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実話。暴露します!完結編。大手企業の人の減らし方。誰も知らない人材紹介会社と組んだ陰のカラクリ。<転職先での屈辱と見えた光編> by転職定着マイスター川野智己

 営業幹部として中途採用された井田吾郎(41歳)は、得意先の焦げ付き(売掛金の回収不能)という失点により社内で窮地に立っていた。営業部にはもう居られない。そこで、言い渡された解雇を避ける唯一の方法として、社内の部署を巡り、「自分を、あなたの部署で使って欲しい」と同僚に頭を下げて回っているのだった。いわば、社内解雇と社内職探しである。これは、井田に意図的に焦げ付きをさせた上司からのダメ押しともいえる嫌がらせであった。そして、各事業部の幹部が、その“社内採用面接”の“面接官”となって、井田の前に立ちはだかっていた。

 6月3日の前編の記事「暴露します。大手企業の人の減らし方。誰も知らない人材紹介会社と組んだ陰のカラクリ。転職を余儀なくされた社員の行く末は。(前編)」、及び8日の中編の記事「屈辱!社内解雇と社内職探し。砂を噛むような転職先での修羅場とその乗り越え方。」に対する、完結編として、この記事を書き記している。

「あんたのような低レベルの人間がこなせる安直な仕事は無い。」
「貴方にはプライドが無いのか。そこまでして我が社に残りたいのか。」「こうはなりたくないものだ。高給取りがここまで落ちぶれるとはねえ。」

 井田は、面接開始の直前まで、社内のトイレで、“自分はこの部署に貢献できる”“慣れないながらも一生懸命取り組む”などを、何度も鏡の前で練習し反芻していた。その鏡に映ったやつれた男に向かって繰り返したその悲壮な反復練習は、これらの、大人とは思えないくらい率直すぎる反応や冷笑という、全く違う歪な形に拉(ひしゃ)げられて井田に戻ってきた。
 確かに、厚遇で入社した自分へのやっかみ(嫉妬)から、酷い言葉を受けても仕方がない、と井田は薄々感じてはいた。「ありがとうございました。」と、井田には脱力した笑顔で、すごすごと退室するしか、術(すべ)はなかった。

 「ここの部署も駄目か。」と感づいた時点で、面接の途中であっても、自分はきっと上の空になっていたのであろう。それが、ますます相手の“面接官”の苛立ちを誘ってしまったのかもしれない。高い意欲を示すために、何度も練習した口上も、その立て板に水の話しぶりが逆に反感を買ってしまったのかもしれない。心がこもっていなかったのだ。井田は、自分を責め続けた。何故ならば、「自分に問題があると思えば次、努力により解決できる」と思い込むことが出来るからだ。これも彼なりの心の安定の処世術であった。しかし、これらの自虐的な思考回路は確実に井田の心を蝕んでいった。
 
 井田は、不思議と、「こんな会社辞めてやる!」とケツをまくろうとは思い至らなかった。解雇という絶体絶命なドス(小刀)を突き付けられ、混乱し動転した自分に、社内職探しという最後の機会を与えてくれたと、むしろ会社に感謝していたのである。例えが悪いが、反社会的団体の構成員が、その厳しい追い込みの途中で、時折、優しい言葉をかけることにより「本当は義理に厚い良い人なんだ。」と思わせる手法に似ている。
井田は、完全に自分を見失っていた。心を病んでいたのかもしれない。

 井田は、この時期、夜、近所の公園のベンチに座り、その日の面接の出来事を自分なりに整理し総括してから、帰宅することにしていた。「今日のことは残念だが、明日の○○部の面接はきっとうまくいはずだ。○○部長からは無視されたことが無いから、きっと自分に悪印象は無いはずだ。」と、“前向きな希望ある頭の整理”を行い、いや、言葉を変えて言うと“何の根拠もない頭の整理”を行うことによって、自分のモチベーションをかろうじて維持している毎日であった。

 つとめて明るく笑顔で取り繕った帰宅は、即座に瓦解する。彼の妻からの質問攻めによって。さらに、「(前職の)信金の理事長に“戻りたい”って手紙書きなよ。今からでも。最初から、あたしが言ったとおりにすればよかったのよ。」と、毎度おなじみの提案のような、そして愚痴のような口ぶりによって、彼のつくり笑顔は留めが刺されるのである。
 「浮世離れしたことを言うな!そんなこと出来るわけがないじゃないか!」と、妻に怒鳴りたい井田であった。しかし、それをしてしまうと、唯一の居場所を失うことになる。それが怖かった。
 川の増水で周囲を追い込まれ、かろうじて中州でつま先立ちして流れに耐えている。その中州が家庭であった。しかし、その中州も、水に流され徐々に狭くなっていた。
 家庭という中州も、実は脆い砂地に過ぎないと、はからずも、厳しい現実が井田の前に露呈していた。

 そんな中、井田は、思い出した。
 「転職者が転職先で成果を出し、また、受け入れられるためには、まずは理解者を一人でも作ることだ。そこを、突破口にせよ。」と、いうことを。
 
 「じゃあ、経費精算、(それと)債権回収の担当も。。。」
経理部長から、「部長付き」として井田に椅子が用意されたのは、その数日後であった。
 社内では、「セイさん」と呼ばれている。150㎝にも満たないくらい小柄で、60代半ばの男性、それが経理部長だ。高校卒業後、黙々と金庫番として長年従事してきたらしい。なぜ、「セイさん」なのかわからない。変な話だが、井田は彼の正式な名前も知らない。でも、社内では、そう呼ばれている。彼の正式な名前を、周囲に聞いても良いのだが、自分が「よそ者」であることを、「社内で浮いていること」を、わざわざ自分から露見させることになると思い、未だに聞けずじまいであった。

 井田は、自分が採用された際のミッションである「経費の管理方法の整備」について、頻繁に経理部に日参し、彼の部下の経理課長と詰めていたのだ。どのような帳票を作り、システムにどう載せようかと。結局は、社内で発言権が大きいあの営業部長により、結果的には潰された経緯があった。

 セイさんは、井田が挨拶しても挨拶し返す人ではない。極端に人見知りなのだ。でも、セイさんは見ていてくれたのだ、井田のその経費がらみのその取り組みを。そして姿勢を。同じ志を持っている仲間とセイさんは認識してくれていたのだ。
 セイさんの口からそう聞いたのは、異動後半年が経過した時だった。

 井田は現在、セイさん勇退後の経理部長として忙しい毎日を送っている。

 今も、転職後のあの当時を思い出すことがある。
 そのたびに「転職後の周囲との軋轢は有って当然」「諦めて退職し、転職を繰り返しても解決しない」「何よりも、誰でもいい。理解者を作ることだ。」と。

 井田は、トイレの鏡を見てそう思い出し口にしていた。当時映っていた時とは、別人のような姿のその男に向かって。
 

※毎回、ご一読いただき誠にありがとうございます。書き記した内容は、私川野が大手人材紹介会社の教育研修部長時代に見聞き、体験した「実話」です。よって、個人名や企業名が判明しないよう若干の表現上の工夫をしております。何卒ご了承願います。
おかげさまで、投稿を初めて3週間。多くの方々から大きな反響をいただいております。転職を考えておられる皆様方の、ご参考の一助になれば幸いです。登場人物の井田様(仮名)は、解雇通告直前から私川野宛に相談に見えられており、川野から「理解者を作るよう」アドバイス申し上げておりました。この記事は、当時の詳細な相談内容を書き記したものです。転職定着マイスター 川野智己

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