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私、僧侶。29歳。何から解放されたいかって、そりゃあ◯◯から解放されたいです。


自信を持って自己紹介できたことがありません。


私はこういう人です!(ビシッ)
こういうことをしています!(バシッ)
今後はこれを目指しています!(ジャーン)


こんな立派に自己を紹介できたことはなく、私の自己紹介にはいつも(一応…)という枕詞が必要でした。


(一応…)こういう人です…
(一応…)こういうことしてたり…
(一応…)今後はこれを目指したいなーとか…


そこにあるのは、自信のなさ。
自分の僧侶という肩書きへのうしろめたさでした。

寺に生まれ、当然のように目の前に差し出された選択肢を、まぁそういう流れだから…とあまり考えることもなく手にとってきただけの私にとって、「すごいね!」という言葉をかけてもらうと、もう申し訳なさといたたまれなさで心はいっぱいいっぱい。どんどん語尾は小さく萎んでいきます。

でも。

今日は少しだけ大きな声(太い文字)で言ってみます。


私、僧侶です。ライターもしています。
広島県出身。29歳。女性。髪の毛の長さはセミロングです。


そう、僧侶なんです。

よく聞かれる質問は、

「髪伸ばしてていいんですか?」
「結婚できるんですか?」
「正座、足痺れないんですか?」
「瀬戸内寂聴?」

髪伸ばせます。(伸ばさない宗派もあります)
結婚できます。(私個人が結婚したいかどうかは別として)
足痺れます。(痺れを取るコツとタイミングを知っているだけ。あと根性)
違います。(眼科へGO)


そう言うと、よく「面白いやん!」「ライターとしてめっちゃ良い武器持ってるね!!」と返していただくことが多いです。

「そうですかね?えへへへ」とニヤニヤ笑いながら誤魔化すのですが、実はいつもちょっと困ってしまいます。なぜなら、私、めっちゃ普通の29歳だ(と思ってる)から。化粧もするし、お洒落もするし、Yahoo!知恵袋もめっちゃ読む。なにもみんなと違わない…

でも、「私、はじめて僧侶の人に会いました!」なんてキラキラした目をして言ってもらったりすると、そのひとのファースト僧侶として期待に応える言動を心がけなければ!面白僧侶ネタ披露せねば!……と求められてもいないのに妙な責任感を抱きがち。

でも、結局たいしたことは言えなくて、しどろもどろになって……あああああぁぁごめんなさいいいぃぃ!!!!と後から自己嫌悪の嵐。数日間は吹き荒れます。


そんな風に自分の「僧侶」という肩書きを過剰な自意識で持て余していたのですが、ふとGoogleの検索窓に「僧侶」と打ち込んでみたらどんな予測変換ワードが出てくるんだろうと試してみたことがあります。


きっとこんな言葉が並ぶのではないかと思いながら。

僧侶 人生
僧侶 説法
僧侶 相談


今思えばこれが私のイメージしていた、僧侶に求められる役割、在り方だったんだろうと思います。
しかしディスプレイに並んだのは、こんな言葉でした。

僧侶 英語
僧侶 アニメ
僧侶 ドラクエ


え?

え?そうなの?


みんなもしかして、リアル僧侶に興味無い?
っていうかドラクエ?!

(ちなみに「僧侶 アニメ」で検索するとエロアニメがヒットした)


私が思うほどみんな僧侶に固定的なイメージはないし、なんなら興味もなさそうだということがわかりました。

そんなわけで、私を「The 僧侶」というありもしない枠組みにはめ込もうとしていたのは、実は世間でも周りの人でも何でもなく私自身であったのだということがあっけなさのなかで腹に落ちた瞬間でした。

いや〜、見事な空回り!

もちろん、「こうあるべき僧侶像」というのは存在すると思います。一般的にもいくらかは期待されるイメージがあるだろうし、同業者である僧侶たちの中においてはもっと強烈に「こうあるべき!」というものが語られたりもします。僧侶に限らず、どこにでもこういうことってありますよね。

でも、そこから少しだけ距離を置いて生きていくことだって本当はできるし、私はこうじゃなきゃ、と身動きがとれなくなるまで自分を縛らなくてもいい。


私たちが私たち自身の考えに囚われて苦しんでしまう原因のことを仏教では「煩悩」っていいます。あれがほしい、これがほしいという欲のことを煩悩って捉えられている表現をよく見るけど、欲というよりも執着っていう言葉の方が近いと思います。


私の場合、こんな自分でありたい、人からこう見られたいという欲、本来は前進していくための原動力でもあるはずのそれが、執着と結びついてしまった結果、思い通りにいかない現実に苦しくなってしまっていたわけ。

少し踏み込んだ言い方をすると、私を苦しめているものの正体は何なんだ!?ということと、私の本当の姿ってどんなもの!?という問いは同じ問いなんです。自分を縛るのは自分のなかにあるものです。

そういうことに思いを巡らせるのが、仏教。

でも、自分とか自我っていうのは本当にやっかいで、いくら解放されたくってもなかなか難しいもんです。きっと私は一度は腹落ちして納得したことでも、目の前の出来事に精一杯になるとすぐそんなことも忘れて、たちまちまたモゴモゴと自信のない自己紹介をしてしまうのでしょう。でも、それでもいいんだと思います。その度にまた思い出せば。

それでいいんだとおもいます。

私、僧侶。29歳、女。何から解放されたいかって、そりゃあ「自分」から解放されたいです。とてもできそうにはないけどね。


全然自己紹介になった気はしませんがこのへんで。


(ちなみに、いろんな僧侶の紹介記事がまとめられているコンテンツがありますよ!アメリカンドリーム僧侶とか性教育僧侶とか消しゴムハンコ僧侶とか!よかったら覗いてみてね!)
http://tarikihongwan.net/category/unique


Photo by Kenta Nakazato( Twitter / Instagram )


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尾道在住のライター / 言葉を紡ぎながら、自分を覗き込んでいます。 ポートフォリオは、マガジン【これまでの仕事とこれからの仕事】をご覧ください。 今年は、小さな冊子をつくりたい。

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コメント (10)
仏教の総本山が鎮座する京都にはぼんさん専用のラウンジがあったり、ピンサロやソープに行く坊さんは珍しくありませんので、特に貴女に違和感を持ちません。お釈迦様は清らかな生活をしながら執着を滅していくことを勧めましたが、特にその具体的方法には固執されませんでした。もし現代にお釈迦様がおられたらどうなされるのか?私はそこに興味があります。
ギターに執着してる、とすこ~し前に書いたようですが、
現在、必要なギターのみ持っている、それ以上でもそれ以下でもない、
たまに機材を買うのは趣味!と割り切っています。
まあ、それでも一本ギターが増えたのはご愛敬・・・

どれも大事に弾いています。学生の頃の夢がかなっています。
まあ、わるくないなぁと思いながら、たまにジャムる友達に
チョイス独特だよねって毒舌で褒められてます(;^_^A
みんなと一緒に、人生を歩いていくのが宗教家。かけ離れている必要はないし、かけ離れていたら、近づき難い。逆にその世界で完結するやり方に添うことは、楽だと思います。はっきりしていないことに耐えられるからこそ、宗教家だと思います。明らかに人と違う姿をし、違うことをするのは、楽ですから。
面白かったです。
昨日、私は何を手放したいのだろうと考えている最中に、ふと自分を手放したいんだっていう思いが出てきて、少しだけリンクしました(^^)
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