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連続短編(リライト)『時空整備士が天国に収容された二十四時間の記録②』



4.〈乾杯〉 実験開始二時間経過

 風呂上がりに一杯やりたい、という〈模倣感情〉も備わっている我々にとって、キッチンの自動調理機能と食品冷蔵庫の存在は有難い。

 我々の職務は過酷だが、全員が完全な外食やテイクアウト、デリバリー派というわけでもない。たしかに、現場の休憩時間に同じ定食や弁当を食べたり、仕事上がりに飲みに行ったりと、飲食を共にする機会は多い。
 しかし、現に私は自炊もする。余裕の有無と気分によるが、しなくていいならそのほうが楽ではある。ただ個人的な美意識にしたがい、栄養面に気を遣っているだけだ。
 一方、鵯さんは私生活において、およそ食事とは呼べないエネルギー補給ブロックやサプリメント飲料に頼りきりだ。固着人体の健康維持とメンテナンスを疎かにしがちだが、料理はできる。私よりも上手くこなせるはずだ。
 私に調理を教えてくれたのはかれだから。最低限、自分で自分の面倒をみるための生活営為はすべて教わった。あの頃の鵯さんは、今ほどワーカホリックではなかったように記憶している。

 私がスキンケアをしたりヘアオイルをどれにしようか選んでいる間に、鵯さんが冷蔵庫を物色する。かれはタオルを頭に掛けてはいるが、まだ髪の先から雫が滴っていた。
 何やら物音がして再び見てみると、鵯さんが棚からシェイカーやアイスペール、マドラーなどを発見したらしく、それらをおもちゃ箱をひっくり返す子どものように取り出して並べていた。冷蔵庫から取り出された炭酸水やソフトドリンク系の飲料も複数見受けられる。カクテルも自由に作れるということだ。

「なんでもあるな。特に酒の品揃えが完全に俺たちの好みを把握している。かなり不気味だが……君影、『ぴよぴよ(ビール)』と『鳥と唄えば(焼酎)』とどっちがいい。ワインとかブランデーとか他にもあるけど」
「ぴよぴよー」
「はいよ。つまみのラインナップも居酒屋やバー並みだ。これ後で経費で落ちるんだろうな?」
「考えるの止しましょうよ。それより乾杯!」

 丸いローテーブルに好きなものを好きなだけ並べて、私たちは同時に杯を掲げた。
 肌触りの良い敷き物の下はフローリングなので、我々はクッション類を腰にあてる。足腰は我々時空土木業務従事者の命である。
 ソファもあったが、一台のみだったので隣り合って座ることはせず、鵯さんはソファの脚部分を背凭れ代わりにしている。ソファの正反対、つまり私の側にはベッドがあって、同じく私も、それに凭れかかっている。

「あーうめー。こういうの何ていうんでしたっけ。“天国みたいですね”?」
「天国ってのは人間の持ち物らしいぞ」

 鵯覚は〈トゥア・ロー〉を「人間」と呼ぶ。かれらが自称するままに、そう呼ぶ。我々の原型となった種族の名を。そこに思うところは多少あったが、酒が回ってくると、むつかしいことはどうでもよくなる。どうでもよくないですか。あいつらのことなんて。そんな言葉が口を衝いて出そうになる。

 鵯さんがバイブレーションを発した端末を取り出して短く眺め、再び仕舞った。

「もうじき〈ほたる〉のほしくずラーメン届くってよ。出前なら外部と通信もできるらしい」
「え、いつのまに」
「さっき注文しといた。いつもので良かったか?」
「マジっすか先輩……。もう今なら俺、何でもしますよ」
「じゃあ後で肩叩き頼む」
「了解です。実を言うと俺も腰揉んでほしいんですよねー」
「大丈夫かよ。土方が腰悪くしたら終わりだぞ。生体パーツ換えるとかは?」
「そこまでじゃないです、だいじょぶっすよ。先輩こそ、俺あなたに出逢ってから一度もパーツ交換したって話とか聞いたことないんですけど……」

 鵯覚はまたも苦笑いと曖昧な相槌で、その話題に私を深入りさせなかった。かれが単にものぐさで投げやりなのか、身体に興味が無いのか、よほど現在の固着人体に思い入れがあるのかは、知らない。


5.〈微香〉 実験開始四時間経過

 入浴後、スカルプマッサージをしながら揉み込んでいたヘアオイルの、控えめな金木犀の香りがまだ少し自分の鼻先に漂う。
 我々は広い丸テーブルを対極に挟んで、しかもテーブルからも多少離れた場所に座っている。この香りは、濃度や距離感を鑑みるにおそらく鵯さんの飲食の妨げにはなるまいと判断した。行きつけの屋台〈ほたる〉のほしくずラーメンや、餃子や串焼きなどの匂いのほうがよほど強い。
 金木犀の香りは、鵯さんが良い香りだと言っていた記憶があるので、手に取ることが多い。

 思い出した。昔、外出先でたまたま偶然、鵯さんと同じ時下質メトロで鉢合わせたことがある。その日に限って、私はなんでか濃度の高い硬時質パルファムを強めに吹きかけてしまっていた。その自覚はあった。できるだけ空いている車両に乗った。でもまさか鵯さんに会うとは思っていなかった。
 私に気付いて接近したかれが一瞬だけ、わずかに表情を歪ませたのを見た時から、オイルやパフューム・ローションの類は鵯さんの好む香りを選び、付けすぎにも常に気をつけるようになった。

 〈OPENER〉とは、ほぼ毎日、私生活でも職務上のパートナーと共に過ごすことが多いものだ(仕事とプライベートの境界が曖昧になっているともいう。あまり好ましい状態とは言えない)。したがって、相手の好みを把握し、我が身をそれに準えることは職務上の相棒として当然のことだ。

 〈OPENER〉全般のことを考えていたら、ふと疑問が思い浮かんだ。

「……この〈完全に自由な拘束時間〉、涙川さんたちにもあるんですかね?」
「どうかな。涙川課長も含めて、うちの課全員が抜き打ちでこういう“休暇”を与えられてる可能性はある。あるいは業務成績が関係するかもな……ただ必要なインスタンスの構築幻素も馬鹿にならんだろうから、この“部屋”のデータをクリーンアップして流用って感じで、同じ条件下だろう」
「でしょうね。みんなどうやって過ごすんだろうなあ」
「基本俺らと変わらないんじゃないか。なにしろ〈自己保全に勤めよ〉だしな」

 雑談はだらだらと続き、思うさま飲んで食べた我々は、しばらくクラッシックやアンビエント・ミュージックを聴くともなく流していた。端末のネットワークは使えないので、猥雑と喧騒に満ちた情報の波に呑まれることもない。

 鵯さんは、仕事の何かしらのタスクを思い出したらしく、さっとデバイスを取り出すが、もちろん自社のネットワークにもアクセスできないため、放心して脱力する、というのを何度も繰り返している。仕事をするのは現在禁止だ。
 室内天井の換気孔がゆっくりと空気を入れ替えてゆく。金木犀の香りもゆっくりと薄れていく。


6.〈慰労〉 実験開始六時間経過

 室内にはマッサージ用のカプセル・コクーンもあった。もうすべて設備に任せて、全身全霊を回復させろということだろう。もちろん、単なるお上の厚意による慰安とは思わない。最初に鵯さんが言ったとおり、監視されている以上、これは何かしらの実験なのだろう。

 コクーンに入るのはひとまずさておき、私は約束の肩叩きをする。互いの身体動作チェックも兼ねている。最新の身体デバイススキャナでも見つけられないバグ、付き合いの長い相棒でなければ気付けない、些細な身体と〈本体〉との歪みがあったりするものだ。

「鵯先輩。核(コア)付近は触らないほうがいいです?」
「うーん……いや、その辺は軽く違和感ないか探るだけ探ってみて」

 はい、と返事をする。核は〈OPENER〉の肩甲骨上部付近に存在する。本体保護、身体脱着のための精密機器および器官だ。鵯さんの核はもうずいぶん前から不調で、かれが駆動不全気味なのは核に問題があるのではないかと考えられる。
 核付近に以前より重大な機能低下は認められない、と伝えた。……もっとも、落ちるところまで低下しきっているとも言えるが。そんなことは口にしない。

「あ、君影。もうちょい下だ、そうそこ。もっと力いっぱい叩いていい」
「はあい。凝ってますねえ」
「そうだろ。なかなかしつこいんだ」

 パーツを換えれば良いのに。という思慮のない発言もしない。もしかしたら出来ないのかもしれない。この私にも言えない、何か特別な理由があって。だとしたら、さっきの話題を濁されたのも当然だろう。
 鵯さんは、とりたてて秘密主義ではない。訊かれれば答える。仕事も性格も誠実なひとだ。嘘や隠し事をするなら必ず相応の理由がある。交代して身体動作チェックをしてもらいながら、私はその理由を考え続ける。しかし、答えは出ない。ぜんぜん分からない。

「おまえもなんか腰歪んでるな。〈中〉、けっこうきつくないか?」
「あぁー……身体調律の不和は多少ありますね」
「良いチューナー(多次元調律師)紹介してやろうか、アイデンティファイで保険が効くとこ」
「くださいください、そういう情報めちゃくちゃ有難いです」

 私でさえ〈本体〉と身体の調律が歪んで、ある程度の不快さや不便を感じているということは、鵯さんの負担や苦痛はいったい如何程なのだろう。しかし、かれの一番深いところにある本心に、私は踏み込めない。

(続)

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時空土木業を生業とする男性身体・本来性別無し人間模倣生命体による、テクノ・ファンタジーのバディもの。2017年の鵯覚と君影成実のダイアログ(https://privatter.net/p/2282338)に、地の文と幾つかのエピソードを加筆して連続短編としたものです。一部設定の変更等があります。初めて読まれる方にもなんとなく設定や人間関係が分かりやすいように書いたつもりです。

 ↓次回はこちら。


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