「余生」は「余計」 外山滋比古著「お金の整理学」

ほぼすべての人が、お金が好きだと思う。しかし、お金の多寡は明確に数字になって現れ、マウント材料になることも多々あるためか、謙遜を美徳とする我が国では、お金の話を避ける傾向にある。それが高じて、いつからかお金の話をするのは浅ましい、みっともない、と嫌われるようになり、関心を持たないようにしようとして、思考停止状態になっていないだろうか。

ちょっと前に金融庁の試算に端を発した老後2,000万円問題があった。あまりにキャッチーなフレーズであったためか、「そんなに貯められない!」という不満・批判が相次ぎ、財務相がレポートを受け取らないという事態になった。しかし、本来の目的はあの試算をたたき台として、それぞれが自分の老後、財産について考えてください、ということだったはず。2,000万円国に納めろと言われているのではないし、ざっと目を通した印象では、見るべきところもたくさんあるレポートで、とても勿体ない使われ方をしたと思う。余談だが、わが国では、金持ち一族が財務相のようなお金を司るポストを務めると、謂れのない妬み嫉みから、聞く耳を持たれにくくなるように感じる。一般家庭出身で、叩き上げで苦労してきた人の方が適任かもしれない。

また、株価が上がった時もそうだ。巡り巡って年金にも跳ね返ってくることであり、喜ぶべきことなのに、金持ちばかり、外国人投資家ばかり得している、という意見を見た。自分はリスクを取らず、不労所得を毛嫌いして
儲かった人を反射的に叩くのはちょっと合理的ではない。

さて、本書では「知の巨人」、故外山滋比古先生が主に定年後を見据えたお金に対する考え方を述べている。今は定年退職がゴールであり、その後の人生は余生であるという考え方が主流だと思われるが、70歳までしか生きられない時代ならともかく、100歳まで生きる方もたくさんいるこのご時世、65歳で定年を迎えてもまだ人生の1/3が残っている。これを余生とし、国に頼るのはあまりに寂しく、人任せではないか、というのが本書のテーマと理解した。起業でも投資でもなんでもいいが、楽しみながら自分だけでも食べていける収入源を持ち続けること。それこそが少子高齢化が進み、社会保障費が際限なく膨らみ続けているわが国が、破綻せずに存続できる唯一の方法であると思われる。そうして生きがいを見つけられれば、きっと認知症なども減ってくる。

ここで重要なのは、楽しみながら自分だけでも食べていけるということ。上場企業に勤めていた方は特に、成長を止めることは許されないという思考を刷り込まれている。しかし、老後の生活は、社員や株主など、多くのステークホルダーがいなくなるので、成長<<<安定、ローリスク、楽しみ、である。背伸び禁物。これを再確認できるだけでも、本書の価値は大きい。

「思考の整理学」に強い影響を受け、私の心の師となった故外山先生。本書の出版年は2018年。本書を地で行くような生涯現役を貫いた生き様には強く尊敬させられる。私はまだ定年退職までに時間があるが、定年後の人生は「余生」などではないし、そんなものは「余計」だと思う。たまには第2、第3の人生に思いを馳せ、来たるべきタイミングに向け準備したい。

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