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3人の「本屋の番人」(memo_20)

学生時代、8年間、京都に住んでいた。家の近所にあった本屋は深夜3時まで開いていて、夜中にふらっと本屋に入ることのできる生活を私はとても気に入っていた。

住んでいたのは千本今出川というところ。京都駅からはバスで30分くらいだろうか。千本通と今出川通りの交差点を少し上がって(北上して)、車が1台通れるくらいの路地を西に、そのあともだんだんと細くなっていく路地を何度か曲がると私の住んでいたマンションがある。

西陣地区とも呼ばれる地域で、着物の西陣織の職人さんたちが多く住んでいた。マンションの契約書には、「機織りの音が響きますがご了承ください」と書き添えてあって、さすが京都だなと思ったのをよく覚えている。

どれだけ機織りの音が響くのだろう…とおそるおそる住み始めたものの、結局、近所のおばあさんたちが毎朝大声でケンカする声や(即興のオペレッタが始まったのかと思うほど、すんごかった)、托鉢の雲水たちの響かせる声の方が頻繁に私を目覚めさせた。今となれば、それはそれで「京都で生活している」という感じだったのかもしれない。

近所にはお茶屋さんもいくつかあって(花街のお茶屋さんではなく、本当にお茶を売っているお店の方)、時々店先でほうじ茶を煎っているときなどは辺りが芳ばしい香りで満ちていた。歩いて10分ほどのところには北野天満宮があり、妹が中学の修学旅行で北野天満宮を訪れたときにはちらっと様子を見に行ったりした。

その本屋は、千本通の東側にあった。今はもう違うお店になってしまって、たぶん深夜営業もしていないと思う。なんてことない本屋で、京都らしさといえば、間口のわりに奥行きの広い店内の造りくらいのものだった。アルバイトの学生と、少し気むずかしげなおじさん店員が3人いて、おじさんたちは代わるがわる店頭に立っていた。

気むずかしげだけど、すごく本屋とエプロンが似合っていて、老眼鏡越しに作業している佇まいは、なんだか「番人」という感じがした。そう、良い本屋には「番人」がいると思う。それは万引きや、秩序を乱す人を取り締まるという意味も無くはないけど、どちらかというとその本屋が持つ空気そのものを守っている番人というイメージ。

本はたくさんあるのに、なにもない本屋って、ある。規模の大きい小さいは関係なく、小さいスペースでも次々と欲しくなる本や、読みたかった本に出会える本屋もあれば、日本中の本が集まっているのかと思うほどたくさん本があるのに、ほとんど買う気になれなくて申し訳程度に1冊の文庫本だけを買って帰るような本屋もある。

キュレーションの問題もあるんだろう。優れた書店員さんの作る棚は、興味のなかったはずの分野まで輝いてみえる。そういう本屋で本を買ったあとは、足元が3センチくらい浮かんでいるんじゃないかってくらいのウキウキをもらって帰ることが多い。最近は、小さくても「番人」の意志がはっきりとした本屋というのが増えている気がして、私はとても嬉しいです。

でも、千本今出川の本屋はそういうのとも違った。はっきりとした意志を感じられるキュレーションは無く、一見、順当なラインナップを揃えたよくある町の本屋さんだった。それでも私はあの本屋でたくさんの本を買った。店に入れば、だいたい何かを買う気になったのだ。あそこにあった空気は何だったのだろう。

千本今出川という町が醸す雰囲気かもしれない、深夜の本屋というシチュエーションかもしれない、目立たないけれど誠実な選書のおかげだったのかもしれない…。今はもう再訪は叶わないけれど、3人の「番人」が守るあの本屋のこと、あそこで過ごした時間は、なぜか時々思い出す。夜のなかに浮かぶ本屋の灯りは、頼りない世界に設けられた安全地帯のようにも見えた。

3人の番人たちは、今どこで何をしているんだろうか。また、どこか別の本屋で、今夜も気むずかしげに、何かを守っているのかもしれない。


Photo by Drew Coffman on Unsplash




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