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連続短編(リライト)『時空整備士が天国に収容された二十四時間の記録③』


7.〈消灯〉 実験開始六時間半経過

 食後の食器や空き缶類の物性解除をすると、それらは跡形もなく消えた。片付けの手間もない。
 インスタンスの物性解除は、しようと思えば〈OPENER〉は誰でもできるが、それなりのパラディグニティ(存在量/存在料)を必要とする。〈トゥア・ロー〉の用いる通貨のようなもので、我々の“給与”もすなわちパラディグニティの支給を指す。

 物性解除は己のパラディグニティから生成した幻質を利用する消費活動だが、かれらにしてみれば“魔法”のように見えるかもしれない。これが無制限に使えるというのは有難い。

 鵯さんは覚束ない足取りで洗面台に行き歯磨きをしている。ちょっと飲みすぎたのだろうか。どれだけ飲んだか自分も憶えていない。

 うとうとしている鵯さんを労るべく、ベッドメイキングをする。といっても、既にすぐ眠れる状態にはなっているので、ベッドサイドに水や頓服薬を用意したりするくらいだ。
 まるでホテルのように、ベッドの上には寝巻きがきちんと畳まれて二人分置かれている。
 生地が上質なのでどこのブランドのものかタグを確認すると、私の行きつけの〈エグモント〉の新作だった。しばらくルームウェアを新調していなかったのでこれは知らなかった。今度買おう。

「さて」
「寝ますか」
「寝る。俺はもう眠くてたまらん」
「さっきから目ぇ半分閉じてますもんね。大丈夫ですよ、半日寝たってまだ時間余るくらいです」

 今夜は睡眠薬は必要なさそうだ。心底、安堵する。仕事から強制的に切り離され、リラクゼーションに特化した空間のおかげだろう。

 鵯さんは時々、というより、結構な頻度で「あれ」を服用している。しかも、耐性も依存性も強いものだ。すぐに効かなくなり、あれがないと苛ついたり落ち着かなくなって、より用量も増えてゆく。
 缶コーヒーでも飲むかのように薬瓶から直接ざらざらと大量の錠剤を呑み込もうとする鵯さんを、何度慌てて止めたかわからない。

 “好きな仕事は仕事”。
 ワーカーズ・ハイだと課内でも称されるかれは、残業に文句を言いつつも、仕事をしていること自体が快感になってしまう面があるらしい。最長で一週間、眠らなかったこともあった。あの時のことはあまり思い出したくない。あんな鵯さんはもう見たくない。

 このことから、鵯さんの睡眠中には、睡眠薬の副作用による固着人体の呼吸抑制や不整脈が引き金となる、重篤な駆動不全に最大の注意を要する。最悪、固着人体が再起不能、つまり死亡する可能性がある。

 固着人体が再起不能になると、その信号が我々〈OPENER〉の本部や福祉課に通達される。すぐに福祉課の連中がやってきて個体を回収し、新たな身体を着装させ、駆動源たるマインド・モビリティやパラレル・レジリエンスを供給し、再び時空の野に放つというわけだ。
 通常はそれでなんの問題もない。〈本体〉である我々は死んでいないし、記憶も自我同一性も継続して保たれる。

 しかし、固着人体と〈本体〉を離別させる核(コア)が損傷・機能不全状態にある鵯さんの場合、「再起不能状態で身体性から〈本体〉を脱却させることは不可能に近い」と、医務課からさんざん換体勧告を受けている。
 それはつまり──鵯さんの〈本体〉は生きたまま、死んだ身体のなかに閉じ込められてしまうということだ。

 そのような状態の〈OPENER〉はどう処理されるのか? 前例は稀少なため、そのまま廃棄されるとも、次元調律技術的にオペレーション可能とも、さまざまな憶測が飛び交っている。少なくとも、そうなったら“鵯さん”にはもう会えない。

 よって、睡眠薬を服薬したかれの傍には、常に誰かが居て見守る必要がある。
 ”寝ている鵯覚を放置しない”。
 これは、我が整備課の社員全員の共通認識として徹底されている。
 鵯さんも、それはさすがに自覚しているので、可能な限り社寮の自室ではなく、職場の休憩スペースや仮眠室など誰かの目が届く場所で眠っている。
 基本的には行動を共にしている私の役目だが、別行動中や不測の事態の際には、課内の誰かが、かれの様子観察をしてくれる。
 時に「介護の領域だな」とか「会社に住んでいる」なんて本人は笑って言うが、ぜんぜん笑えない。笑えないんだよ。

 だから、鵯さんは課内の皆への感謝の証として、分け隔てなく誰に対しても協力的だ。職務の士気や交流円滑化を向上させる声かけを始め、その経験や実力をもって他の〈OPENER〉の担当案件や懸案にアドバイスをしたり、チームメンバーの不調などにもすぐ気付いて休養を勧めたり栄養剤や嗜好品の差し入れをしている。
 そうしているうちに、かれは“整備課のエース”と呼ばれるようになっていた。すこし皮肉なことだと、私は思う。

「灯り消しますよ」
「ああ」

 睡眠薬は飲んでいなくても、同上の理由から、大量に飲酒しているかれの傍らに居る必要があるので、いつものように鵯さんの就寝を確認してから、私も一旦眠ることにする。


8.〈夢現〉 実験開始七時間経過

 静寂が訪れた。
 すぐに寝入るかと思われた鵯さんは、意外にもまだ意識があるのか、ぽつりと言う。

「人間の文化様式でもさ、時計はねえよな……この部屋」
「……時計、怖くないすか?」
「べつに。触りさえしなけりゃ、大丈夫だろ」

 今さらのような話題だ。
 我々の生きる時流は〈本体〉に刻まれている。
 むろん、〈トゥア・ロー〉によって〈青い星〉の自転に基づき定義された、時刻系の「世界時」や、そもそも原子なる物性の周波数を利用した原子時計を標準とした「原子時」とは根幹から異なる。
 時空間を航る、それはつまり〈光〉を超越することだ。

 我々は、〈パラレル・メソッド〉により構築された〈仮想時間帯・幻子時〉のなかで、幻子の振動子を基準として算出された独自の“1秒”を積み重ねて、生きている。
 〈トゥア・ロー〉の言う「時間」とは別のタイムゾーンだ。我々は時計などなくとも〈本体〉で「幻子時間」を把握している。

 そのため、パラレル領域である〈トゥア・ロー〉の時計を代表とする「時の具象」に触れると、強烈な次元間干渉摩擦が発する。これも駆動不全の原因のひとつとなりうる。
 なので、〈トゥア・ロー〉の時流に赴く際は、時計をはじめとした「時の具象」に触れないよう細心の注意を払う。
 〈OPENER〉の養成訓練所のオリエンテーションで教わるような、初歩的なことだ。

「ストレスになるもんは、全部、排除したって感じだよな」
「まあ、快適ですよね」
「ああ。今なら……」

 鵯さんが大きく息を吸い込むのがわかった。そして、吐息とともに掠れた声が、ゆっくりと紡がれる。

「今なら、おまえとゆっくり、話ができるんじゃないかと、思ったんだ。悩み事とか……。でも、……結局、どうでもいい話ばかりして、いつもどおりになっちまって、悪いな。ちょっともう……ねむくて、話せそうにない。起きたら、また……」

 成程、これが言いたかったのか。
 暗闇で目を閉じているであろう相手に見えないのは分かっているが、私は鵯さんに微笑みかける。まわりくどくて不器用な先輩なりの気遣いが素直に嬉しい。

「べつに気にしませんよ。悩み事とかもないですし、気持ちだけで有難いです。こんなのただリラックスして過ごせばいいんです」
「……、そうか」
「はい。さあもう寝ましょう。俺が隣に居ますから、あなたの目覚まし時計になってあげますよ」
「気持ち悪い。……じゃあなおやすみ。おまえも寝とけよ」
「気持ち悪いってなんですか。……おやすみなさい」

 そしてすぐに、鵯さんは、死んだように眠りに就いた。


9.〈浮上〉 実験開始十二時間経過

 いつもどおり、中途覚醒する。鵯さんの状態異常が無いかを確認するために身についた習慣だ。平静な呼吸音。体温、脈拍正常。固着人体に問題はない。

 鵯さんのことばかり考えていることには気付いている。育ての親にして相棒なのだから、かれの存在はもうほとんど自分の一部と化している。当たり前だ。しかしそれゆえに、精神的な距離感というものは必要だ。あくまで我々は他者なのだから。
 なにか他ごとに意識を向けるため、私用の端末でリズムゲームをする。軽快なテクノ・ミュージック。

──……君影。

 精神感応による小さな呼びかけに、私はちらりと鵯さんを横目で確認する。

──君影ぇ!
──なんすか今いいところなんですよ!
──ゲームすんな! 寝ろ!

 元々ショートスリーパーである鵯さんが一度目を醒ます頃合いだろうとは思っていた。かれにしては長く眠ったほうだ。自力で意識の浮上ができるなら、駆動不全の心配はない。私は敢えておちゃらけて軽薄な“君影成実”を意識する。

──えー? 好きなことやらせてくださいよ。分かりました、音消しますから、先輩は寝てください、ね?
──嫌だ。物音とか灯りが気になる。
──はいはい、寝ます。ほら、布団被りました。これで良いですか?
──うん。じゃあまたおやすみ。

 いつもならばこのまま起床して即仕事というところだが、かれもようやく完全に休暇モードになれたらしい。

「……せんぱい?」

 小さく声をかけてみた。反応はない。早い、もう眠っている。暗順応した視界のなかで、鵯覚の輪郭がうっすら視認できる。
 本当は私にも、あなたに言いたくても言えないことはある。伝えていいのかすら分からない、存在の根源に関わること。迷い、疑心、不安、空虚。でも、そんなものをあなたにぶつけて何になるだろう。心配も迷惑もかけたくない。
 私はこのひとに守られた分だけ、否、それ以上に、守りたい。救われた分だけ救いたい。できるものなら。

「お疲れ様です、鵯先輩」

 だが、なんと不甲斐のない相棒だろうか。意識のないかれに対してさえ、言えるのはこれだけだった。

(続)


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時空土木業を生業とする男性身体・本来性別無し人間模倣生命体による、テクノ・ファンタジーのバディもの。2017年の鵯覚と君影成実のダイアログ(https://privatter.net/p/2282338)に、地の文と幾つかのエピソードを加筆して連続短編としたものです。一部設定の変更等があります。初めて読まれる方にもなんとなく設定や人間関係が分かりやすいように書いたつもりです。

 ↓前回・次回はこちら。


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