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現実エッセイ DAY1 #1 生田駅ロータリーから改札まで

 バスを降りる頃には、もう雨は止んでいた。5〜6人くらいの主婦と老人と共にバスを降りた。通勤ラッシュを終えた午前11時の小田急線生田駅ロータリー。春の陽が穏やかに差す。雨でできた水溜まりに反射する太陽が眩しく、ロータリーの真ん中に取ってつけたように生えている木は優しくざわめいていた。

 つい3時間前まで会社員、学生が雨傘で凌ぎを削りあっていた場所。時間の経過によるこの極端な雰囲気の差に、なんだか不思議な気持ちになる。そんな時、僕はいつも何時間か前のこの場所の光景をリアルに想像してみるのだ。

 超満員でロータリーに滑り込むバス。窓は内側の熱気と傘の湿気で曇っていた。遅刻なのか、我先にとバスから飛び出す男のシリアスな真顔。バスから弾けるように出てくる人々が次々に広げる傘がぶつかり合って、皆一様にイライラしている———

 その地獄絵図をできるだけリアルに想像した後、回帰的に今この平和な時を実感する。終業式を終えてすぐ帰宅するくらいの、このゆるやかな時間が好きだ。僕は小田急線に乗るため、ロータリーから歩いて3分ほどの駅舎に向かう。


 今年は冬が長かったような気がする。暖冬と言われていたけれど、全く実感がない。いつまでもダラダラと寒い、だらしのない冬だった。流石の冬もついにケジメをつけたのか、昨日の大雨ぐらいから、雰囲気が変わり始めた。今年の春は、普段は穏やかでも、ここぞという時に男気を見せるタイプらしい。大雨という荒業でもって、ついに冬を退治した。


 小田急線に乗るため、僕は遠くに見える生田駅を目指す。遂に訪れた春を喜んでか、駅舎まで続く商店街に活気があった。まさに歩行者の天国といったように、人が道いっぱいに右往左往している。駅前のコンビニは春の新商品の垂れ幕を準備していた。漂わせる甘い匂いには、どこか覚えがある。そうだ、ディズニーランドのお土産屋さんのあの匂い。ふーん、そうか、ディズニーでしか嗅げないと思っていたあのワクワクする匂いなんて、簡単に作れてしまうんだ。少しがっかりした。

 町の小さなお花屋さんの店主のおじさんが、雨に濡れないように屋内へ逃していた花と看板をせっせと外に出している。看板には「現金しか使えないお店でほんとうにすみません。」とチョークで書かれている。自虐ネタなのか、ガチなのか、ちょうどわからないラインだ。もしもガチの、行きすぎた謙虚とネガティブなのだとしたら、きっとこの店主はややこしい。

 街の小さな整形外科が昨年潰れ、新しくできたのは女性のバリスタが切り盛りするコーヒースタンド。老人の男性ファンが多い。コーヒーを飲みに来ているというよりも、お姉さんとお喋りをしに来ている。お姉さんが少しうんざりしている様子も含めて、ここは「生田の昼キャバ」だ。実際コーヒーはとても美味しいのに、マシンガントークお爺さんを押し除けてまで買う気にはなれない。

 駅舎の向かいのビルは、いま空きテナントになっている。2年くらい前まで「スターの昼寝」という高級食パン屋さんが入っていたが、あっという間に潰れてしまった。立地はいいはずなのに。やはり奇を衒った外装と紙袋は生田にはマッチしなかったらしい。



 エスカレーターに設置されているスピーカーからは、いつも同じアナウンスが流れている。
『エスカレーターでのタバコはご遠慮ください。』
いや、本当にそれでいいのか?もう今の時代誰もエスカレーターでタバコなんか吸わないよ。「立ち止まってご利用ください。」とか「盗撮は犯罪です。」とか、他に言わなきゃいけないことが絶対にある。ああ、一つだけ注意喚起のアナウンスの内容を選べるとき、禁煙を訴えなければいけないのが、我らが生田駅なのだ。

 そういえば何年か前、朝の街頭演説で立候補者が、「生田駅は首都圏で最も不審者通報が多い駅なんです!」と言っていた。それを生田の朝の正常な人に言ってどうするんだよ、と思ったことを思い出す。
 改札までのエスカレータをのぼった先には、今日も理系の明大生が多く目に入った。ここにいる同年代のほとんどが、僕と全く頭の作りが違うと思うと面白い。全員「複素数」を扱える。今ここに、複素数平面の問題を解かないと殺すタイプの愉快犯が現れたら、僕だけ死ぬ。逆に、「この電車にどなたか漢文の書き下しをしてくださる方はいらっしゃいませんか!」と言われた時には、ちゃんと責任感を持って手を上げよう、と決意した。

 愉快犯で思い出したけれど、もしも松丸亮吾がデスゲームの主催者になってお得意の謎解きを出題した場合、もちろん誰も解けない。松丸亮吾は仕方なく問題の答えを見せて解説をするけど、誰もしっくりこなくて、結果犯罪のテンポが悪くなる。

 この大好きなジャンルの妄想に、僕はニヤニヤしながら、改札にパスモをかざす。

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