曦宗達日記(2020年3月前半)

二〇二〇年三月一日

詩人、歌人、小説家、評論家、美術家(メディアアーティスト、バイオアーティスト)、実業家、タレント。
これらのために目指して生きる。
やっぱり戻ってくるんだ。
やっぱり文学の王道の詩が欲しかったんだ。


書くのがしんどくなったら、モヤモヤし出したら読書に移る。
しんどいのはよくない。
楽しく努力。


二〇二〇年三月五日

詩は消えない。みんなが本気で詩を受け入れ続ける限り。
詩人たちの世界に飛び込めば、何かしらの展望も見えてくるだろう。


僕が俳句を作る時の参考や着想は大体虚構から。
そっから自分はどう考えるか批評的に作る。


空回りしていないだろうか?
僕の目的はなんだったのか?
インフルエンサーとして有名人になることではなかったのだろうか?
俳優とか声優とか・・・。
それが一番手っ取り早いのならばなってみたい。


二〇二〇年三月九日


短いものが好きなのか長いものが好きなのか。
手を動かせばいいのに、それを許さない。
おそらくしんどくなるからだろう。
外へ行けばいいのに。中で書こうとする。
外を許さない思考をし続けさせる良心のフリをする糞がいる
ただ、真の良心は俳句なのだろう。
ただ、俳句はまだ季語とかが血肉しておらず、苦しみのなか。
それで書きやすい詩に逃げているのかもしれない。
まあ、詩にはそのフリースタイルがなんだかんだで書きやすく、晴々するのもあるが、本心がどこまであるのかわからん。
十四歳の時に『THE END』に影響受けてクリエイターになろうと思ったら、次第に芸術に惹かれて文芸を始めたのに苦しみが大きくなってゆく。
わからない。どれもしんどい。
京都や大阪には詩のコミュニティはあったりするのか?
助けてくれ。
僕はこれで終わりたくはない。
あと、俳句を書こうとすると詩集を読まなくなる。読みたいのに・・・それを許せなくなってしまう自分がいる。SFも読めない。嗚呼畜生。ネットの情報で人々の肩書から全霊のないことをするとなると悩もうとする自分がいることに腹立たしくも思えずほんとに飲まれる自分がそこにいる畜生め。


二〇二〇年三月十日

人生の目的(本当の良心)は基本なかった。これは一見まずい様に見えるかもしれないが、何もないならないなりに地道な活動を続けるしかない。


二〇二〇年三月十一日

僕はどこまで・・・。


二〇二〇年三月十二日

今日は早起きできたぞい。これで京都に行ける。

何故○○には興味ないと決めつけ、手につけなくなるのか?
手につけたら普通にイケる!なんてこともあるのに・・・。
読書、これも無意識。無意識のうちに読んでいたらなんか見つかると思う。
旅行が最近マンネリなのか何か分からないが日常化してきた。ただ、とにかく痛い。特に膝裏の痛みは尋常じゃない。足が切断されるくらい痛い。これが疲れとなって喉腫れに繋がるからちょっと怖い。
しかし京都の街は不思議なものだ。メディアで挙がる観光名所といえば清水寺や金閣寺、祇園だが、大体左京区の方にある。右京はどうか?よく分からん。

何を悩んでいるのか。

高台寺、圓徳院の灯火路が良い。誰もいない小道の中でより幽玄世界が増す。

写真には納められない圓徳院の中庭。いや、おさめるのがもったいない。


順番として初めの構造が肝心。そっから執筆で使えるものを使う?
プロット、作品引用、執筆速度など、気になることは色々あり、今自分のやるべきことが分からなくなるが、まずは順番にこだわるべきか?


二〇二〇年三月十三日

京都から夜行バスで四時間睡眠かつ城北線に乗ってから中央線で恵那まで行って明智鉄道に乗ろうとしたから・・・。
とにかく眠い。途中で帰った。

何故○○には興味ないと決めつけ、手につけなくなるのか?
手につけたら普通にイケる!なんてこともあるのに・・・。
読書、これも無意識。無意識のうちに読んでいたらなんか見つかると思う。
旅行が最近マンネリなのか何か分からないが日常化してきた。ただ、とにかく痛い。特に膝裏の痛みは尋常じゃない。足が切断されるくらい痛い。これが疲れとなって喉腫れに繋がるからちょっと怖い。
しかし京都の街は不思議なものだ。メディアで挙がる観光名所といえば清水寺や金閣寺、祇園だが、大体左京区の方にある。右京はどうか?よく分からん。

何を悩んでいるのか。

高台寺、圓徳院の灯火路が良い。誰もいない小道の中でより幽玄世界が増す。

写真には納められない圓徳院の中庭。いや、おさめるのがもったいない。


企業に就職すると、その分野のことをまずマスターしなければならない。これはいわば、自分の好きな領域から外れた場合、最も酷で、それについて深く理解しなければならない。
仕事で培ったものは大きいということもあろう。しかし、本業から作品ができるかというと「?」となる。なぜなら例えば警官や探偵を経験した推理作家はいるかいないかわからないというほどだし、SF作家は大抵文系大学出身が多いからである。結局小説はフィクション、虚構であるため、モノ・コトに対しては作者が描くイメージにすぎない。

アイルランドに行ってみたい。


二〇二〇年三月十四日

やはり表現手段に迷う。
何をしにきたのか、何を言いにきたのか。
何を表現したかったのか。
詩人としての存在価値とは何か。
詩にも物語はあるのか。
批評にも物語があるのか。
『THE END』に物語はあるのか
現代詩手帖には小説のような作品もあり、これは叙事詩であり物語でもある。
物語=歌なのか。
幻想的な歌、詩を作ろうとした。
お金を作る=売れる=みんなのニーズ=

ただ、何もやらなくなってしまうのではないか?
それは自信がないから。自信があって常に常に行動すれば良い。

二〇二〇年三月十五日

日本で働きたくない。もし日本で働くなら滋賀京都大阪兵庫などの関西圏。
本当ならば外国に行って外国で過ごしたいことも考える。

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