曦宗達日記(2020年7月)

二〇二〇年七月八日

どうすれば、望んでいないものを無意識のうちに閲覧することを無くせるのか。目的意識やゴール(意志)を強く持ち、それを保持する。

批評でビジネス、人とのつながりが展開できたら良し。できなかったら起業。

歌人は実直的か?

批評、研究→活動の軸
短歌→主要なる余技
詩、俳句、小説→余技

批評活動し、事業展開→様々なことに挑戦しいろんな出会いをする。


もっと他の何かでメンタルを直していく。


機械はいまだに高い。だから、機械を用いたコンテンツや遊びが有料につくのもわかる。
お金のことと消費と学問を知れば展望が見える。
チームラボ の新たな公園はデジタル化

一生楽しく変人として過ごせるように。


性=生。仏教的にこれは何か?これでは滅してしまうだろう。

何かを誤解してしまっているのかもしれない。ハードルで一発で一気に飛び越えるという結果を診過ぎてしまっているのかもしれない。


二〇二〇年七月二〇日

どっか自分のことを受け入れる可能性の低い個人化する社会と空白化する私含めた人間が生まれてしまった国は再び呼び戻し団結化することはかなりの確率で困難を極めることとなるだろう。

この世で最も優れた哲学者である僧侶こそこの世に新たな方向を導くのではないのであろうか。

フォーカスするとはNOを言うこと。byスティーブ・ジョブズ
↓これは多くのことを全部自分でやろうとすること。例えば料理とか。趣味でなければやらぬ方がいい。
↓仕事中の妨げを総て削除できたら、1日あたり3~5時間(40~60%)の労働時間を取り戻せる。
↓その日その日のできる目標(これが重要)、つまりは小さなタスクにすること。

日記2
自分の中で苦しいトレーニングをすると硬くなってしまう。
→批評も同じなのでは?

インタビューなどによる事実より自分が日常の中で見つけた、気づいたことから考えたことによるアイデアは様々な感想を生むことができる。企画は生み出すものではなく気付くこと。
例えば秋元康は普段の生活の中で今時の若者を見て考える。事実によるリサーチは最大公約数の集積であるため中々個が出ない。

日々狂乱の中を生きている作家にとって何気ない日常がどれほどの安らぎを与えるのかは言うまでもないだろう。

少年時代から和歌・短歌・俳句・詩などに親しみ、在原業平、和泉式部、式子内親王、藤原良経、藤原定家、與謝蕪村、与謝野鉄幹、與謝野晶子、北原白秋、木下杢太郎、日夏耿之介、安西冬衛などを愛誦(詩文を好んで常に口ずさんでいたりすること)していた須永朝彦。
つまらないものやあまり好まない歌に色々神経研ぎ澄ましながら読むのも大変だから口ずさんだりしてより脳に刺激を与えよ。音楽を口ずさむのと同じように。

今異端とされることを日常生活に取り入れよ。異端はそれほど異端じゃ無い。

引用や他作品言語借用はやる方がスッキリする時もあればやらない方がスッキリすることもある。こだわりすぎると自由性に行けなくなる。

バイトの目的

7・30
たとえばゲンロンカフェなら、ニコ生で見ているお客さんのほうが現場に来ているお客さんより多い。けれども、あくまでも会話としてはそこにいる人のためにやってるし、顔を見て話すからこそ、登壇者も面白いことを言う。それをお客さんもわかっているから、会場に足を運びたいと思ってくれる。そういう生態系をずっとつくってきたので、オンラインを使ってオフラインの価値に目覚めさせるのは全然できると思います。
―― 基本的にはオフラインでのやり取りが大事だという立場なんですね
大事です。本当に大事ですね。ゲンロンはスクールとかもやっていますが、その特徴は、アフタースクールの飲み会が妙に充実しているということだったりします。ゲンロンの授業はどれも長いんですが、授業後に飲みに行く人たちが多い。
これも自然発生的にそうなっていったんですが、たとえば30人とか40人の授業があったら、20人くらいが徹夜で飲む変なスクールなんですよ。そうすると生徒間にもいいコミュニティができるし、講師が深夜まで残ってくれることもあるから、そこで貴重なコミュニケーションが生まれるんですよね。いわばハプニングのようなものなんですが、これこそが生徒のモチベーションや能力を上げていく。このハプニングがオンラインでは生まれないんですね。
by東浩紀

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?