと思うんですけど、その先生は「学ぶのは学校に入るだけじゃないよ。そういう会社に入っても良いと思うし、青山さん自身で何か新しいことを始めても良いと思うよ」って言ってくれた。それがすごい大きかったですね。
なので、そこで京都というか、その学校に行くことをやめて、和紙の企業を探しました。それで、徳島県のアワガミファクトリーが運営する和紙会館へ転職。そこにいた時に、愛媛の内子町で和紙に関わる人との出会いがあって、それがきっかけで内子町に移住しました。
ゆるやか文庫で手がけた印刷物。さまざまな人との出会いから生まれている。レターセットやカード、ラベルなど、和紙の風合いを楽しめる。
三人とも働きかたはそれぞれ違っていても、導かれるようにして、ここにたどり着き、自分らしいなりわいを営みながら暮らしています。そのきっかけは人との出会い。悩む時こそ、積極的に人に会ってみたり、違う世界に飛び込んでみることで道が開けるかもしれません。 次回は、働くことに悩む人へのアドバイスを聞きます。
Coordinator Mai Oyamada
Writer Mami Niida
Photo Ko-ki Karasudani
ここに会いに行こう
亀岡家
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ミ山のFISH
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ゆるやか文庫
住所:愛媛県喜多郡内子町只海甲456 コミュニティースペースみそぎの里2F
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