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わたしは、わたしを置き去りにしない

いつからか、"シャカイ"の中で比較的うまく息ができるようになった。

「あかるい人だよね」「話しやすいよ」って、言ってもらうようになった。

でもそうなるまでの長い間は、ずっと海の底のほうに沈んでいるか、もしくはおぼれているか。いずれにしても、比較的ですらなく"シャカイ"の中で息ができない人間だった。

さかのぼると中高生くらいから、まわりの人たちとうまく関係を築けなくなったようにおもう。それは、誰と誰が仲が悪くなったとか、誰のほうが立場が上だとか、従わないといじめられるとか、なんだか急に人間関係が複雑で難しくなったと感じたから。

自分にとって相手がスキならスキ、キライならキライ、それでいいじゃんと思っていた。

だからといって、"シャカイ"に新しく生まれたルールに従わないという選択肢があることすら知らなかったから、息ができないまま、日々におぼれながら過ごしていた。

そうやっているうちに、誰かの顔色を伺うことをおぼえてしまった。

わたしにとってそれは、誰かのために自分の思いを、言葉を、感情を、ひとつずつ殺していくことだった。

でも、押し殺したつもりでも、内にある自分の感情は消えてくれない。
自分の感情の波に呑み込まれて、コントロールできなくなって。
コントロールできない自分がイヤになって、感情の箱に鍵をかけて。
鍵をかけたら、わたしは次第に自分の正体がわからなくなった。

気づいたら、なんのよろこびも、悲しみも、痛みも感じないわたしができあがっていた。
それはすごく静かで、暗い、深い海の底にひとりでいるような感覚だった。


それでもやっぱり、ひとりはさみしかったから。
ネットの海で泳ぐことにしたらうまくいった。

ネットの海でなら、テキストでなら、うまく話せるのに。
現実世界では、ぜんぜん泳げない。人とうまく話せない。

ああやっぱり、そんなわたしのことが、わたしはすごくキライだ。

そんな風に思いながら生きながらえてきたわたしを、わたしは知っている。


生きていくというのは、奇跡にちかい、大変なことだ。
日々、なにかに傷つけられたり、逆に傷つけたりをしながら、それでもみんな今日を生きている。

わたしたちは生き延びるために、たくさんの鎧や武器を身につけていく。

それは、たくさんの鎧や武器がなければ、そしてその装備を強化し続けなければ、とてもじゃないけど生き抜けなかったから。

昔、わたしが手に入れた「誰かの顔色を伺うこと」や「感情を押し殺すこと」、そのほかの装備たちも、その当時はそれらがなければきっと生き抜けなかったから生まれた、わたしを守る大切な装備たち。


だけど最近になって、そうやって手に入れてきた装備が足枷になって、重荷になって、思うように走れなくなっている自分に気づいた。

そこで、ずっと大事に抱えていた「誰かの顔色を伺うこと」や「感情を押し殺すこと」を、すこしずつ手放していった。

不安もあったけれど、わたしが多少ワガママに変化してもまわりの反応は変わらなかったし、その頃には、"シャカイ"にはわたし以上にワガママだけど、それが許されている人たちだってたくさんいるのだということも知っていた。

そんな風にして、わたしは今、過去に手に入れた装備のコレクションたちをどんどん手放していっている。


いざ手放してみると、今まで装備をコレクションしていた棚がスッキリしてきて、そこに新しい風が入ってくるようになってきた。

「"シャカイ"は、あなたが思っているよりも、ずっと優しいよ」
風たちがささやきながら、わたしを通り抜けていく。


たぶん、今までのわたしだったら、そんな言葉は到底信じられなかった。

でも今のわたしは、「そういわれるなら、わたしも"シャカイ"が優しいものだって信じてみたい」と思えるようにまでなった。

それは、わたしからすれば長い時間をかけて、"シャカイ"への見方が変わった瞬間だった。

"シャカイ"の中で比較的うまく息ができるようになったのは、このときからなのだとおもう。


わたしは、わたしの中に鬱屈とした自分がいることを知っている。

鬱屈とした自分がいなくなったら、それはもうわたしではないことも知っている。

どんなに"シャカイ"に溶け込めるようになっても、あのとき、"シャカイ"の中で息ができなくておぼれていた私のことを忘れないし、その頃の自分をどこかに置き去りにせず、この先もどこまでも一緒に連れていって、めでていくぞとおもう。

あのとき、"シャカイ"に圧倒されてもうダメだと感じていたあなたは今、自分の身一つで"シャカイ"を泳いでいこうとしている。

そうやって、過去も今もだきしめて進んでいこうとするわたしのことが、今わたしはすごくスキだ。

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