曦宗達日記(2019年10月)

二〇一九年十月八日

アウトプットのために、自分を積み上げるために、徹底的なインプットとまとめ力と内外からのアプローチによる積み重ね。
こうして初めてメディアアートは完成する。


二〇一九年十月九日

まだインプット。一人だからそーなるのか。他の人のメディアアートも見てみないと。
何よりも、機械のことを知らないと。


二〇一九年十月十三日

全てのことが阻害される風邪は、よく「死にそー。」「何も考えられない。」という、いわば無意識のうちに「死」の領域に入り浸る。
その認識は、


二〇一九年十月二十一日

落合陽一が「魔法の世紀」を確立。 僕は・・・魔法と時空の確立と魔法の分化だろうか・・・。

哲学書はじっくり読んでじっくり考えて。

有名、一流大学は確かに自分に合ったりする。しかし、そこで淡々とやることをこなすのではなく、そこから自分のワールドを創らなければ意味がない。

ヨーロッパの芸大も一教員にくっつくパターンか?
カールスルーエ、ベルリン芸術大学、ケルンメディア芸大
どれが・・・
東大学際情報学府や筑波大メディア創成みたいなカリキュラムもある?
三年四年でゼミの研究テーマに集中しなければならない。
→メディアアートがおろそかになる。
全くの初心者でも快く受け入れてくれる芸大とか。
メディアアートを学ぶだけでなく物理や化学、プログラミング(それぞれ異なるが)を総合的に学べるよう聴講もできるか。

結局人間は新鮮なものを求める欲望もので色んな気持ちがグシャ混ぜる。

何かの専門家にはなれないが総合受付可能な芸術家(アーティスト)ならなんでもいける。
僕はアーティストになろう。いや、アーティスト以外何者にもなれん。アーティストなら、メディアアートや現代アートから物理学、計算から事象、数学、社会経済、文学哲学、理論論理、教育・・・・。
もう決まった。

メディアアートがやりたいのにそれができない。これほど最も悔しいことは、他にない!

でもこの悔しさを、誰にぶつければ、メディアアート制作可能へと繋げられるのだ!それができなければなお悔しい!


二〇一九年十月二十三日

やはり、僕一人では限界だ。メディアアート どころか今の課題に取り組むこともままならない。メディアアート制作のために、いろいろ理念立てようとしても、身近に尊敬できる学生や学校、コミュニティ、何もない。僕は封鎖された・・。孤立された人間に他ならない。


二〇一九年十月二十九日

僕は、ずっと悔しかった。小さい頃から絵画教室行っていたのに、感性は磨かれずに育った・・・。だからずっと絵が下手なままだった。ショックだった。なぜ気づくことができなかったのか。しかしそれでもなぜか僕は芸術家になる気持ちが消えなかった。でも楽して、楽しく生きるならば、ちょっと大変ぐらいの方がいい、なんて言われる。確かにその方が現実苦しまないだろう。でもそれを思うと、芸術家を目指す気持ちに抵抗され、逆に芸術家になろうとすると行動が阻まれる。
昨日、絵画教室へ体験に行った。そこではいろんな質問をすると、甘いとダメ出しを喰らい、そして、絵の上達が何年かかるか保証もつかない、とのことだった。これから先やっていけるのだろうか。そう思うと楽する気持ちが、でも一方で芸術家になろうとする気持ちが・・・・・。もうこの板挟みにはゴメン被る。続けられるのか、続けられないのか。長期的思考が大事だが、短期的に考えてしまう僕にとっては非常に厄介。それを悶々とするうちに、眠れなく、胸が苦しくなってしまった。ウィキペディアに名前が載りたい一心で、色々とやっていた。その手段が芸術家なのだが・・・。これに囚われすぎる。でも、これから離れようとすると引き戻される。滅茶苦茶だ。もう・・・僕は、何になれればいいんだろうか。

しばらくはインプットだよ。作品や美術史、いろんなものを見て、感じて、感性を磨いてね。
制作は、まだ先。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?